第62話.ウェスという街
注文した料理が、テーブルの上に次から次へと運び込まれてくる。
大麦パンに燻製の腸詰め。香草を振りかけた芋揚げに、魔鳥と野菜の串焼き。白身魚の葉包み焼きに、蒸した塩漬け豚肉、とろとろと煮込まれた鶏卵と魔鳥卵の盛り合わせ……。
たっぷりと料理が盛られた皿や器が並びきるより前に、同じ卓の男たちは手を伸ばしている。そこら中から漂ってくる食欲をそそる匂いに逆らえず、クナも串焼きを手に取った。
肉の色が変わるくらい塩胡椒が振りかけられている。湯気が出るのもお構いなしに、ぱくりと口に咥えると。
「おいしい!」
思わずクナは声を上げてしまった。別のテーブルに皿を運ぶ店員が、にやりと笑っている。そうだろうと言いたげだ。
じゅわりと肉汁が、舌の上を跳ねるようにして広がる。切った野菜と交互に食べるので、まったくくどさがない。持ち手側に残った肉を、クナは歯で引っ張るようにして、口の中で咀嚼した。
「魔鳥の串焼きは最高だよな。よく分かる」
白い歯で肉をちぎって食べているのはリュカだ。貴族の子息とは思えぬ、礼儀作法のない食べっぷりだが、それこそこの場に正しい作法ともいえる。お互い串までしゃぶっている。肉の香りと味が移っているような気がするのだ。
柔らかな煮卵にはちょんと塩をつけて、味そのものを楽しむ。ニワトリが産む卵の倍以上はある魔鳥卵には、付け合わせの黄色いトユという調味料をつけて、半熟の黄身を煮汁につけてから口に入れると、舌にぴりりと来て旨みが増した。
「パンを煮汁に浸してもおいしいわよ」
隣のナディにすすめられた通りに、煮汁に浸けた大麦パンを頬張ってみて、クナはうっとりとした。
「クナって笑えるんだな。知らなかった」
その様子を見ていたセスがしみじみと言う。ガオンも珍しげにしている。ガオンは屈んで豚肉の切れ端をロイに分けてやっている。
指摘されて初めて、クナは自分が笑っていることに気がついた。頬に触れると表情筋が緩んでいる。愛想がないと言われてから張り詰めていた顔だ。不細工だと嘲笑われるのが億劫で、表情らしい表情をしばらく浮かべていなかった。
(そういえば……)
そうか、と思い当たる。今までリュカやウェスの人に、お礼を言われるたびに、なんだか口角が震えるような不思議な感覚がしていた。
変な顔をしてしまいそうで、頬肉を引っ張ったり後ろを向いてやり過ごしていたけれど、あのとき自分は、笑おうとしていたのだ。そんなことにも気がついていなかった。
「……あの。セスとガオンに言いたいことがある」
突然なんだと、二人が目をぱちくりとさせる。
「リュカとナディにも」
「どうしたんだ、クナ」
大きなカップを両手でぎゅっと握り締めて。
絞り出すように、クナは呟いた。
「……あり、がとう、ってずっと……言いたくて」
クナはその言葉を、ずいぶんと久しぶりに、自分の意志で口にした気がした。
ドルフや村人たちに感謝の言葉を強制されるたびに、心が少しずつすり切れていった。今は、どんなにぎこちなくても、ただ伝えたいと思っていた。リュカが、笑顔でその言葉をクナに向けてくれたように。
「でも。どうしてセスとガオンは、私を助けてくれたの?」
ドルフに追われていたとき、二人は詳しい理由も聞かずにクナを庇ってくれた。
ずっとその理由をクナは考えていた。あれから二人からなんの要求もない。セスは酒を飲ませようとしてきたが、あれは軽口の一種だろう。
芋揚げをつまみながら、セスが首を傾げる。
「それを言うなら、クナは『死の森』でリュカを助けただろ。それはどうしてだ?」
銀狼に導かれ、試すような目を向けられたから――というのは、おそらく理由になっていない。
(それでも私には、あの場を去るという選択肢もあったんだから)
「偶然、居合わせただけ」
「だろ。謝礼がほしくてリュカを助けたわけじゃない。だってリュカと再会できる見込みはなかったんだから」
セスは次に取った芋揚げの先を、クナに向けてくる。油が染みて、ややふやけている。ぽとりと油が垂れる前に、セスが口に咥える。
「お礼がほしくて助けることもあれば、偶然ってこともあらぁな。どっちも正しくも間違ってもない。どっちもよくある話だ」
「そうだね。あとは、恩返しっていう場合もあるけど」
ガオンがあとを引き取る。犬好きなのか、腸詰めをロイにやっている。厳密にはロイは狼だが……。
「でも僕らは、クナさんがリュカの恩人だから助けたわけじゃないよ。これって分かる?」
クナは眉根を寄せる。分かるような、分からないような気がする。
困った顔のクナを、リュカは心配そうに、ナディは何か言いたげに見ていたが。
「つまりだ。何が言いたいかというと、《《人の奢りだと飯はもっとうまい》》」
声を合わせたセスとガオンがジョッキをぶつけ合う。
肩を竦めたリュカとナディもジョッキを掲げる。ナディは酒豪のようで、後ろには酒樽が運び込まれている。
きょとんとしていたクナは、二人の言葉の意味を考える。
奢るというリュカに、クナは断った。奢られる理由がなかったからだ。でも。
(リュカは、私に何かを要求するために、ああ言ったんじゃない)
彼には、そんなことをする必要はないのだ。今、クナに分かるのはそれくらいのことだった。
(今は分からないことも、いずれ、分かる日が来るだろうか)
この街で生活するうちに、そんな日が、クナにも訪れるのだろうか。
「クナ知ってっか。これにはエールがよく合うんだぜ」
セスは串に通したイカの乾物を、しゃぶるように口の端から入れている。
普段のクナならばそう、と流していたかもしれない。でもなんとなくそのときは頷いていた。
「じゃあ一口ちょうだい」
「おうとも」
セスが出そうとしてきたジョッキの横から、リュカの手が伸びてくる。
「こっちでもいいかクナ」
「どっちでもいい」
味は同じである。ナディとガオンが口元をおさえて震えている。噴き出したセスはリュカに殴られている。
イカの乾物を食べたクナは、続けざまに赤いエールを一口飲んでみた。少し生ぬるくなっているが、コクがあって飲みやすい。柑橘類に似たような味もする。
「確かに、うまい」
「だろ!」
自分の頭を撫でながらセスがへへへ、と怪しい笑みを浮かべる。どうやら喜んでいるらしいが不気味だ。
天井からいくつも吊るされたランプから、温かな橙色の光が広がり、ヤンの香りが漂う。甘いものを注文したくなったのか、ガオンが店員を呼んでいる。
(ああ、そうか)
橙色の店内を眺めるクナには、椅子がいらない理由がようやく分かった。
「おお、リュカ。復帰したって聞いたが、街の外じゃちっとも会わねえな」
「セスとガオンがわびしく木の実を拾ってたぞ」
「親孝行中だからな。二人にはしばらく木の実と魔兎狩りをしてもらう」
「そういえば兎肉を頼んでないな。おれとガオンが狩ってきた肉を味わわないと」
「セス。納品先、隣町よ」
麦芽の香りが弾ける。炙られた肉の香りが漂って、木の実を噛み砕くがりがりという音と、笑い声が響く。
クナは顔も名前も知らない冒険者があちこちからやって来て、リュカやガオンに親しげに絡む。激しくジョッキを合わせ、肩を組んで豪快に笑う。椅子があっては邪魔なのだろう。
同じ卓についているのに、どこか別世界の出来事を覗き見ているような気分だった。クナはぼんやりと細い乾物の切れ端をかじっていたが、そんな彼女に頭上から声がかけられた。
「おっ。そっちに居るちっこい嬢ちゃん、もしかして噂の薬師か?」
リュカと話していた冒険者に言われ、クナは首を傾げる。どういう噂か分からないからなんとも答えかねたのだ。
「リュカが女の尻追っかけるなんて初めてだからよ、俺たちみんな驚いてんだ」
おい、とリュカが口を挟もうとする。まだ二杯目だが妙に顔が赤い。
「リュカに尻を追っかけられたことはないけど」
淡々とクナは事実を述べた。一拍おいてどっと笑い声が上がる。笑われた意味はよく分からないが、不愉快な笑いではなかった。
「こりゃあ大物だ。あんた名前は?」
「クナ」
次々と顔を出した冒険者たちが名前を名乗ってくる。クナはとりあえずジョッキとカップを合わせて乾杯をする。中には女の冒険者も居る。今後の常客になりそうだと、クナは全員の顔と名前を覚えていく。大して酒を飲んでいないので、頭の回転は鈍っていなかった。途中から乾杯のあと、喉を動かす振りをしている。
酒が入ってますます陽気になった男たちが、酒樽の上に座って樽を叩き出す。
床板を鳴らして、あちこちで人々が腕を組んでいる。セスやナディたちもだ。明るい歌声が、店内からあふれる。ロイは立ち上がって、尻尾をはち切れそうなくらい振っている。
(何事?)
こんな風にみんなで集まって歌を歌うなど、アコ村では収穫祭くらいのものだ。
「今日は祭りか何かなの?」
もたつくクナの手を取って、リュカが明るく笑った。
「そうだ。毎日ウェスは祭りだからな」







