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【書籍化】アルマーク ~北の剣、南の杖~  作者: やまだのぼる
第八章

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 アルマークの呼び掛けに、レイラはゆっくりと振り向き、声の主を見て、ため息をつく。

「あなたは」

 そう言ってレイラは意外にも微笑んだ。

「いつも会いたくないときに現れるのね」

「ごめん」

 謝って、アルマークはレイラの隣に立ち、海を見る。

「何を見てたの」

「別に何も」

 言いながら、レイラも海に向き直る。

「ほら、何も見えないでしょ」

 その声はあくまで穏やかだ。

「海だね」

 アルマークは目を細めた。

 この海の向こうはレルブダだが、今日は見えない。

「嫌なことがあったら、ここへ来て海を眺めるの」

 でも、今日は。レイラは苦く笑う。

「何も見えないのよ」

 そう言って首を振る。長い髪が海風に揺れる。

 声が穏やかな分、レイラの傷の深さがアルマークにも分かった。

 最初の衝撃が去り、穏やかな口調で話せるようになって、それでも尚、クラスメイトの勝利をともに喜ぶことのできないくらいの傷。

「レイラ、前に言ってたじゃないか」

 アルマークは言った。

「私の目標は高いって」

 レイラがちらりと横目でアルマークを見る。

「レイラの目標ってなんなんだい」

 くっ、と小さな声をあげてレイラは笑った。

「あなた、今の私にそれを聞くの」

「ごめん」

 アルマークはまた謝る。

「でも、聞いてみたくて。今の君をここまで追い詰めてる君の目標って一体なんなのか」

 アルマークは海を見つめながら、そう言葉を繋げる。

 しばらくの沈黙。

 波の音と海鳥の鳴き声だけが二人を包む。

 アルマークはあえて言葉を継がず、待った。

「……フォレッタの高位魔術師試験」

 ややあって、レイラは言った。

「聞いたことは?」

 アルマークは首を振る。

 フォレッタ王国は言わずと知れた中原の大国。レイラの母国であるロゴシャ王国はその隣国だ。

「でしょうね」

 レイラは薄く笑う。

「子供が受けるような試験じゃないから。一番若くして受かった人でも、この学院の高等部の卒業生で18歳。普通は20代後半から30代……それ以上の年齢で受け続ける人もいる」

 父は、とレイラが言う。

「その試験に成人するまでに受かれって。そうでなければやめて帰ってこいって」

「成人するまで? 中原や南の成人って確か」

 アルマークは思わずレイラの顔を見た。

「そう。15歳」

 レイラは表情を変えずに頷く。

「それは……無茶だ」

 アルマークは首をかしげる。

「なぜ、君のお父さんはそんなことを」

「父は私がここに来ることに反対だった。学院長から直筆の手紙が来て、ようやく入学だけは認めてくれたけれど、その時に父の出した条件が、それ」

 レイラは口許に笑みを浮かべていた。

「父とはそれ以来まともに話していないわ。私も家の人間に学院に入ってきてほしくないから、帰るときも港に使用人を待たせたり」

 その姿は、アルマークも見かけていた。

「うちは没落しかけの家だから」

 レイラは自嘲ぎみに言う。

「仕方ないのよ、私は一人娘だし」

 突き放したようにそう言う。

 アルマークは、口を開こうとしたが、レイラが先に言葉を続けた。

「父は使いたいの。私のことを、政略結婚の道具に」

 レイラの言葉はあくまで他人事のようだ。

「良い婿がほしいの。それには18歳までなんて待つことはできないってことなんでしょ」

 ひどく生々しい話だった。

 アルマークは首を振る。

「たった三年の違いじゃないか。それに、君なら間違いなく立派な魔術師になれる。家の再興だって、きっと。お父さんはそれじゃダメなのかい」

「父は、ダメなんでしょうね。現実にどうか、じゃない。自分がどう思うか。父にとってはそれが全てだから。だからそんな無理難題を出したの」

 レイラは海から目を離さない。表情は穏やかだが、その目は厳しかった。

「でも、君はそれを無理難題にするつもりはないんだろ?」

「まあね」

 レイラは頷く。

「初等部で習うことなんて、もう全部独学で済ませたわ。今は中等部の二年目くらいの内容を学んでいる」

「ああ……それで」

 アルマークは試験前のレイラの姿を思い出す。

 必要なことは授業中に全部覚えている。そう嘯いていたレイラ。

 それもそのはず、レイラにとって初等部の授業は全て復習に過ぎなかったのか。

「本気で初等部の内容だけを勉強すれば学年で1位でも2位でも取れると思うけど、私にとってそれは意味のないこと。そんな時間があるなら、もっと上のことを勉強したい」

 その言葉にアルマークは頷く。

「だけど、そんな君が、武術大会ではロズフィリアに絶対に負けたくないと言った。それはなぜなんだい」

「ロズフィリアは……」

 レイラの目に少し暗い影が差す。

「フォレッタの大貴族の娘。あの子は高等部卒業後すぐの高位魔術師試験合格を目指してる」

 だから、とレイラは呟く。

「あの子には負けたくない。たとえ武術であろうとも。私はあの子より三年は先に進んでいないといけないから」

 圧倒的に勝たなければならなかった。

 それなのに、負けてしまった。それも、格の違いをはっきりと見せつけられる形で。

 ただ、大会で負けてしまったからではない。

 ロズフィリアに負けたこと。それこそが、レイラの心を深くえぐったのだ。

 アルマークがようやく合点すると、レイラは小さく首を振った。

「アルマーク、あなたにはきっと色々なことが見えている」

 そう言って、レイラは初めてアルマークの顔を見た。

「私とロズフィリアの違いは何。私には、何が足りないの」

 アルマークを見つめるレイラの目は真剣そのものだった。しかし、今にも崩れ落ちてしまいそうな危うさがあった。

 アルマークは暫しその目を見つめ、それから、ごめん、と言ってゆっくりと首を横に振る。

「僕は、魔法のことはまだほとんど何も知らない。その試験のことも今、君に聞いて初めて知ったくらいだ。僕には君に何が足りないのかは分からない」

 その答えにレイラが失望したような表情を見せる。

 アルマークはそれに構わず、でも、と言ってゆっくりと海に目をやる。

「レイラは、メノーバー海峡って知ってるかい」

「メノーバー海峡?」

 突然の質問にレイラが怪訝な顔をする。

「知ってるわよ。北と中原を隔てる海峡の名前でしょ? もちろん、見たことはないけれど」

「うん」

 アルマークは頷く。

「水龍海峡って別名もある、船の墓場みたいな海峡さ。毎日、黒い海に灰色の波が立って、あちこちで渦が巻いている」

 僕はそこを越えてきた、とアルマークは言った。

「この海とは全然違う」

 そう言って、アルマークは両手を広げ、穏やかな眼前の青い海を示す。

「僕が生まれて初めて見た海は、メノーバー海峡だった。いつも波や渦や岩が怪物みたいに口を開けていて、船乗りはそれに食われないように必死に船を操る。海ってそういうものだと思っていた。だから、この南の海を見て驚いた。同じ海とは思えなかった」

 レイラは、一体何を言い出したのか、という顔でアルマークを見ている。

「レイラ、今君はこの南の海を見ているのに、まるでメノーバー海峡を見ているみたいだった」

 アルマークはレイラの顔を見た。

 いつも横顔ばかりの美しい顔が、今はまっすぐにアルマークに向けられていた。

「目の前の海はこんなに青く穏やかなのに、君の目には逆巻く黒い海峡が見えていた」

 レイラは虚をつかれたような顔をした。

「イルミス先生は、魔術師はありのままを見る、と言っていたよ」

 アルマークの言葉に、レイラは暫し沈黙した。

 黙って穏やかな海を見つめる。

 海鳥の鳴き声。

 やがて、レイラは首を振った。

「よく分からないわ」

「ごめん」

「いいのよ」

 レイラはそう言って、海に背を向ける。

 長い髪が風になびく。

「でも、話を聞いてくれてありがとう」

 レイラはそう言うと、そのまま振り返ることなく、ゆっくりと歩き去っていった。

 アルマークが振り返ると、その背中に少しだけ、柔らかさが宿っているように見えた。






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― 新着の感想 ―
難題というより不可能な注文に思えるんだけどレイラの親は一体何がしたいんだろう… こんな話されて娘が家を出奔するとか考えもしないんだろうか
[良い点] 苦く笑うという表現がすごくしっくりきました。 語彙力が無いのでうまく言えませんが、苦笑や失笑では表せない感情だと思います。 [一言] 久しぶりにじっくり読み返してましたが、作者様の丁寧な表…
[良い点] 飛び級制度はないんですか。 ないからレイラの父もそんな条件を出したのかもしれませんが。 アルマーク曰く有りのままの真実が見えていなさそうなレイラは、推測ですが本当に覚悟があれば家と縁を切っ…
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