第67話.冒険者組合長
誰もが固唾を呑む中、クナはあくまで淡々としている。
陽光を反射して、刀身がぎらりと光る。まぶしさに耐えかねたように店主ウルが目を背けた。その顔色は、目に見えて悪くなっている。
「ど、どうせはったりだろう」
「はったり? どうして?」
最も確実で、信頼できる方法だ。
修練に励む薬師は、鼠や兎などの小動物を捕まえてきて、わざと傷を作ってポーション液を飲ませたりする。回復力を見定めるのに手っ取り早いからだ。
幼いクナは、いつも自分の腕を切りつけて試した。マデリにはばれないようにやっていた。ポーションを飲んで、良し悪しが分かるようになるまでは、そうしていた。太い血管を切りつけてしまって、死にかけたこともある。今では懐かしい思い出だ。
「私がそっちのポーションを飲んで、そっちが私のポーションを飲めばいいね」
またケチをつけられては堪らない。公正を期すためには、そうしたほうがいいだろう。
まだウルは何か言っていたが、クナは自身の二の腕に躊躇いなく小刀を振り下ろした。だが頭に、覚悟していた電撃のような痛みは走らなかった。
――小柄を握ったままの手を、上から包むように握られている。
リュカだった。読めない笑顔でにこにこしている。なんとなく、怒っているような気がする。そう感じたのは、この数日間の付き合いのおかげだろうか。
大きな手は、意外にも振りほどけなかった。力をこめても、びくともしない。単純な力でいえば、小柄なクナよりもリュカはずっと強いのだ。
「クナ。試すならオレの腕でな」
クナの手ごと、リュカが動かす。引き寄せられたクナの肩がリュカの肘に当たる。
リュカは、自身の手首に小刀の切っ先をぴたりと当てている。あまりの事態に、アルミンは先ほどから口を開けたり閉じたりしていた。何も言わないのは、リュカからにじみ出す怒りの気配が強いからだ。付き合いの浅いクナさえ読み取った感情を、兄であるアルミンが見落とすはずもない。
「クナが自分の手を切ったりしたら、怒るぞ」
クナの身体である。何をしようと、他人に怒られる道理はない。撥ねつけようとしたが、クナはそこで口を閉ざした。
(リュカの「怒る」は、少し、違う)
クナが役立たずだと怒鳴りつけるドルフのそれや、不甲斐ないと責め立てる村人たちのそれと、リュカの怒りとは、根本的に違うように感じたのだ。
「……怒るのは、どうして?」
だからクナは、そう訊ねた。リュカはクナのほうを見ずに、はっきりと答えた。
「ポーションのすごさを証明するためだとしても、クナが傷つくのがいやだから、だな」
あ、とクナは思い出す。既視感を覚えていた。
八歳の頃、どこまで回復力が高まるか試したくて、わざと手首の血管を傷つけたことがある。出血がひどくて死にかけたクナを発見したマデリは、目を三角にして怒ったものだった。
叩きつけるようにポーションを飲まされて、クナは辟易としたものだったけれど――馬鹿だね、馬鹿だね、と繰り返しながら尻を叩いてくるマデリの声は濡れていた。あとにも先にも、マデリから涙の気配を感じたのはあのときだけだ。
「それは、ごめん」
「……おう」
素直にクナは謝った。リュカは一瞬、驚いた顔をしたが、まなじりを下げている。
リュカが手を離した。もう安心だと思ったのだろう。しかしクナは、握り込む小刀をアウルに返しはしなかった。
「じゃあ、そっちの店主の腕だけ切ろう」
鋭い切っ先はしっかりとウルに向いている。クナとしては折衷案のつもりだ。切って、ポーションを飲む。たった二回繰り返せば終わりだ。
そう来たか、とリュカが苦笑する。いちいち予想を超えてくるクナに、笑うしかない様子だ。
ウルは苦笑どころでなく「ひっ」と息を呑み、顔を青ざめさせると、息子であるアウルの背に隠れた。クナが冗談で言っているわけではないと、さすがに気がついたらしい。
「その必要はないわよ」
そこに、涼しげな女性の声が響き渡る。
別館に近づいてくる二人が居た。後ろが制服姿のナディ。前を歩くのは、見知らぬ初老の女性だ。
艶やかにさえ思える白髪を、頭の後ろでまとめている。肌は褐色のため、異国の血が流れているのだろうか。
隙のない上品な化粧を施しており、赤い唇は優雅に笑みを描いている。腰は曲がっておらず、背中に板でも入れたように背筋が伸びた姿には、香り立つような気品がある。
女性にしては長身な彼女が、優雅に会釈する。
「来てくれましたか」
アルミンがほっとしたように呟く。どうやら呼んだのはアルミンらしい。
切れ長の目の下に、笑い皺ができている。彼女は、クナの前までやって来ると。
「初めまして、クナさん。冒険者組合の長を務めます、ロビンと申します」
「……初めまして」
白手袋を外してから差し出された右手を、クナは見つめる。右手は小刀を握っているが、持ち替えてから握るべきだろうか。
逡巡した一瞬、ロビンが素早くリュカに目顔で合図を送る。小刀はリュカによって回収された。クナは空になった右手で、ロビンの手を握った。その頃には、クナの興味は目の前の彼女に移っている。別にクナだって、好き好んで血を流したくも、流させたくもないのだ。
(冒険者組合長……)
ナディが言っていた。組合長ならばポーションを鑑定できる、と。
腕を切る必要がないということは、彼女がクナとウルのポーションを鑑定してくれるということだろう。どんなものだろうかと、現金にもクナはすっかりわくわくしている。
そんなクナに、ナディがこっそり耳打ちしてきた。
「クナ。今度ああいうことしたら、あたしも怒るからね」
(う……)
クナは怯んだ。
会話の詳細まで聞こえていたわけではないだろうに、今のナディの笑顔にはリュカに負けない迫力があった。







