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【書籍化】アルマーク ~北の剣、南の杖~  作者: やまだのぼる
第七章

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(閑話)池の主

 遠くから太鼓の音が響いてくる。

 どこかで戦が始まったのか。

 そんな筈はないか、と少年は首を振る。

 もうメノーバー海峡を越えたのはずいぶんと前のことだ。

 あれから一度も戦場になど出くわしたことはないじゃないか。

 それなのに、太鼓の音を聞くと戦場を連想してしまう。

 北は毎日が戦場のような場所だったから。

 それが当たり前だと思っていた。

 しかし、今の少年には分かる。

 あれは、祭りだ。

 少年は道の先を見はるかす。

 きらきらと日の光を反射して光る、澄んだ池のほとり。

 そこに賑やかな広場が見える。

 櫓が組まれ、大勢の大人達が集まっている。

 その周りを走り回る、少年と同じ年くらいの子供達。

 北ではついぞ見られなかった平和な光景。

 少年はちらりと空に目をやる。

 日はまだ高い。

 しかし、大きな街道から逸れて人気のない道を歩き続けて何日も経つ。

 よし。今日は、ここに泊まろう。

 そう決めて、少年は足を早めた。



 結局、何がこんなことになった直接の原因なのか、ときれいに澄んだ池を見ながら少年は考える。

 考えても詮ないことと知りながらも。

 少年が広場に近付いたときに、向こうから走ってきた少女が目の前で転んだ。それに手を差し出したのがいけなかったのか。

 だって、分かるはずがないじゃないか。

 その子が自分の後ろに隠れて、それを追いかけてきた男達に囲まれるはめになるなんて。

 男達に向かって、嫌がってるよ、というようなことを言ったのは覚えている。それがいけなかったのか。

 だって仕方ないじゃないか。少女が震えているのが背中越しに分かってしまったのだから。

 乱暴に伸ばされた男の一人の手を払いのけたとき、その顔が醜く歪んだのが見えた。そこでやめておけばよかったのか。

 でもその時にはもう殺気だった男達の手が四方から伸びていた。

 掴まれまいとして、手と足が出た。思わぬ反撃にますます男達が殺気だった。

 誰かが、おいこのガキ、こんな長い剣を持ってやがる、と言った。

 そこで剣を抜いたのがまずかったのか。

 だってやむを得ないじゃないか。そうしなければ捕まっていた。

 男達が怯んだのを見て、少年は少女の手を取って走った。少女は意外にしっかりとした口調で、そっちに曲がって、ここを右、と少年を導いた。

 道はいつしか獣道のようになり、気付いたときには、少年は池の反対側に出ていた。

 大人は知らない抜け道なの、と少女は言った。

 少年はそこで初めて少女の口から、彼女が何故追われていたのかを聞かされた。

 少女は、この池の主に捧げられる供物だった。

 数年に一度、年頃の少女が生け贄に選ばれる。

 少女はそれに選ばれてしまった。

 今日は彼女を捧げるための祭りだったのだ。

 供物に逃げられて主を怒らせたら、街に災厄が降りかかる。

 それを恐れた街の男達が少女を追ってきたのだった。

 少年は男達の醜く歪んだ顔を思い出す。

 あれは怒りではなかった。

 恐怖に怯える表情だった。

 あなたに迷惑をかけてしまった、と少女は謝罪した。

 少年は、いや、と首を振った。

 僕がいいことをしたのだと分かって良かった。

 その言葉が意外だったようで、少女は驚いたように少年を見た。

 そこで少女と別れていればよかったのか。

 そんなわけにはいかないだろう。

 だって、女の子一人をほっておけないじゃないか。

 少年は澄んだ池を見た。


 こんなきれいな池に住む主が、そんな生け贄なんて欲しがるのかい。

 少年の問いに、少女は俯く。

 私もよく分からない。でも、街の人はそう言っていた。

 少年は、主の姿を少女に尋ねる。少女は自信なさげに答える。

 私も見たことはないから。聞いた話では、大きな蛇のような姿だって。

 その言葉に少年の目が煌めく。

 さっきまでの困惑した瞳が嘘のように、少年の目が力を取り戻す。

 もっとよく教えて。

 少女は戸惑いながらも、少年の求めるままに自分の知る限りの話を伝える。

 なんだ。

 聞き終えた後、少年は微笑んだ。

 そいつなら、僕は知ってる。

 そう言って立ち上がる。

 大丈夫。父さん達と狩ったことがある。

 少女はますます戸惑って少年を見た。

 自分よりも少し年下くらいの少年。

 背だってそんなに高くない。

 なのに、この子の発する「大丈夫」。

 それがなぜ、こんなにも頼もしく響くのか。

 舟はある?

 少年は尋ねる。

 池に出たいんだ。

 この時期は、と少女が首を振る。

 池に出てはいけないの。主が怒るから。

 でも、舟はあるんだよね。

 少年の言葉に、少女は渋々頷く。

 池のほとりに、打ち捨てられたような古い小舟が一艘あった。

 まだ浸水はしていないようだ。

 少年は心配顔で止める少女に手を振って、池に出た。

 少年の舟が池の真ん中あたりに達すると、対岸の広場からもそれが見えたようで、さっきのガキだ、と男達の騒ぐ声が聞こえてきた。

 やめろ、戻れ、と叫んでいる。

 少年は池の中央に舟を浮かべて、しばらく待った。

 不意に、水面が泡立ち盛り上がった。

 顔を出したのは、大きな蛇に似た魔物。しかし、顔は人間のそれだ。水に濡れた長い髪の毛が魔物の顔を覆っている。

 広場のほうから悲鳴が聞こえる。逃げ出そうとする慌ただしい足音。

 魔物は、口を開いた。

 生け贄にしては生意気な面構えぞ。

 少年はそれら一切に構わず、剣を抜いた。

 鍛え上げられた金属が、日の光を受けて鈍い光を放つ。

 ほう。我を殺す気か。それが汝の答えか。汝にそれができるのか。

 魔物がからかうように言ったが、少年は答えない。

 勇気ある者よ。汝の名を聞いておこう。

 答えの代わりに、少年が舟から跳躍した。

 魔物と舟の距離はかなりあった。だが少年はそれをものともせずに魔物の胴に飛び付いた。

 少年の胴回りくらいの太さのある魔物の胴に、ためらうことなく剣を突き刺す。

 剣は固い鱗を易々と貫いた。

 魔物が呪いの言葉を吐きながら激しく身をよじる。

 少年は刺した剣を一息に引き抜くと、魔物の胴を蹴ってさらに跳んだ。

 少年が剣を振りかざしたその先には、魔物の顔があった。


 澄んだ池の水を赤く染めて、魔物がゆっくりと沈んでいく。

 少年は危なっかしく揺れていた小舟になんとか戻ると、自分の身体を引き上げた。

 喘ぎながら座り込むと、先ほどの少女と目が合った。

 少女は舟から少し離れた水面に立っていた。

 少年は、少女を見て穏やかに微笑んだ。

 僕は、北を旅してきたから、嘘をつかれるのには慣れてる。

 少年は言った。

 君は、嘘が下手だ。

 少女はその言葉に、困ったように微笑んで見せる。

 少年は水底へ沈んでいった魔物のほうをちらりと見た。

 澄んだ水の底に、もうその姿は見えない。

 あいつの言葉に答えてはいけないんだ。

 少年は言った。

 答えると、心を掴まれる。あいつが怖くてたまらなくなる。あの大人達のように。

 髪からポタポタと水を滴らせながら、少年は広場に顔を向ける。

 広場はさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 少女は何も言わず、少年を見つめている。

 少年はもう一度少女を見て、言った。

 それさえ気を付ければ、そんなに怖い相手じゃない。

 少女は水面をゆっくりと、まるで地面のように歩いて、少年の目の前までやって来た。

 少年は微笑んで、言う。

 池の主は、君だ。

 その言葉に、少女ははにかんだように小さく頷いた。

 ごめんなさい、嘘をついて。あなたは信頼できそうな人に見えたけど、会ったばかりでまだ信じきることができなかったの。それに、まさかこんなに強いとは思わなかった。


 ゆっくりと姿を消していく少女に名を尋ねられ、少年は、アルマーク、と短く答えた。

 ありがとう、アルマーク。あなたの旅の果てに大きな喜びがありますように。

 少女は最後にそう言って、微笑んだ。



 少年はゆっくりと舟を広場に向ける。

 今日はここに泊めてもらえるだろうか。

 目下、それが彼の心配事であった。



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― 新着の感想 ―
幻想的な閑話好きです!
悪い神様の真似事みたいなことしてた魔物を倒して、めでたしめでたし、だと思ったら女の子が主だったとは! 短いお話なのに、アルマークの長い旅の、彼にとっては日常的な、他の人たちにとっては一生であるかない…
[良い点] ケルト民話のような、幻想的ないい話でした。
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