魔獣
「ここでこうしていても始まらない。行くか」
しばらく洞窟の壁を手でなぞってみたりした後で、アインが言った。
「フィッケもこの洞窟のどこかにいるんだろうか」
アルマークの疑問に、アインは曖昧に頷く。
「そうだとは思うが」
「行ってみないと分からないね」
それから二人は、慎重に歩き出した。
灯を頼りに闇の中を歩き始めてしばらくすると、徐々に時間と距離の感覚が失われ始める。
通路は意外にも長く続いた。
「どこまで続くんだ」
アインがうんざりしたようにぼやくが、アルマークの嗅覚は、通路の先から漂ってくるごくわずかな腐臭を感じ取っていた。
「確実に近付いているよ」
アルマークの言葉に、アインは肩をすくめる。
どれくらい歩いただろうか。
不意に通路が広くなり、大きな円形の広間のような場所に出た。
壁はまるで切り立った崖のように遥か上まで続いていて、上空は、闇だ。
灯を上に向けてみても、光が届く範囲に天井らしきものは見えない。
「やれやれ、もう歩くのに飽き飽きしていたところだ。何かあるかな」
アインがそう言って広間の中央に歩き出そうとするのを、アルマークが制する。
「アイン、それ以上進むな。もういる」
「なに」
アインは足を止めて、灯で前方を照らす。
頼りない光が広間の向こうを照らし出した。
奥の壁際に、広間の暗闇に紛れるようにして、黒い塊がうずくまっていた。
闇そのもののような塊。
それがゆっくりとその巨体を起こし始めている。
腐臭。
「間違いない。エルデインだ」
アルマークが呟いて、剣を抜く。
「アイン、決してやつの真正面に立つな。信じられない突進力がある」
「分かった」
アインは答えて、杖から灯の炎を切り離す。
炎はふわりと宙に浮いて大きくなり、広間全体を柔らかく照らす。
鬼火の術だ。
光を浴びて、魔獣が不機嫌そうな唸りをあげた。
二人の目にも、その異形が露になる。
四つ足で立った背丈は、二人の身長の倍以上もあるだろうか。
その身体のほぼ全てが、硬いざらざらとした甲羅に覆われている。
甲羅のところどころにある尖った突起は、それだけで人に致命傷を与えかねない鋭さだ。
牛のような外見に似ず、口許から覗く鋭い牙が、この魔獣が肉食であることを物語っている。
しかし、何よりも目を引くのが、その頭部にそそりたつ一本の角だ。
鬼火の炎に照らされてどす黒く輝くその角は、アルマークの持つ長剣に匹敵するほどの長さを誇っている。
「これは」
アインがエルデインから目を離さず呟く。
「やはり本で読むのと実際に目にするのでは大違いだな」
エルデインの威容に気圧されているのが分かる。
「アイン、必要以上に恐れるなよ」
「ああ、分かっている」
アルマークの言葉にアインは頷く。
エルデインの口から、噴き出すような吐息が漏れた。
アルマークたちに向けて、足を一歩踏み出す。
「来るぞ」
アルマークはそう言って剣を構える。
が、その足元にちらりと覗いたものを見て、思わず声をあげた。
「アイン、やつの足元」
「え?」
アインもエルデインの足元に目を凝らし、すぐにその意味に気付いた。
魔獣の足元。
立ち上がったその足にまとわりついた、ぼろぼろの布切れのようなもの。
それは、学院の制服のローブだった。
噛み千切られて、引き裂かれたローブ。
フィッケのローブの残骸に間違いなかった。
「あれでは、もう」
アルマークが呻く。
「食ったのか。フィッケを」
アインの声が震えた。
アルマークは、アインの杖の先に新たな炎が生まれるのを見て声をあげた。
「待て、アイン!」
「よくも」
声と同時に、アインが杖を振るった。
トルクが以前、森で二体のジャラノンに使った魔法、炎の指。それをはるかに強力にしたような魔法だった。
アインの杖から大きな火の玉が五つ、魔獣に向かってそれぞれの軌道を描いて飛んだ。
そして魔獣の上空に達したところでぴたりと動きを止める。
と、次の瞬間、五つの火の玉は別々の角度から魔獣の身体に降り注いだ。
爆発音が轟き、広間は一瞬、外のような明るさになった。
だが、それを見たアルマークは躊躇しなかった。
「走れ、アイン!」
杖をかざして炎を睨んでいるアインの腕を掴むと、アルマークは壁際を走った。
その直後、炎の中から、魔獣が飛び出した。
瞳の無い赤い目がぎろりと二人を見据える。
甲羅の一部から煙が上がっているが、魔獣がいささかでも傷ついたようには見えない。
「無傷だと」
アルマークに腕を掴まれて走りながら、アインが呻いた。
「来る途中に話しただろう、やつの弱点は一箇所。それを探しだしてそこに攻撃を当てなければ。それ以外の攻撃は意味がない」
アルマークはアインに言うが、火球の攻撃を受けて戦闘態勢に入ったエルデインを見てとって、手を離す。
エルデインが首を振った。
角が空を切る音がアルマークの耳にも届く。
「僕が引き付ける」
アルマークは立ち止まって剣を構えた。
「今朝約束した通りだ、アイン」
そう言って、アインに手振りで自分から離れるよう促す。
「僕は僕の仕事をする。君も自分の仕事をしろ」
アルマークは厳しい声で叫んだ。
「いつものように頭を回せ。考えを止めるな。そしてもうちょっとましな魔法を使え。フィッケを悼むのはその後だ」




