(閑話)アインの放課後
閑話続きですみません。
区切りの回なので……。
「アイン!」
フィッケが教室に飛び込んできた。
もう放課後だが、1組の教室にはまだ半数近くの学生が残っていた。
「事件だ、事件!」
「うるさい」
読みかけの本から顔を上げて、アインは顔をしかめる。
「僕に届く適切な音量で喋れ。それとも窓の外の鳥にでも呼びかけてるのか」
「鳥になんか呼びかけてねえよ!」
さっきまでと変わらぬ音量でそう言ったフィッケは、そんなことより、とアインの腕を掴む。
「来てくれ、アイン。すげえんだ、大変なんだ」
「いやだ」
アインは即座に拒否する。
「君の言う『すげえ』と『大変』は信じないことにしている」
「じゃあ、どえらい、でもいいよ!」
全くめげることなくフィッケは叫んだ。
「お前の気に入った言葉で叫ぶから。とにかく来てくれよ!」
「そういう問題じゃない」
「どういう問題かは後で聞くから!」
アインは、はあ、とこれ見よがしの深いため息をついて立ち上がった。
「君は、放課後のこの時間の読書を僕が楽しみにしているのを知ってるだろう」
「お前だって、俺が何かあったら絶対お前のことを呼ぶのを知ってるだろ」
「知ってる知らないの問題じゃなくてだな」
「だから、どういう問題かは後で聞くってば!」
アインがフィッケに連れられて面倒そうに教室を出て行くと、その一部始終を見ていたカラーが、おかしそうに含み笑いしてエメリアに話しかける。
「アインの皮肉ってフィッケには全く通じないよね」
「そもそもバカだからな、フィッケは」
エメリアは冷たく答える。
「動物と一緒で、言葉が通じないんだ」
「でもフィッケはエメリアの言うことはよく聞くよね」
「動物と一緒だから」
エメリアはローブの袖を捲って、腕の筋肉をカラーに誇示してみせる。
「力で分からせるんだ。それが一番早い」
あはは、とカラーは笑う。
「エメリアらしいよね」
「私にはそういうやり方しかできないからな」
エメリアは澄ました顔で言う。
「それに、それが性に合ってる」
フィッケがアインを案内したのは、校舎の裏手だった。
ちょうど太陽の遮られる暗がりで、二人の男子生徒が険悪な雰囲気で睨み合っていた。
「おう、まだ殴りあってねえな!」
フィッケがそう叫んで二人の間に入る。
「ケンカはダメだ、ケンカは」
「2年生か」
二人の顔を見て、アインは呟く。
「3年1組のクラス委員をしているアインだ」
アインは二人に名乗った。
上級生のクラス委員と聞いて、二人が少し気後れした表情を見せる。
「ずいぶん険悪な雰囲気だな。何があった」
「そうだぜ、アインに話しな」
フィッケが二人の顔を交互に見ながら言う。
「何でも解決してくれるからよ。殴りあったって、痛えだけで何もいいことねえぜ」
「フィッケ、君は少し黙ってろ」
アインはフィッケを冷たく黙らせると、片方の少年の顔を見る。
「ヒュール。君からだ」
名前を呼ばれて、その少年がぎょっとした顔をする。
「僕の名前。どうして」
「初等部全体で130人かそこらしかいないのに、全員の顔と名前くらい覚えられなくてどうする」
アインはそう言って、もう一人の少年を見た。
「ティーン。君の話はその後で聞く」
やはり自分の名前を呼ばれて、ティーンと呼ばれた少年も気圧されたように頷いた。
「昨日の放課後、ティーンと森へ行く約束をしたんだ」
ヒュールは言った。
「僕らはクラスが違うから、武術場の裏の木の下で待ち合わせをしたんだ」
「ふむ」
アインが頷く。
「それで?」
「でも放課後になって、僕が木の下でいくら待ってもティーンは来なかった」
そう言って、ヒュールは悔しそうに顔を歪める。
「行ったよ」
ティーンが声を上げる。
「来てない」
ヒュールが叫び返す。
「嘘つき!」
「お前が嘘つきだ!」
二人が興奮して、また胸ぐらを掴み合おうとするのをフィッケが間に入って止める。
「だから待てって」
「ティーン、君の話はまた後で聞くと言ったはずだ」
アインはぴしゃりと言い、ヒュールに向き直る。
「ティーンが来なくて、それで君はどうしたんだ?」
「帰ったよ」
ヒュールはふて腐れたように言った。
「日が暮れてきて、もう森に行く時間がなくなっちゃったから」
「なるほど」
アインは頷く。
「でも今日、素直に謝ったら許そうと思ってたんだ。そしたら、こいつ……」
ヒュールはまた口許を歪める。
「行ったけど僕が木の下にいなかった、なんて嘘をつきやがって……!」
「嘘じゃない!」
ティーンが叫ぶ。
「ふむ」
アインはティーンに向き直った。
「待たせたね。君の順番だ」
ティーンはヒュールよりも興奮していて、フィッケが肩をしっかりと押さえていなければ、今にもヒュールに殴りかかりそうだ。
「君の方が遅れて木のところに行ったのかな?」
ティーンは頷く。
「うちのクラスの方が授業が終わるのが遅れたんだ。だから待ってると思って急いで行ったんだ。そしたら」
ティーンはヒュールを指差して、吐き捨てるように言った。
「こいつはいなかった」
「いたよ!」
ヒュールが叫ぶ。
「嘘つけ!」
「嘘じゃない!」
また二人が掴みあおうとするのをフィッケが押さえる。
「待て、待てって。アイン、見てないでちょっと手伝ってくれよ」
「僕は頭脳労働専門だ」
アインは肩をすくめて手出しをしない。
「取り押さえる人手が必要なら、僕じゃなくてエメリアに声をかけるんだったな」
「エメリアはダメだろ」
フィッケが二人を押さえながら、顔をしかめて大袈裟に首を振る。
「あいつが来たって、こいつら二人を殴ってそれで終わりにするぜ、絶対」
「エメリア?」
それまで、どうにかしてフィッケの手を振りほどこうとしていたヒュールの声色が、急に変わった。
「もしかして、エメリアと同じクラスなのかい」
「ああ。エメリアは僕のクラスだ」
アインが答えると、二人の顔がさっと青ざめる。
「俺も同じクラスだぜ」
言わずもがなのことをフィッケが言う。
「ごめんなさい」
「エメリアには言わないで」
二人が先を争うようにして謝り始めた。
さすがのアインも鼻白む。
「エメリアをずいぶん恐れてるな。何かあったのか」
「いや、別に何もないけど。ごめんなさい」
そう言って尻込みする二人をなだめすかして聞き出したところでは、どうも寮で二人がふざけて悪戯していたところをエメリアに見付かり、こっぴどくとっちめられたらしい。
「手が出るからな」
フィッケが二人に同情するように頷く。
「あいつの場合はまた、出る手が強いんだ」
「壁にひびが入ったんだ」
ティーンが震える声で訴える。
「そんなこともあるだろうぜ」
フィッケが頷く。
「僕は彼女に暴力を受けたことはない」
アインが言うと、二人のアインを見る目が明らかに変わる。
「アインはうちのクラスのリーダーだからな。エメリアもアインには逆らえないんだぜ」
フィッケが付け加えると、二人の視線は完全に尊敬の眼差しへと変わった。
「普通のことだ。言葉があるのに手を出す必要はない」
アインはそう言って、すっかり大人しくなった二人に目を向ける。
「一人は来なかったと言い、一人は行ったと言う。ここでお互いを非難していても始まらない。実際にその武術場の裏とやらに行ってみようじゃないか」
「ここだよ」
武術場の裏手。
どっしりと根を下ろした落葉樹の前で、ヒュールが言った。
「僕はここで待っていた」
「僕だってここに来た」
ティーンが声を上げる。
「でも、お前はいなかった」
「いたよ」
「いない」
「ケンカするとエメリアに言いつけるぞー」
フィッケが言うと、二人はおとなしくなる。
「なるほどな」
アインは木の幹に手を当て、枝を見上げる。
はらり、と落ち葉が舞った。
「そういえば昨日は風が強かったな」
そう言ってフィッケを見る。
「ああ。寮の窓がガタガタうるさかったな」
フィッケが頷く。
「なら、犯人は分かった」
アインは身を屈めて落ち葉を拾うと、2年生の二人に見せた。
「こいつが君たちの仲違いの原因だ」
アインは二人を伴って、木から少し離れたところに立った。
木の下にはフィッケが立っている。
「フィッケ」
アインは声を張る。
「木を揺らして葉っぱを落としてくれ。風が強かった昨日のようにだ」
「あいよ」
フィッケは返事をして、木の幹を両手で揺さぶるが、なかなかの大木だ。木はそう簡単には揺れてくれない。
「どうした、フィッケ。早くしろ」
「いや、これちょっと一人じゃ無理だぜ。手伝ってくれよ、アイン」
必死に両手で木を揺らそうとしながらフィッケが言う。
「断る」
アインは即座に拒否する。
「早く揺らせ」
「いやちょっと無理……」
「何やってるんだ、お前ら」
後ろから冷たい声がした。
振り返った2年生二人が、ひっ、と小さく悲鳴をあげる。
「エメリア。ちょうどよかった」
アインはエメリアを振り返ることもなくそう声に応え、フィッケを指差す。
「あのバカに木の揺らし方を教えてやってくれ」
「木の揺らし方?」
エメリアは眉をひそめてフィッケを見る。
フィッケが足を幹にかけて踏ん張り、両手で木を揺らそうとしている。
「ああ、あれは木を揺らそうとしてるのか」
「運動神経はいいが、あいつには力がない。強風の日のように落ち葉を舞わせたいんだ」
「ふうん」
いいよ、と言ってエメリアはアインの横をすり抜け、フィッケに歩み寄る。
「どきな、フィッケ」
「来てくれたか、エメリア!」
フィッケが嬉しそうに木から手を離す。
「ひでえんだよ、アインのやつ全然手伝ってくれないんだぜ」
「フィッケ、ちょっと黙ってろ」
エメリアはそう言って、腰を少し落とす。
息を短く吸ったかと思うと、腰を回転させて強烈な掌底突きを木の幹に叩き込んだ。
どん、という鈍い音に、アインの隣で二人が首をすくめる。
木が一瞬傾いだように見え、その後でざざざ、という枝擦れの音。
葉っぱが無数に舞い落ちた。
「さすがだな」
アインは微笑む。
「見ろ」
アインの指差す先を見た二人が、
「あっ」
と声を上げた。
くるくると回って落ちる葉が、日の光を受けてきらきらと輝いた。
無数の落ち葉が、木の下に立つフィッケとエメリアの姿に重なると、まるでそこには誰もいないように見えた。
葉っぱに隠れて姿が見えないのではない。
葉っぱの向こうに誰もいないように見えるのだ。
まるで視界がそこだけ歪められたような。
「カガミバの木の葉は、表面が鏡のようにすべすべしているわけだが」
アインはそう言って、手元の落ち葉をもう一度二人に見せる。
「落ちるときに日の光を浴びながらくるくる回ることで、周囲の風景を映して幻視の効果を発揮する。分かりやすく言えば、見る者の視界を歪める効果だ。落ち葉が数枚程度ならさしたる効果もないが、これだけの葉が一度に落ちると、木の周囲の風景がごっそりと歪められる。見た通り、木の下の人間など、いないようにしか見えなくなるわけだ」
二人は言葉を失ったように、カガミバの木を見つめている。
「アイン、これでいいのかー?」
誰もいない空間から、フィッケの声だけが聞こえてくる。
「ああ、十分だ。ありがとう、エメリア」
アインの言葉に、
「俺にもありがとうって言えよ!」
というフィッケの声が重なる。
「あれ? アイン、どこ行った? おーい」
「木の下にいる人間の方から見たとしても、聞いての通りだ」
アインが言うと、ヒュールはぎこちなく頷く。
「さて」
アインは二人に向き直った。
「これで分かったろう。一人は約束通りの場所で待ち、もう一人は約束通りの場所へ行った。他に、君たちがいがみあわなければならない理由は?」
アインの言葉に、二人はお互いを気まずそうに見た後、どちらからともなく「ごめん」と言った。
「エメリア、君は後輩からだいぶ慕われているようだな」
帰り道、アインが皮肉混じりに言うと、エメリアは、短い髪をかき上げ、ふん、と鼻で笑った。
「動物みたいな奴ほど、単純な力が怖いんだ」
「そうそう」
フィッケが他人事のように頷く。
「最初に力を見せてやりゃ、後は勝手に向こうが顔色を窺ってくれる。楽なもんさ」
エメリアの言葉に、アインは楽しそうに頷く。
「なるほどな。理に適っている」
しかしエメリアは苦笑いして空を見上げる。
「でも、結局はそれだけじゃやっていけないってことを、私も今学んでるところさ」
自嘲気味にそう言って、エメリアは口許を歪める。
「エメリア」
アインがまじまじとエメリアの顔を見た。
「武術大会の後くらいから、君も変わったな」
「変わったって、何が」
眉をひそめるエメリアに、アインは、いや、と首をかしげる。
「魅力的になったな。前よりもさらに」
「なっ」
絶句して立ち止まるエメリアを尻目に、アインは歩みを止めず、横を歩くフィッケに苦言を呈す。
「フィッケ、もうつまらないケンカの仲裁はごめんだぞ。何にでも首を突っ込むんじゃない」
「いやー、そんなこと言いながら、今日だって鮮やかに解決してくれたじゃんか」
「だからそういう問題じゃないと言ってるんだ」
「だからどういう問題なのか教えてくれって。あれ、エメリアどうした?」
振り返ったフィッケに声をかけられ、エメリアは我に返ったように二人を小走りで追いかけた。
200話到達記念として、リクエストをいただいていたアインの閑話を書きました。
また、次回からは本編に戻ります。
ここまでお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。




