魔影
「なんなの、あれは」
レイラが呟く。
「ここにあんな巨大な魔影が出るなんて、聞いたことないわ」
「早く逃げろ、レイラ」
アルマークが鋭い声を出した。
「あれは学院の試練じゃない。本当に命を奪われるぞ」
「あなた知ってるの、あれが何なのか」
「知らない」
アルマークは巨大な魔影から目を離すことなく答える。
「でも、あれが僕の獲物だってことだけは分かる」
「どういうこと」
「ごめん。しばらく君の質問に答える余裕がない」
アルマークは洞穴の床を蹴った。
魔影の頭部がちょうど、階段から第三層に姿を見せたところだった。
アルマークはマルスの杖を振るった。
杖が空を切る。
確かに魔影の頭部を捉えたはずなのに、手応えがない。
アルマークはその瞬間、後ろに飛び退いた。
魔影の右手がアルマークの身体を掠めるように伸びてきていた。
「ちっ」
普通の魔影とは違って、マルスの杖の打撃は通用しないようだ。
魔法しかダメか。
くそ、だから剣の効かない相手は嫌いなんだ。
父の、苦虫を噛み潰したような顔が脳裏をよぎる。
剣の効かねえ奴は、相手にするな。
ろくなことがねえ。
ごめん、父さん。そういうわけにもいかない。
その時、アルマークの背後から稲光が走った。
魔影の身体を一瞬電光が包み、魔影の姿が揺らめく。
「レイラ」
アルマークは振り向かずに叫ぶ。
「言っただろう、早く逃げろって」
「あなたがそれを言うの」
レイラの声は意外に落ち着いていた。
「あんなものに一人で立ち向かえるはずがない。あなたこそ人を頼りなさい」
その言葉に意表を衝かれる。
「確かに君の言うとおりだ」
とっさにウェンディとモーゲンの言葉を思い出して、アルマークは苦笑いする。
「でも、無茶はしないでくれ。前衛は僕が引き受ける」
「任せるわ」
レイラは言った。
「私にとっても力を試すいい機会だわ」
「それは」
考えが甘い、と言おうとして、アルマークはとっさに横っ飛びする。
魔影の腕が意外な速さでアルマークを狙っていた。
エルデインと戦ったときの広間と違い、ここは狭い通路だ。アルマークの敏捷性を十分に生かせない。
アルマークの背後から、もう一度レイラの稲光が走った。
魔影が一瞬揺らめく。
効いているのか、効いていないのか。
判断がつかない。
「レイラ、走れ。距離を取る」
アルマークは叫んだ。
アルマークはマルスの杖に魔力を込める。
杖の中で凄まじい魔力が渦巻く。
迂闊に出せば、洞穴の中でアルマークもレイラもまとめて蒸し焼きになってしまいそうな程の膨大な魔力。
ここから出せ。
魔力が叫んでいる。
早く出せ、俺たちを。
頼むぞ、マルスの杖。
アルマークは半ば祈りながら杖を振るう。
杖の先端から炎が吹き出した。
「火炎の術」
レイラが声を上げる。
「いつの間に使えるようになったの」
よし。調整は上出来だ。
魔法の炎を浴びた魔影が再び揺らめく。
しかし、その緩慢な動きに変化は見られない。
効いているのか、いないのか。
アルマークとレイラは通路をもと来た方向に走った。
魔影はその背後から、通路全体を塞ぐようにして追いかけてくる。
動きは遅いが、時折伸ばす腕の動きだけが妙に素早い。
「おかしいわ」
レイラが言う。
「帰るための扉が現れない。もうこんなに走ったのに」
やっぱりか。
アルマークは思う。
エルデインと戦ったときと一緒だ。
おそらくここはもう、闇の罠の輪の中。
「多分、こいつを倒すまで出られない」
アルマークはレイラに叫ぶ。
「巻き込んですまない」
「そう」
レイラの声はあくまで落ち着いていた。
「それなら話が早いわね」
レイラが魔影に向き直った。
「試してみたい魔法があったのよ」
アルマークもつられて足を止める。
レイラの長い髪が一瞬ふわりと波打つ。
その杖が危険な輝きを帯びた。
一瞬の後。
激しい光。
巨大な光の帯がレイラの杖から発せられ、魔影を文字通り真っ二つに切り裂いた。
「すごい」
アルマークは思わず感嘆の呟きを漏らす。
竜の炎と同等か、それ以上の威力を持った魔法に見えた。
魔影の身体が左右二つに引き裂かれ、そのまま地面に崩れ落ちた。
「やった」
アルマークが声を上げ、レイラも思わず笑みをこぼす。
「倒したかしら」
だが、不吉な地響きがその笑顔をすぐに曇らせる。
「何、この音は」
「レイラ、離れろ」
アルマークはレイラの腕を取って走り出す。
崩れ落ちたはずの魔影が立ち上がった。
引き裂かれた切り口から、たくさんの魔影が零れ落ちる。
「魔影を生んでる……!」
レイラが振り返って呻く。
生み出された魔影たちはアルマーク達の走る速度よりもさらに速く、二人に迫った。
「僕が焼き払う。君は走れ」
そう言ってアルマークが魔影を振り返る。
もう一度、うまくいってくれよ。
念じて杖を振るう。
杖から小さな炎が出て、アルマークの目の前まで迫っていた魔影を一体打ち倒す。
「あれっ」
本当は、眼前に迫る魔影全てを焼き払うくらいの炎を出そうと思っていたのに。
絞りすぎた。調整失敗だ。
「まだ安定しないな」
吐き捨てて、アルマークは杖を直接振るって魔影を薙ぎ払う。
生み出された通常の魔影たちは、マルスの杖の打撃でも薙ぎ払うことができた。
だが、その間に巨大な魔影が迫っていた。
前進を続けながら、通常の大きさの魔影を際限なく生み出し続けている。
アルマークは流れるような動きで三体の魔影を打ち払うと、振り向いて走った。
すぐにレイラに追い付く。
レイラの息が上がり始めていた。
無理もない。
ここまでずっと、ほとんど一人で魔法を使って試練を乗り越えてきたのだ。そしてさっきの大魔法。
まだ走る体力があることだけでも驚きだ。
「レイラ、僕が食い止める。その間に距離を稼げ」
アルマークは立ち止まって振り向いた。
「逃げてばかりじゃ埒が明かないわ。あいつの倒し方を考えないと」
レイラがアルマークに叫ぶ。
「僕は動きながら考える。君は、距離を取ってじっくり考えてみてくれ。二人で知恵を合わせよう」
言いながらアルマークは踏み込んで杖を振りかざした。
通路いっぱいに広がった炎が、迫る魔影たちを焼き尽くす。
「今度はうまくいった」
言いながら、アルマークはさらに踏み込んだ。
マルスの杖が、一閃、二閃。
魔影たちが弾け飛ぶ。
そこに巨大な魔影の手が迫った。
アルマークは飛び退いてそれをかわす。
あの手に触れられるのは、絶対にまずい気がする。
「アルマーク、気を付けて」
レイラが叫ぶ。
「あなたこそ無茶をしないで」
「ありがとう」
アルマークは叫び返した。
「大丈夫。このくらいなら、僕の中では無茶のうちに入らない」
巨大な魔影は、ゆっくりと、だが確実にアルマークに迫ってくる。
その身体の裂け目から、ぼろぼろと新たな魔影が零れ落ちる。
「とはいえ、きりがないな」
アルマークは後ろを振り返る。
レイラはかなり離れたところで立ち止まり、膝に手をついて喘いでいた。
よかった、距離を大分取った。
アルマークがそう安心した瞬間だった。
「レイラ!」
アルマークは叫んだ。
レイラがはっと脇を見る。
動きを止めたレイラを、壁から滲み出るように現れた魔影が襲おうとしていた。
「くっ」
かろうじて身をかわしてレイラが杖を振るう。
電撃を受けた魔影が散り散りになる。
まだ、立ち止まってはいけないルールが生きているのか。
アルマークは杖を振り抜いて同時に二体の魔影を散らす。
第四層へ下りる階段の前では、もうそのルールが適用されていなかったから、油断していた。
「レイラ、ゆっくりでいい。歩くんだ」
アルマークはそう言いながら自らもじりじりと後退した。
マルスの杖のお陰で、魔法の威力と回数の割に魔力の消耗は大したことがない。
だがこのままでは、無限にも思える魔影の前に、いずれ押し潰されるだろう。
その時、アルマークは見た。
通路の脇から出てきた魔影が、巨大な魔影の身体に吸い込まれるようにして消えるのを。
「吸収している」
アルマークは叫んだ。
「レイラ、こいつ普通の魔影を吸収しているぞ」
そういえば、ぼろぼろと魔影をこぼしながらも、巨大な魔影はその身体をさらに大きくしているように見えた。
壁から現れた魔影が、次々に吸収されているのだ。
「くそ、きりがないわけだ」
アルマークは呻く。
どうやって倒す。
「そう。吸収しているのね」
レイラの、落ち着いた声が背後から聞こえた。
「なら、答えはきっと3番ね」
「え?」
思わずアルマークはレイラを振り向く。
「アルマーク、私のところへ」
レイラは魔影から目を離さず後ろ向きに歩きながら、アルマークに手招きした。




