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【7/17コミック②】薬売りの聖女 ~冤罪で追放された薬師は、辺境の地で幸せを掴む~【ノベル2巻発売中】  作者: 榛名丼
第二部

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第57話.矜持に近い



 領主館の厨房では、昼食の準備をするお抱えの料理人たちが忙しなく動き回っていた。

 宿屋アガネの調理場も、真っ昼間から貸し切ることはできない。困ったクナにアルミンは、別館にある厨房を貸してくれると約束した。ポーションを作ってもらうなら喜んで貸す、と言ったアルミンだが、笑顔はややぎこちなかった。とても、クナがひとりで五百の薬を、しかも半日足らずで作るだなんて、信じられなかったのだろう。


 領主館に比べると、やや小さい以外は遜色ない別館に案内される。この建物のどこかにドルフが居るのだと思うと、少し不思議な気がした。

 玄関口から入って左に曲がると、そこに小さな厨房があった。クナは部屋の外から覗き込んだ。

 日当たりが悪く、室内は薄暗い。埃こそ積もっていないものの、普段は使われていないようで、本館のように食べ物の香りはしない。窓からむわっと草のにおいがするだけだ。

 聞けば、誰かが泊まるときは本館から食事が運ばれてくるらしい。念のためにと作られた施設だから、調理器具には傷やへこみがなく、どれもまだ新品のように見える。


「ひとつ訊いてもいいですか」

「なんでしょう」


 即座にアルミンが応じた。クナがやっぱり無理です、と言い出すだろうと考えているようだった。それを期待しているのではなく、生まれ育った村のために過分な責任を負っているだろうクナを案じているようだった。

 だが、クナはいっぱしの責任感も覚えていない。彼の憂慮は的外れだったが、それを口にするつもりはなかった。


「ポーションの味つけに、指定はありますか」

「いえ、効果さえ問題なければ、そこまでは」

「分かりました」


 クナはあくまであっさりしている。アルミンは何度か目をしばたたかせている。


「無理はしないでくださいね。難しいときはすぐに教えてください」


 念押しされて、クナは素直に頷く。アルミンの隣に立つリュカは、笑いかけてくる。


「がんばれクナ」


 激励の言葉は飾り気のないものだ。そのほうがいっそクナには気楽である。


「そっちも、イシュガルさんと話してね」

「分かってる。今から一緒に散歩に行ってくるよ」


 リュカたちが去ると、クナとロイがその場に残される。


「ワンッ」

「分かった分かった」


 何を催促されているかは知っている。鍵の開いている裏口から、クナは庭に出た。

 厨房の窓から見えていたが、庭にはマーゴの木が並んでいた。それなりに見栄えのする花が咲くのと、洗い物に重宝されるから、育てているのだと思われた。じっと観察するが、めぼしい青い花はすべて枯れていて、萎れた花がらが風に吹かれるだけだ。もう夏の本番が近いのだと、今さらのように感じた。日当たりが悪いのを、少しありがたくも思う。


 手頃な庭石を見つけて腰を下ろす。ロイはぴょんぴょんと跳ねて、クナの隣の庭石と庭石の間に四つ足をおく。

 領主館の厨房でもらってきた、豆を練り込んだクッキーを昼食代わりに食べる。洒落たおやつではないから、領主一家に出すものではなく、まかないなのだろう。

 四つに砕いてロイにも与える。石の上のクッキーを舌を出して食べている。喉が渇いたが、飲み物の準備はなかった。唾液を呑み込んで、渇きを誤魔化すようにする。


 本館を囲むように咲き誇る庭と異なり、こちらは庭師の手がまだ回っていないようで、どこかうら寂しい雰囲気がある。庭には釣り鐘のような形をした白い花が数え切れないほど揺れていたが、クナはその植物の名前が分からなかった。アコ村では見たことがないし、マデリの図鑑にも載っていなかった。だが、きっと手のかからないだろう花であることは予想がついた。


(少量だけ採取していいか、あとでアルミンさんに訊こう)


 知らない花を眺めて、薬用か食用か、毒があるのか、あるいはどれでもないのかを考えながら食べるクッキーはおいしかった。


 簡単な食事を終えると、クナはぼんやりとする。髪と肌の間にそよそよと吹いてくる風が涼しい。釣り鐘の白い花が揺れる動きを、見るとはなしに見ている。


「五百の薬なんて、一度に作ったことないんだけどね」


 クナはぽつりと言った。ロイは顔を上げなかった。


 クナは、大言が嫌いだ。

 できないことをできるとは言わない。できることをできると言う。だから自分でも自分の発言に、少し驚いている節がある。できるかもしれないことを、やると言った自分に。


 薬師に求められるのは一度のまぐれではなく、毎日の実績だけれど――言わずもがな、クナは、一日に五百もの薬を調合したことはない。

 人口の少ないアコ村ではそこまでの薬が必要なかったし、そもそも、クナの作った薬類は売れなかった。売れないものを作っても、薬草や瓶が無駄になると怒鳴られるだけだった。


(でも、村に送る薬を作るのは、私の役目だと思った)


 八年前まで、アコ村の人々が頼ったのは、マデリという名の薬師だった。

 マデリはもう居ない。ときが経ち、あの村に薬師はひとりも居なくなった。

 アコ村への好悪の感情は関係なかった。クナはマデリがやっていたことを、彼女に調合を習った人間として、果たしたかった。その思いは、矜持と言い換えてもいいのかもしれない。

 誰が相手だろうと、譲りたくない役割だった。だから『恵みの葉』ではなく、自分ひとりで薬を作れると言ったのだ。


 それにしたって、解毒薬とポーションを合わせて五百の薬。酔狂で乗り切れる数ではない。クナは毎日、二十のポーションしか作っていなかったのだから。アルミンたちが不安を覚えるのも頷けようというものだ。


(駄目だったときは、そう正直に打ち明けて謝ろう)


 クッキーを食べ終えて、甘い指をぺろりと舐めたクナは庭石から立ち上がる。


 今回もロイはお留守番だ。

 庭にある井戸から汲んできた水を小皿に入れて、厨房の外においておく。ロイは一口だけ水を舐めてから、廊下の隅にころんと転がった。どうやら昼寝をするらしい。気ままなものである。


 外で服の汚れや埃を払う。

 髪を結ぼうとして、結ったままになっていることに気がついた。紐で縛っただけの髪先をぎゅっと握って、クナは呟く。



「さて、やるか」




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