番外編1.流れる星 (書籍発売記念SS)
「薬売りの聖女」書籍版発売を記念し、ちょっとしたSSを書きました。
クナは静かに目を開けた。
確認せずとも、まだ時刻が深夜であるのは明らかだった。小さな窓から差すのは朝日ではなく、青白い月光であったのだ。
上半身を起こす際に、ぎしっ、と古いベッドが軋んだが、クナの足元で丸くなったロイは目を覚まさなかった。すっかり寝入ってしまったようで、ぷすん、ぷすん、と鼻が詰まったような寝息だけがわずかに聞こえてくる。
乱れた髪を適当に撫でつけたクナは、何気なく窓のほうを見やる。
そこで彼女は、大きく目を見開いた。窓の外をじっと見つめてから、何か思い立ったようにベッドから出る。薄い毛布をロイにかけてやると、クナは足音を忍ばせて部屋を出た。
光源となるのは、ささやかな月光だけである。
誰もが寝静まった時間帯だ。他の部屋の客を起こすのは本意ではないので、クナは気配を殺しながら廊下を歩いていく。
目的の場所は、二階の西側に設けられたバルコニーだ。何かの間違いでできたような代物で、二人も並べないほど狭いのだが、ここなら大窓の内側から鍵を開けて、外に出ることができる。
知らずどきどきと騒ぐ鼓動を覚えながら、クナは簡素な仕組みの内鍵を外して狭いバルコニーに出た。
夏といっても夜は冷える。冷えた空気にふるりと小さな身体を震わせてから、手すりに両手をやり、クナは窓越しではない夜空を見上げる。
「流星……」
掠れた声で、クナは呟いた。
部屋からも見えていたもの。それは、紺色の空を秘やかに流れていく星である。
アコ村では、星が流れるのは不吉なことだとされていた。
凶兆を意味し、主に不作や自然災害を予感させるもの。実際にクナが生まれる前、数えきれないほど星が流れた翌日に、村が大雨の被害に遭ったこともあるという。
だがウェスでは打って変わって、流星は人の死を意味するらしい。
そう教えてくれたのはナディだ。人は誰しも生まれつき、自分だけの星というのを持っている。肉体が死を迎えれば、解放された魂は星となって空を流れていくのだと、そう彼女は言っていた――。
どちらが正しいのか、クナには分からない。分からないなりに、ウェスに伝わる解釈には思うところがあった。
クナは顎をくっと持ち上げて、星空に目を凝らす。
(……マデリばあちゃんが死んだ日も)
夜空に、星は流れたのだろうか。
悲しみに暮れて泣き喚くばかりのクナは、あの夜、空を見上げようとすら思わなかった。そんなことを思いつく心の余裕がなかった、というのが正しいだろう。
(ロイ……あの小さな犬が死んだ日は?)
ロイが死んだ日、洞窟に連れていかれて体罰を受けたクナには、空を見ることなんてできなかった。
クナが大切な存在を喪った夜、空はどんな顔をしていたのだろう。もし今のように星を流していたのなら、いつかクナが死ぬ日も――同じように、するのだろうか。
(私の、星)
広い夜空に探そうとしたって、そんなものは見つからないけれど。
クナは、ささやかな輝きを両の目に焼きつける。祈ることも、何かを願うこともせず、ただ見つめていた、そのときだった。
「うっ」
クナは短い悲鳴を上げる。
もたれていた手すりが、ぎしゃっ、といやな音を立てたのである。慌てて手を離して後ろに下がると、木製の手すりがぐらぐらと頼りなく揺れているのが目に入る。
「……こんなところで死ぬのは、ごめんだな」
苦笑したクナは、さっさと室内へと引き返す。
彼女が施錠し直した窓の外で――その小さな背中を見送るように、きらりと光る星が流れていった。







