第66話.妨害と返答
アルミンの確認に、クナは迷わず頷いた。
(そうか。まだ、解毒されてなかったのか)
自然に中和される毒ではない。身体は時間が経つにつれて弱り続けるだけだ。
今頃は高熱が出て魘されている頃だろうか。想像はついたが、哀れむ気持ちは起きなかった。ドルフへの情は、クナの中に残っていない。枯れ果てた泉に、二度と水が湧くことはないように。
「もちろん、構いません」
クナは作っておいた説明書をアルミンに渡した。口頭でも簡単に飲ませ方を説明する。
本来であればクナもついていくべきだろう。薬の効果をこの目で確かめるべきだ。しかしクナには、そうする気が起きなかった。ドルフの顔を見たくなかったからだ。
数分で、アルミンと秘書が玄関口まで戻ってきた。
薬の効き目については、その顔を見れば明らかだった。彼らの頬は分かりやすく上気していたのだ。
「すばらしいです、クナさん。本当にすばらしい!」
アルミンが両手を勢いよく上下に振っている。なんだか小さな子どものようだ。リュカは見間違いを疑うように目蓋をこすっている。
「ほんのわずかな量の粉薬を、ポーションで飲み込んだだけであんなに効くものですか!? 魔法でも見ているような気分でした。聞きしに勝る薬師ですね、クナさんは」
(褒めるのがうまいのは、この家の人間の特徴なのか?)
「ありがとう、ございます」
頬の皮膚をぐにぐにしながら、クナは返事をする。にこやかにお礼を言うだけの表情筋を、クナは備えていない。にやけたら変に思われてしまう。
「さっそく薬をアコ村に運搬する準備をします。まだ契約書の作成もできていませんでしたが、クナさんには今日中に代金をお支払いします」
「でも、街道には落石があるんじゃ」
いえいえ、とアルミンが首を振る。
「昨夜、大きな音がしたでしょう。もしやと思って様子を見に行かせた部下から今朝、報告を受けました。テン街道の落石が砕けて、道が開通していたと」
「え?」
「理由は分かりません。落雷があったわけでもありませんし……ですが僥倖でした。荷馬車も問題なく通れるとのことなので、本日の昼には物資と薬を載せて出発を予定しています」
それでクナが来る前から、みんなで明るい顔をしていたらしい。
クナは昨夜のことを思い出していた。遠くから聞こえた、何か大きなものが砕けるような音。
しかし、まさか自力で、大きな岩が砕けるわけはあるまい。
「ロイ」
「きゃうん?」
クナは、お前か、という顔をしていたのだが、ロイは無知を装って首を傾げてみせるだけだった。自分の仕業だと、認める気はないらしい。
そういえば昨夜会った老人は、落石など大した問題ではないと言いたげだった。あれはロイの力であれば、すぐに解決できるということだったのか。
(つくづく、分からないことだらけだ)
しかし街道が使えるようになり、こうして薬もあるのだから、問題はほとんど解決したということだ。
クナの薬は、アルミンの指示のもと、さっそく荷馬車の荷台に詰め込まれることになった。領主の部下や使用人らがぞろぞろと出てきて、木箱を荷台に載せていく。アルミンは支援用の物資もすでにまとめさせていたようだ。手抜かりのない次期領主である。
クナも詰め込みを手伝おうと思ったが、笑顔で断られてしまった。無力なクナとロイがぽつんと柱の傍で見守っていると、重い木箱を二つまとめて脇に抱えて持ち上げながら、リュカが声をかけてきた。
「クナ、朝からお疲れ様」
「そっちこそ。イシュガルさんはどう?」
「今朝も温湿布で顔と首を温めて、散歩もしたぞ。かなり食欲も出てきたみたいだ」
そんな二人を、使用人たちはやたらと和やかな目で見守っている。
どこか緩んだ空気が流れていたが、そこに息を切らして走ってくる二人の男が居た。クナはその二人組に見覚えがあった。
「ウル殿と、アウル殿。どうされました?」
薬屋の店主とそのせがれだ。アルミンが呼びかけたが、ウルはまともに返事をせず、眼球を忙しなく動かしている。
荷馬車に運ばれる木箱の中身をちらと見て、柱に背を預けるクナをご丁寧に睨みつけてから、アルミンに視線を戻す。
「約束が。約束が違いますよ、次期領主殿」
「約束ですか?」
アルミンは不可解そうに首を傾げる。まだウルの息はぜえぜえと切れている。
「私どもに薬を発注するとおっしゃいましたよね。ウェスの次期領主ともあろう方が、約束を違えるおつもりですか?」
「ええ。私は『恵みの葉』に依頼を予定していましたが、あなたは返事は保留にしたいと。ですから、より早く薬を作れるという薬師に依頼しました。それだけのことです」
何も問題はないとアルミンは言う。端で聞いているクナも同意見だ。契約を締結しているわけでもないなら、ウルが文句をつける道理はない。
だが落ち着き払ったアルミンの態度が許せなかったのか、ウルはますます顔を怒りに赤く染めていた。厚ぼったい唇がぶるぶると震えて、目はつり上がっている。アウルは口出しするつもりはないようで、黙って親の後頭部を後ろから見守っている。
クナはなんとなく、この先の展開が読めた。四人の冒険者が重傷を負った際も、いろいろと喧嘩を売られたことは覚えている。どうやら薬屋の店主は、クナのやることにいちいち目くじらを立てずにはいられないようだ。
思った通り、彼はクナの顔を指で指すと声を張り上げた。
「あの女が、我々より早く、五百もの薬を調合したと言うんですか!」
勢いよく唾が飛ぶ。アルミンにかかったかもしれない。だが表情ひとつ変えず、アルミンは涼しい声で返す。
「ご覧の通りです。品質に問題がないことも、私のほうで確認しています」
「素人のあなたが、品質を確認したと?」
「そうです。素人の私が見ても、明らかに優れた品質でした」
嘲笑うような物言いにも、アルミンはまったく動じない。殺気立った部下たちを、彼の滑らかな言葉が落ち着かせている。
アルミンに何を言っても無意味だと察したのか。ウルは矛先を移すことにしたらしく、身体ごとクナに向けてくる。
「きさま――どうせ水で薄めたポーションでも納品したんだろう。それかあれは、草花で青色をつけた水か? 嘘がばれる前に、素直に白状するといい」
懐からポーション瓶を取り出して、見せつけるように左右に振っている。
「ここに、私の作ったポーションがある。お前の作ったポーションとは比べ物にならないほど優れたものだ。金のために粗悪な商品を売りつける薬師などが居るから、私たちのような薬師が迷惑を被るんだ」
だが、ウルは知らないことではあるが――肝が据わっているという点では、クナという少女は他者を凌駕している。
「なら、手っ取り早く飲み比べでもするか?」
「……なんだと?」
「それ貸して」
クナが指差すのは、ウルの後ろに立ち尽くすアウルが、腰に差した小刀だ。
冒険者でもない彼にとっては、飾りのようなものなのだろう。クナが示す先を見ても、アウルは何を言われているのか分からないような顔をしている。クナはその沈黙を肯定と取った。
さっさとアウルに近づき、鞘から素早く小刀を抜く。閃く刃に、アウルがぎょっとして身を引く。
そしてクナはその新品のような切っ先を、呆然としているウル――ではなく、自身の腕へと突きつけると。
「今から私とあんたの腕を切る。どっちが早く治るか、試すのはどう?」







