番外編3.新しい瞳 (書籍2巻発売記念SS)
本日『薬売りの聖女』第2巻が発売です!
記念のSSを書きました。
「クナ、最近髪が伸びてきたわね」
きっかけは、そんな一言だった。
冒険者ギルドに薬草を売りに来ていたクナは、受付台に立つナディを見上げる。そうすると、視界の上部分に黒い影が映り込んだ。
「言われてみれば、そうかも」
調合のときは後ろ髪を結んでいるが、前髪は垂らしたままである。
邪魔になるし、本格的な夏を迎える前に切ったほうがいいだろう。
指の間に髪先を挟むクナに、ナディが言う。
「散髪屋には行かないの?」
「お金がもったいない」
ほぼ毎日湯浴みのときに髪は洗っているし、手入れには手作りの香油を使っている。商売人として最低限の身なりは整えているつもりだが、わざわざお金をかけて散髪を頼む気にはなれない。
「宿に戻ったら、自分で切るよ」
と返して、薬草を入れていたかごを背負い直すクナに、ナディが一本指を立てる。
「それなら、あたしが切ってあげましょうか」
「ナディが?」
「小さい頃は、セスやガオンの髪はあたしが切ってあげてたのよ。最近はいやがるんだけどね」
それなりに自信があるのだと胸を張るナディに、クナはふむと考える。
基本的にクナは、ナディという年上の友人を信頼している。しっかり者で判断は的確。お酒に弱いが、正体をなくすような酔い方はしない。セスたちもナディには頭が上がらないのだ。
そんな彼女が言いきるのであれば、クナとしては断る理由もない。
(まぁ、別に二目と見られない出来にならなければ)
「分かった。お願いしてもいい?」
「もちろん!」
ナディはきらりと目を輝かせていた。
◇◇◇
その翌日の昼下がりのこと。
約束通り、ナディは宿屋アガネにやって来た。店主の了解を得て裏庭の一角に椅子を置くと、そこにクナを座らせて散髪の準備をする。
ナディが持参した散髪用の鋏は、隣に出したテーブルの上に置いてある。両刃があるものや、片方の刃が櫛状になっているものなど、合わせて四本である。
それぞれの用途を想像していると、ナディがクナの上半身を包むようにタオルを広げる。落ちた髪の毛が服につかないようにするためだろう。
後ろに立ったナディの両手が、クナの髪を掬い上げるように触れる。くすぐったい感触にクナは目を細めた。
「何か希望はある?」
「ナディに任せるよ」
「はぁーい」
ナディはまず、霧吹きでクナの髪に水を吹きかけてから鋏を手にした。
さっそく、しゃき、しゃき、と小気味よい音を立てて、クナの髪の毛が切られていく。はらはらと視界の隅を過ぎる髪束は、思っていたより量が多い。
(人に髪を切ってもらうのなんて、初めてだな)
調合の腕前は完璧だったマデリだったけれど、そういう細やかさとは無縁の人だった。幼い頃から、クナは髪が伸びてきたと思ったら自分で鋏を入れていた。
アコ村では容姿をからかわれることも多く、黒髪も橙色の目も不気味だと嘲笑われた。下手な散髪をすると、笑い声はより大きなものになったけれど、髪を上手に切る練習をするくらいなら調合の練習がしたかったのだ。
「クナ、少し上のほうを向いて」
「うん」
頷き、クナは空を仰ぐように首を動かす。
クナを見下ろすように広がる青空には、雲ひとつ浮かんでいない。じめじめとした雨の日々が終わり、ウェスにはもうすぐ夏が来るのだ。この街で迎える初めての季節を予感すれば、クナの胸は少しだけ弾んだようだった。
「苦しくない?」
「うん。平気……」
ぽかぽかとした太陽の光を浴びながら。
後ろ髪を柔く引っ張られる感触は、頭を撫でられているようで不思議と心地よくて――気がつけばクナは、ゆっくりと目を閉じていた。
……はっ、としてクナが目を開けたときには、太陽の位置がずいぶん変わっていた。
「あ、クナ。起きた?」
気がついたナディが笑顔を向けてくる。
どうやら気持ち良くて眠ってしまっていたらしい。クナは気恥ずかしさと申し訳なさで目を伏せた。
「ごめん。寝てた」
「いいのよ。今終わったところだから。……どうかしら?」
ナディから受け取った手鏡を持ち、クナは自分自身の姿をそこに映しだす。
鏡の中から見返してくるクナは、橙色の瞳をぱちぱちと瞬いている。目には前髪がかかっていないが、それ以外の変化はすぐには分からない。
「少しボリュームがあったから、全体的に減らしてみたの。ちょっとだけ短くしたけど、髪形はそこまでいじってないわ」
片手で後頭部に触れてみて、クナは満足げに頷く。
「うん。軽くていい」
「それなら良かったわ」
ナディは嬉しげに言ってから、クナに後ろから抱きついてくる。
「クナの目、すごくきれいだもの。髪で隠れて見えないなんて、もったいないと思ってたのよ」
種明かしの口調で告げられれば、橙色の目をしばたたかせたクナは、ほのかに口元を緩めたのだった。







