第65話.謎めいた少女
アルミンたちは、クナを連れて別館へと入った。
玄関口には木箱が積み上げられている。厨房の床からまとめて移動してきたものだ。中身は黄色蓋の瓶、それに壺だ。昨日のうちにクナの作った薬である。
「ありがとうございます、クナさん。まさかこれほど早く仕上げていただけるとは思いませんでした。昨日は留守にしていて、確認が遅れてしまいすみません」
申し訳なさそうにアルミンが伝えると、クナは首を横に振る。表情の変化に乏しい少女だった。しかしアルミンに対し、怒りを感じている様子はない。
木箱の中から、アルミンはひとつの瓶をとりあげた。
「ただ、ひとつだけ確認したくて。こちらのポーションの色は青いですよね。店でよく見かけるような初級ポーションとは、色合いが違うような気がしますが」
「はい。これは中級ポーションですから」
淡々とクナが答える。黙り込むアルミンに、後ろのリュカが補足する。
「アルミン兄さん、間違いないぜ。オレも隣町で一度だけ見たことがあるし、オレを救ってくれたのもクナの中級ポーションなんだ。前に説明しただろ? この前、『死の森』に入った冒険者四人を救ったのだって、クナのポーションだってみんなが教えてくれたんだ」
アルミンはリュカの言葉に頷いただけだった。何もアルミンは、弟の言うことを疑っているわけではない。次期領主という立場からして、自分の目で見ていないものには、曖昧な反応にならざるを得ないのだった。
(このように年若い少女が、本当に自力で中級ポーションを調合したのだろうか……?)
失礼だと分かっていても、クナをじろじろと見てしまう。外見だけなら、どこにでも居るような、可愛らしいだけの平凡な少女に思える。しかし彼女を取り巻く噂の内容は、異常である。
『死の森』を無傷で、たったひとりで通り抜けてきたこと。森で死にかけたリュカや、重傷を負った冒険者四人を救ってみせたこと――まるで物語の中から出てきた英雄か聖女のような活躍譚の数々を、そのまま信じろと言われても難しい。
だが、リュカは話を大袈裟に盛ったりはしない。直情的だと思われがちなリュカだが、実際は違う。いつも周囲を冷静に観察している弟だ。そんなリュカがクナを、大袈裟に思うくらいに買っている。
そしてクナが『死の森』をひとりで抜けたのも事実だろう。落石があって街道が塞がっていたのだから、当然ではあるが――弱り切ったドルフの口からも、その旨をアルミンは聞き取っていた。クナを虐げた村の人々の蛮行についても、アルミンは知ることとなった。
最果てにある村が、どんな村なのか。
人々はとっくの昔に忘れ果てた。国王には連綿と語り継がれてきたはずだが、先の王が言い残す前に崩御したというから、当代の王はアコ村の名すら記憶に留めてはいないだろう。
知っているのは、アコ村の代々の村長と、ウェスの領主を務める人間くらいだ。次期領主として定められたアルミンは、成人を迎えた日に父からその話を伝えられた。おとぎ話のようなものだと思っていたが、今やアルミンには強い実感がある。
――病む者に、あまねく癒やしの手を差し伸べた聖女。
彼女がこの地に残した者は多い。ポーションもその叡智の結晶たるひとつだと言われている。
聖女によって、どれほど多くの人々が救われたことだろう。老いることがなく、この世のものとも思えぬほど美しかったという聖女は、役目を終えて、この地を笑って去ろうとした。
しかし人の欲望とは醜いものだ。王族はそれを許さなかった。聖女に王族との婚姻を強制したのだ。聖女は王の命令を拒み、聖獣に跨がると、射かけられる矢をすべて光で弾いて、深い森へと去って行ったと言われている。そして二度と、姿を見せることはなかった――。
(聖女と聖獣をこの国に呼び戻すために、古き王は罪人の村を作った……)
王は病んだ村を、森の傍にわざと作り出したのだ。そうすることで聖女を呼び戻そうとした。心根の汚さが筒抜けだったのか、聖女側に何か理由があったのか、聖女は現れなかった。そして穏やかだった森は、死の森と恐れられるほどの穢れをまとうようになったのだ。
ドルフによれば、クナは老いた薬師が森から拾ってきた子だというが。
(森で薬師に拾われた少女、か)
偶然とは思えない。クナと聖女には、何か深い関わりがあるのかもしれない。
しかしクナ本人に確認する気は起きなかった。リュカによれば、本人は「セイジョ」という言葉の意味すら分からず困惑していたという。そんな彼女に、アコ村がどんな村か、アルミンの判断で勝手に打ち明けるわけにもいかない。
それに――不自然なほどに、クナはアコ村での出来事を語ろうとしない。それは彼女にとって、村での日々が苦痛であふれているからだろう。
まるで何度も人に手を差し伸べながら、最後には裏切られて、たったひとりで森へと帰っていった聖女のように。
(……本当に、痛ましい)
どうしようもなく、アルミンはクナに同情を覚える。
しかし痩せ細った少女の橙色の目は、他者からの同情を寄せつけない。凛としていて、まっすぐで、射抜くような強さでアルミンを見返す。ともすればこちらが呑み込まれそうだと思う。父や老獪な貴族たちとも異なる、末恐ろしいほど芯のある目だ。
アルミンは意識して、深く呼吸をする。
今は、彼女に圧倒されている場合ではない。その正体についても、追究すべきときではないだろう。
「――では、さっそく効果を試しても? ドルフに、解毒薬とポーションを使いたいと思っています」
思っていた通り、クナは迷わず頷いてみせた。
アルミンの目には、彼女がその言葉を待ちかねていたようにも見えたのだった。







