閑話1.村の救い主3
「おじいちゃん……」
祖父の剣幕に圧倒され、シャリーンはたじろぐ。
「その方はウェスからいらっしゃった、領主代行のアルミン様だ。それ以上、失礼なことを言うな。馬鹿者」
「領主代行?」
唖然とするシャリーンに、村長が催促する。
「いただいた薬をさっさと飲みなさい」
その背後から何人もの声がする。窓を開けた集会所から、ポーションを噴き出す音や文句の声が相次いで聞こえていたのだ。シャリーンが思っていたよりその数は少なかったが、やはり領主代行が持ってきたポーションは、それだけ味が悪いのだ。
「でもこれ、本当にひどい味がするのよ。飲めたもんじゃないわ」
口答えをするシャリーンに苛立ったのか、村長が杖を振り上げる。
誰かが止める暇もなかった。膝の横をぴしゃりと叩かれ、シャリーンはぎゃっと悲鳴を上げて仰け反る。反射的に涙があふれた。
「ひどい! おじいちゃん……」
「村長。暴力はおやめください」
領主代行――アルミンが言うと、村長が苦々しげに眉を寄せる。
「失礼しました。我が儘な孫娘なものですから、少々躾を」
「そうですか。では、村長たちも薬を飲んでください」
淡々としたアルミンの言葉に、村長と周りの者が目配せし合う。
「……我々には、症状は出ていませんが」
「だとしてもです。今は変調がないかもしれませんが、用心するに越したことはないでしょう。幸い、全員分の用意がありますから」
領主代行の指示で村人が広場に集められる。何人かが呼びかければすぐに、子どもの誰かが真似てあちこちを走るから、はしまで指示が届いてしまう。
二百人より少ないくらいの住民たち……そのうちの百三十人ほどが、集会所の前の広場に集められるには、十五分とかからなかった。他は集会所で寝ているか、看病しているかのどちらかだ。
広場といっても、小石が転がるばかりの土の上だ。染料も使っていない麻の服を着た村人たちが、鍬を地べたに放り、尻をつけて座り込む。土と強い汗のにおいが、広場を丸く包むように立ちこめる。
数少ない子どもたちは、物珍しげな目でアルミンや荷馬車を見つめ、中には荷馬車の影に隠れるように立つドルフを、あっと言って指差す子も居た。大人たちはひそひそと不安そうに囁き合っている。
「私はウェスの領主代行、アルミンです。集会所で寝込んでいる皆さんのご家族は、ズク草という毒草の毒に蝕まれています」
毒という言葉に、ざわめきが走る。
「ですがご安心ください。人数分の解毒薬とポーションを用意しています」
間もなく、全員の手に薬包紙とポーション瓶が配布された。
「さぁ、どうぞお飲みください。ウェスが誇る薬師が作った薬です」
二日前に届けられた薬で、何人もの年寄りが回復している。解毒薬の効き目は良いということだ。飲み薬は、水で流し込むよりポーションを使ったほうがよっぽど効き目が良いとされている。
疑いなく、何人かが薬を含んだ。そのうち、半分より少し多い人数が、おえっと吐き出すような仕草をする。ひどく咳き込み、噎せる子どもも居る。中には顔を顰めながら、そのまま飲み込む人物も居たが。
「こ、これは……失礼ですが、腐っているのでは……」
舌を苦しげに伸ばす村長。アルミンは動じず、目元ににこやかな笑みを浮かべている。
「腐っているなどととんでもない、口に苦くとも良い薬だ。それとも貴重な薬を、地面にこぼして無駄にするおつもりか」
ほとんど脅迫に近い言葉だった。
今さらになって、村人たちは気がつく。村人を囲んで輪になるように、アルミンの手の者が散らばっている。――監視されているのだ。薬を飲まずに、この場から逃げ出さないようにと。
胸をさすっていた村長が、村人たちを見回す。
飲みきるように、と村長のぎらぎらと光る目が言っていた。全員が従うしかなかった。毒を飲まされているわけではないと理解していたから、そうするしかなかったのだ。
隣の薄汚い男が、地面を向いて嘔吐いた。シャリーンは慌てて身体の向きを逸らす。
本当に――泣きたいくらいにまずい薬だ。こんなまずいものを口に入れさせられるだなんて、拷問と変わらないではないか。
それでも、青ざめたポーション液をどうにか啜るように飲んでいると、祖父に打たれた足の痛みがあっという間になくなっていく。
これほどまでに、早く時間が過ぎ去ってくれと祈ったことはなかっただろう。どうにか最後までポーションを飲んだシャリーンは、空になった瓶を、こちらを見張っていた男に返却した。周りもそうしているが、全員の顔色は思いがけず良かった。古傷がなくなった、と囁く声まである。肩を痛めて動かせなくなった男が、あっさりと回る腕に呆然としている。
しかしシャリーンには、そんなことはどうでも良かった。早く口をゆすぎたくて仕方がない。発疹の赤みがわずかに引いた気がしたし、身体の痒みは少しずつ治まっていたが、口の中に残った苦みがひどいのだ。全員、同じことを考えていただろうが、誰も水がほしいと言える者は居なかった。
アルミンがその場に集まった全員を見回す。
「薬代については、きっちりと耳を揃えて返していただきます。その他、我々から提供する物資についてもです」
異議を唱える者は居ない。
領内で起こる揉め事すべてに、領主が無条件に責任を持つことはない。特に今回は、流行病や自然災害があったわけではないのだ。今までほとんど干渉してこなかったウェスが救いの手を伸ばしてくれたことに、村人の多くは驚いていたが、感謝しているのは事実だった。
「利子は不要です。返済期限についてもご相談に乗りましょう」
「承知しました。本当にありがとうございます、領主代行殿」
村長が満足そうに頭を下げる。ありがとうございます、と何人もの声が追従する。
だが、話はそこで終わりではなかった。
「では、支払いが滞りなく済んだあとの話をしましょう。以前から、村長にはお話ししていたことですが……皆さんが他の村や街に移住を望むのであれば、私が承認書を書きます」
(え?)
シャリーンは息を呑んだ。
移住? 今、アルミンはそう言ったのだろうか。アコ村を出て、ウェスや他の街に行ってもいいと?
(本当に、いいの? このつまらない村を出ても?)
出し抜けの発言に、焦り出したのは村長である。
「領主代行殿、それは」
「村長、私は多くのことを把握しています。あなたが私の言葉を村人に伏せていたのは、とある事情を考慮してのことではありませんね。……あなたは好き勝手に、支配者として横暴に振る舞いたかっただけ。我々の指図を受けたくなかっただけでしょう。落石も、あなたにとっては幸運でしかなかったはずだ」
悔しげに歯噛みをする村長の頭を、アルミンは冷たく見下ろす。
それから彼は村長に一歩近づき、低い声で呟いた。
「住人から回収した税の一部を、ご自身の懐に入れられていますね」
「そ、それは……」
「この件については、のちほどゆっくりと伺います」
何かを囁かれた村長の顔が、異様なまでに青ざめていた。だがシャリーンにはよく聞こえなかったし、そんなことよりもとうずうずしながら手を上げた。
「あたし――あたし、行きたいわ! ウェスに憧れてるの」
アコ村なんかよりもずっと都会だというウェス。都会や商隊から運ばれてきた流行の服や装飾品、とりどりの菓子で賑わうという大通り!
ドルフの口から聞いた朧げなウェスは、しかし、シャリーンにとっては憧れの場所だ。夢のような街だ。そこはアコ村よりもずっと自由で、楽しいところだ。シャリーンのように見目の良い娘は、貴族の男たちにも放っておかれないだろう。
しかしアルミンは、冷たい顔をしたままだった。彼はシャリーンを見るでもなく、周りを見渡していた。彼が、話の続きを口にする。
「ただしウェスでは、あなたがたを歓迎しません」
「……え?」
「ウェスに立ち寄ること自体は、禁じません。私の個人財産から、数日分の食料や水を渡してもいい。しかし街には、一泊もしていただきたくない」
「それはわしらの先祖が」
何かを言い淀む村長に、アルミンが首を振る。
「いいえ、関係ありません。……あなたがたはこのポーションや解毒薬を作ったのが誰か、お分かりですか?」
誰も答えないので、シャリーンが代表して言った。
「クナね?」
アルミンの顔を見て、正解なのだと悟る。シャリーンはにっこりと笑んだ。
「クナは、あたしが妹のように可愛がっていた子ですけど」
立ち上がり、意気揚々とシャリーンは説明する。
黄色蓋のポーションを見たとき、まさかと思ったのだ。わざとまずいものを用意するあたりも、性格の悪いクナらしい。
どうやってかは分からないが、クナはドルフと同じくウェスに辿り着いていたのだ。それならばクナと仲が良いと公言しておけば、シャリーンの待遇も良くなるはずである。
(少しはクナも役立つわね)
そう思っていたのに――アルミンは、冷え冷えとした微笑みを浮かべていた。
ぞくり、とシャリーンの背中が粟立つ。発言を取り消すべきだろうか。だが、何がアルミンの逆鱗に触れたのか分からずに、沈黙するしかない。
「気がついていたのに、一言も、クナさんへの謝罪も感謝も口にしないんですね。彼女が今どうしているか、案じる言葉すら出てこない」
「それは……」
住人たちが顔を見合わせる。自分たちがどんなふうにクナを扱ってきたのか、領主代行と名乗る男に知られているのか――そんな不安がにじみ出ている。
「……違うんです。お、恩知らずな子なんです。だからあることないこと、平気で話したかもしれませんが」
「恩知らず、ですか。ではあなたがたは、薬屋の彼に一度でも感謝したでしょうか?」
「え?」
アルミンの視線の先を、全員が追う。
急に注目されたドルフは、肩を強張らせていた。ぎこちなく顔を俯けている。大きな身体を荷馬車に隠すようにしている姿は、なんとも情けない。
黙ってしまうシャリーンに変わって、蒼白な顔色の村長がもごもごと口を開く。
「……今回のことは、薬師ドルフが招いた事態ですぞ」
「確かに彼の売ったポーションによって、村が窮地に陥ったのは事実でしょう。しかし彼は『死の森』を乗り越えて、命がけで助けを求めてきました。それなのに誰ひとりとして、彼に声をかけません。我々に口先だけの感謝をするばかりだ」
「…………」
「村長。私がアコ村の住人を受け入れる気をなくしたのは、あなたがたの心が貧しいからです。他者を貶め、平気で嘘を吐く。集団でよってたかって、ひとりの人間を痛めつける。……そして我々が過去を気にして手をこまねいたことが、この惨状に繋がったのでしょう」
アルミンはその後、こう伸べた。アコ村には常時、アルミンの使いの者をおくことにすると。
それは、ほとんど監視と変わらないように思われた。しかし誰も反論できる者は居なかった。
「あなたは村長の孫娘、でしたか」
話の終わりに、アルミンがシャリーンのほうをようやく向いた。
「……は、はい! そうです!」
シャリーンは思わず顔を輝かせる。やはり自分はこの男の目に留まっているのだと、胸の中を安堵が満たしていた。
アルミンがシャリーンを上から下まで、まじまじと見る。熱っぽい視線を感じて、シャリーンは恥じ入るように頬を赤らめた。
よく分からないことをいろいろと言ってはいたが、アルミンにとってシャリーンは魅力的に映っているのだろう。見初められたら、ウェスに連れ帰りたいと言い出すかもしれない。
するとアルミンが、優しく微笑んだ。
「良かったですね。薬で治るような傷しかなくて」
「は……」
シャリーンはぎこちなく、顔を引きつらせた。
(……やっぱりクナが、何か言ったんだわ)
そうでなければ、領主代行だという男が、ここまでシャリーンに冷たく当たることはないだろう。シャリーンは唇を噛みしめて、アルミンに事情を明かそうとした。
「あたしは……あたしはずっと、クナに嫉妬されてて」
「それは不思議な話だ。クナさんが羨むような何かを、あなたが持っているようには見えないのに」
「な――――、」
シャリーンはあまりの侮辱に、顔を真っ赤にした。しかしそのときには、アルミンはつまらないものから目を背けるようにして、とっくに踵を返していた。
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