閑話1.村の救い主1
あとがきにてお知らせがございます。
「う……」
シャリーンは、自分の呻き声を聞いてゆっくりと目を開けた。
まず、低い天井が目に入る。窓から斜めに入ってくる日が、ちらちらと舞う埃を雪のように光らせている。
シャリーンの住む家の敷地に設えられた、小さな倉庫である。高熱を出したシャリーンは、ひとりで倉庫に移動していた。糞尿が垂れ流しになっている集会所などお断りだったからだ。だからといって家に居ると、同情するような祖父や父母の目に晒されるので、こうして出てきたのだった。
倉庫の中は家政婦に掃除をさせ、粗末な寝台を作らせた。自室と異なりみすぼらしい、掘っ立て小屋のような倉庫を見回すたびに、辟易とさせられる。だがここに移り住んで二日経った今となっては、首を動かして倉庫を見回す体力もなかった。身体を少し動かすだけで、あちこちに鈍い痛みが走るからだ。
枕元においてあった水差しに、シャリーンは直接、口をつけた。生ぬるい水が、狭い喉の中を上滑りしていくようで、眉をひそめる。
昨夜のあと、水が替えられていないようだ。余計に気分が悪くなった気がして、シャリーンは再び仰向けになった。
当初、シャリーンの症状は他の村人に比べると軽かった。しかし美しい顔にできものが生じたのが、シャリーンには許せなかった。家にあった何かしらの軟膏を、手当たり次第に塗ってはみたが、痒みは治まらずに、爪でかりかりと掻いた発疹はますます赤く膨らんでいった。シャリーンは、持ち込んだ姿見を花瓶でたたき割った。醜く変わり果てていく自分を、見ていたくなかったのだ。
高い熱も下がらないままだ。全身が怠く、頭がぼぅっとしている。浅い眠りの中、何度も奇妙な夢を見ては、うつらうつらと目を覚ます。繰り返しの日々には終わりがなく、うんざりするどころか恐怖しつつあった。
数日前の深夜、伸びきった枝が窓を叩く音にまぎれて、どこか遠くのほうから、大きなものが砕けるような音が聞こえた気がした。
だが、それも悪夢のひとつだったのかもしれない。現実と夢の境目も、次第に薄らぐように感じている。
「ドルフ……」
なんとなく、その名前をぽつりと呟く。
無人となった薬屋は、体力のある村人で手分けして、毒に関わる書物か何かがないかと探させた。店中をひっくり返す勢いで探したが、結局、なんの収穫もなく、今日に至っている。
誰も呼びに来ないということは、今もドルフは戻ってはいないのだろう。
――いや、そんなの、最初は誰も期待していなかった。毒入りのポーションを売り、こんな事態を引き起こした薬師など魔獣に喰われればいいのだと、全員で『死の森』へと追いやったのだ。
しかし不思議だった。追い詰められると、ドルフが森を通って生還し、助けを連れて帰ってくることを期待してしまうのだ。過去のシャリーンがドルフに抱いていた愛情が、わずかにも残っているわけではない。ただそんな都合の良い奇跡を、漠然と願っているだけだった。
(ドルフじゃなくて、いいわ。クナが戻れば……)
ドルフは恐ろしく欲望にまみれた男だった。妹であるクナが作った薬を、自分の調合したものだと偽り、村中からの尊敬の念を集めていたのだ。
未だ、信じがたいことではあるが……クナが真に優秀な薬師だったというのなら、恐ろしい森の中でも、案外生き残っているのかもしれない。シャリーンはクナの無事を祈った。昨夜も、窓から見える星に向けて祈っていたのだ。
(帰ってきたら、一応謝ってあげないと)
悪いのはドルフだと、クナだって分かっているだろう。詐欺師に騙された村人にはなんら罪はないのだ。もちろん、シャリーンも含めて。
しかしクナは、つまらないことを根に持つ少女だ。シャリーンの美貌に嫉妬して、睨みつけてきたこともしばしばある。形だけでも謝罪すれば、納得するだろうが。
考えていると、ぐったりと疲れてくる。しかし深く眠ることもできないから、シャリーンは乱れた寝台の上でぼぅっと天井を見上げていた。
また、できものを掻きたくなる。顔や首に多いが、腕や背中にもできている。衣擦れするだけで痒さが増して、苛立って叫びたくなる。しかし掻くと、余計に痒みが増す。軟膏を塗ったり、冷やしたり、患部をおさえたりと、いろいろと試してみたが、何も効き目がない。
「なんで、あたしがこんな目に、遭うのよ……」
伸ばした白い爪の中は、血と皮膚で汚れている。
膨らんだできものの横を、シャリーンは掻いた。赤い引っ掻き跡がいくつもある。唇を噛んで涙を堪えていると、外から何やら物音が聞こえてきた。馬のいななき。何人かの足音……。
(……馬?)
シャリーンは目を瞠る。
祖父が飼う驢馬の声ではない。驢馬は全身をゆするようにして、ひーほー、と不思議な鳴き声を上げるのだ。しかし外から聞こえてきたのは驢馬ではなく、馬の声だった。
「お嬢様」
木戸を叩く音と、家政婦の声が聞こえた。シャリーンは身を起こした。疼くような期待が、胸の内に湧き上がっていた。







