第59話.彼らの誤算
時をほぼ同じくして。
ウェスにひとつの薬屋『恵みの葉』では、アルミンと秘書、店主のウルと息子のアウルが向かい合って座っていた。
薬屋内に客間のような場所はない。普段は従業員が休憩をとるために使われる小部屋だ。立派な身なりをしたアルミンはこの部屋には不釣り合いだったが、彼は押しかけた身だからと文句も言わなかった。
店頭の売り子はウルの妻に任せてある。といっても昼過ぎとなるとポーションはほとんど売り切れだ。あとは点眼薬や風邪薬がぼちぼち売れるくらいである。店内は静かなものだった。
「アルミン様。また最果ての村の件ですか?」
領主の跡継ぎが相手なので、ウルは普段よりかは丁寧な話し振りではあるが、その目には若いアルミンを侮る色が覗いている。
それには理由があった。薬を調合する技術は貴重だ。特にポーション作りは素養がなければ、生業にできる者は限られている。
最低限の条件として、水の魔法が使えること。そして継続して特定の対象に魔力を流し込んで、薬の回復能力を底上げできること。
ひとつ目はともかく、難しいのは二つ目だ。たいていの術者は、釜に流し込む魔力量が不足するか、調整できないかで失敗する。力加減を間違えて鍋ごと爆発させたという例もある。笑う輩に試させれば、たいてい同じ光景を拝むことになる。
ウェスでは五年前、唯一の薬屋を営んでいた老人が倒れた。そこに遠い町から噂を聞きつけてやって来たのがウルだ。
新たに立派な木屋を建設し、『恵みの葉』を開業した。大病院の調合師としてあくせく働いていたウルだが、薬師は開業したほうがよっぽど儲かると知っていた。他に薬屋のない街に限っての話だが。
引きつれてきた薬師は三人。高い給金を支払うことを約束して前の職場から引き抜いてきた。今では息子のアウルも立派に育ち、重要な戦力となっている。このまま研鑽を積めば、ウルを凌ぐ薬師となるだろう。
だからこそ、自分を含めて五人もの薬師を抱えるウルには、アルミンという権力者が相手だからと、下手に出る理由がない。ウルたちに冷徹に扱われれば、困るのはアルミンのほうだ。高そうな服を着た男がこうして足繁く通ってくる姿を見れば、気分も良くなるというものだった。
「ええ。アコ村に五百の薬を救援物資として送りたいと思います。ぜひ『恵みの葉』にはお力を貸していただきたい」
アルミンと秘書が頭を下げる。そのときだけは、ウルはにやにやと口元を緩ませている。
「頭をお上げください、次期領主殿。何もこちらも、断りたいわけではないんです」
「では……」
「ああ、しかし、解毒薬はともかくですよ。問題は初級ポーションです。そりゃあ飲むのは気楽でも、作るほうは大変苦労するんです。理解できる人は少ないんですが」
「もちろん分かっているつもりです」
ウルは溜め息を吐きながら髭を撫でる。
「最低でも五日ほしい、と言いましたがね。あれは本当に、従業員を全員酷使した場合ですよ。初級ポーションは毎日、ひとり十五から二十本を作らせてます。それに十本を追加したら、合計して一日に三十本……こりゃあとんでもない量です。なぁ、アウル」
水を向けられたアウルが顎を引く。無口な息子だが、今日は訊かれたことによく答えるようにと言い聞かせている。
「しかしあれだ。お前なら、どうだ。一日で四十はいけるか」
アウルは開きかけた口を閉じた。苛立ちながらウルは「そうだよな」とアウルの肩を叩く。
「この通り、全員がアウルくらい出来が良けりゃあと思いますが、それは無理な話ってもんです」
「ご子息は薬師として優秀なんですね」
アウルの優秀さは次期領主にも伝わったようだ。ウルはご満悦だった。
「ほら、たとえば、流れの薬師。先日、街で騒ぎを起こした女の薬師を知ってますか?」
「……クナさんのことでしょうか?」
「そうだ。そんな名前だった。詐欺のような真似を働いた女ですがね」
あの日の出来事を思い返すと、ウルはうんざりとしてくる。
『死の森』に立ち入った若者が命を落とすのは、この街では日常茶飯事だ。だがあの日は違っていた。命からがら逃げ出してきた冒険者たちは、重傷を負いながらもまだ息があったのだ。
ウルはいい迷惑だと思った。初級ポーションで治らないような傷をこしらえてこられても困る。森の中でくたばってくれたほうが助かるくらいだ。
しかしクナという薬師は、彼らに手にしていた初級ポーションを頭からかけたかと思えば、見せつけるように中級ポーションまでその場で調合したのだ。
あの出来事を、ウルは、手品か何かだと思っている。そうでなければ説明がつかない。中級ポーションなど、並の薬師に作れるものではないからだ。
あるいは、冒険者たちと女の薬師は共犯だったのかもしれない。頭や服に血をかぶせて重傷の振りをして、それを観衆の前で治す。鮮やかな青い水は、青い野草や花を水で揉めば作り出せる。芝居としてはこれ以上ない名演だろう。
そのせいで一時期、店の売り上げが落ちていた。名もない露店はやたら客足が多かったらしい。金のためならなんでもやるとは汚い女だと、ウルは呆れたものだった。
「あの女は、一日に六本の初級ポーションが作れるそうですよ。アウル、お前はガキの頃はどうだったかな」
「十年前……十五歳の頃に、七本は作れたと思います」
やはり比べるべくもなく、アウルは優れている。
「ではアルミン様、少し考えさせてください。うちも忙しいもんでね。それだけ大口の依頼を、簡単には受けられません」
「もちろん依頼料にもその点を加味します」
「ええ。まぁ、もう少しお時間をいただければ」
ウルは見送りに立ちながら、申し訳なさそうな顔を形作る。散々渋って値を釣り上げてやるつもりだった。ズクなど大した毒ではないのだから、ウルが迷う振りをする間に病人が増えればいいとさえ思っている。
――ここに、とある食い違いが生まれていることに、まだ誰も気がついていない。
アルミンはポーションと解毒薬を作ってほしい、とクナに依頼していた。
ポーションと一言で言えば、一般的に初級ポーションを指す。アルミンは初級ポーションを頼んだつもりになっていた。むしろ、中級ポーションのことは最初から頭になかったといえる。『恵みの葉』に所属する薬師にも、中級ポーションを作れる者はひとりも居ないのだから。
しかしズク草の毒に弱った患者を想定したクナは、求められているのは《《中級ポーション》》だと解釈していた。解毒薬での回復力を底上げするためにあわせて飲むのだから、より効果のある中級ポーションが求められるのは当たり前のことだと思っていた。
それゆえに――彼女が今このとき、二百五十もの中級ポーションを完成させているとは、誰も考えもしていなかったのだ。







