第55話.ウェスとアコ村
「クナさん」
リュカと話を終えたところで、階段付近から声が聞こえた。
領主セドリクの息子アルミンと、秘書官らしき若い男が近づいてくる。クナが軽く会釈をすると、二人とも少し遅れて頭を下げた。
アルミンは変わりないようだが、若い男のほうは顔色が悪い。ドルフの吐く息を長い間、嗅いでしまったのかもしれない。
毒こそ感染しないものの、気分は悪くなるだろう。リュカが何も言わずに、廊下の窓を開けている。
アルミンはクナに話しかける前に、目をイシュガルの部屋のほうへと向ける。
「母さんはどうですか?」
「今、治療を試みているところです」
「そうですか。どうかよろしくお願いします」
薄く微笑んだアルミンが、改めるように咳払いをする。
「ドルフという男から詳しい話が聞けました。詳細を聞きますか?」
どうやら二人はたった今、客館から戻ってきたところらしい。
イシュガルの首に当てている温湿布を外す時間だったが、それは侍女がやってくれるだろう。そちらは任せることにして、クナは答えた。
「詳細ではなく、私に声をかけた理由を教えてください」
ドルフは血は繋がらないといってもクナの兄だ。そのことは、アルミンやリュカにも話している。
詳細というのは、ドルフによる、クナとの関係についての主張でないかと思われた。だが、アルミンはそんな無駄話をしに来たわけではないだろう。それなのにわざわざクナに名指しで声をかけてきたということは、クナ本人に重要な用件があるということに他ならない。
アルミンは頷き、かいつまんで話し出した。リュカも、隣に並んで聞いている。
「彼の言葉は支離滅裂で、聞き取りには苦労しましたが……アコ村には毒が蔓延しているようです。正確な人数は分かりませんが、多くの村人がその影響で倒れているようでした」
ズク草の毒、とアルミンは言わない。事情を渋りながら説明したドルフ自身が、毒の種類を明確に理解していないからだろう。
(それにしたって、あんなに《《分かりやすくて正直な毒》》、どうやったら蔓延するんだ)
何があればズク草を複数人で、食べるか焚くような事態になるのか。推測しても答えが思いつかない。
ただ、不幸中の幸いというべきか。ズク草の毒であれば、空気や接触、飛沫での感染はしない。初めに倒れた人数以上には、被害は広がっていないはずだ。
「昨年末の報告では、アコ村の人口は二百人未満ですから、病人は多くても二百以下ということになりますね」
「ウェスでは、アコ村の住人の数を把握してるんですね」
そうですね、とアルミンは頷いたが、口にしてから、当たり前のことだとクナは恥じた。シャリーンの祖父は、村人たちから村長と呼ばれていたが、彼は領主ではない。近隣の都市であるウェスの領主セドリクこそが、アコ村を含む周辺農村の領主である。
(昔、ばあちゃんに訊いたっけな)
幼いクナには分からないことだらけだった。家の畑で一生懸命に育てた野菜は、すべてを家で食べてはいけなかった。一定の量――少なくはない野菜を、村長の家に運ばなければならなかった。村で最も裕福だろう村長に、どうして貴重な食料を分ける必要があるのかと、クナは常々疑問に思っていたのだ。
不思議がるクナにマデリは、人の生活の仕組みについて教えてくれた。領主が農民に農地を貸与し、農民は生産を担う。そのため毎年、農村では収穫量に応じて領主へと税を納める。特産品のないアコ村では、農作物や工芸品を収納しているのだと。だから村民は、村長へと生産した品をみんなの代表として届けに行くのだと、マデリは言っていた。
村長一家はテン街道を使ってウェスに収納に向かうため、驢馬を飼っていた。ただここ数年は、年老いた村長ではなく息子夫婦がその役を担当していたはずだ。シャリーンは何度おねだりしても連れて行ってもらえないと、頬を膨らませていた。
今年に入ってからは、落石事故で街道が封鎖されたため、まだ税は支払われていないのだろう。どちらにせよ、作物の育ちが悪いアコ村で徴収される税など、たかが知れているのだろうが。
考えていると、ふいに、まじまじと見られているような視線を感じる。アルミンではなくて、横の男からだ。
顔を上げたクナは眉をひそめて、短く問うた。
「何か?」
「あ、いえ……すみません」
男は面目なさそうに頭をかく。大きく開いた窓から風が吹き込んできたおかげか、顔色はだいぶ良くなっている。
クナはその顔を見上げて、引っ掛かりを覚える。だが、それを表情には出さずに密かに観察を続けた。
答えは、数秒で頭の中に浮かび上がった。
(この人……見かけたことがある)
ウェスに来てからのことではない。以前の記憶に、服装は違うものの該当する顔があった。
クナは、行商人から物を買ったことがない。テン街道を使って商人がやって来ると村は賑わって、何を買おうかと女子どもを中心に荷車の前に列を作っていた。クナは、その輪に入ることを許されなかった。
ただ、何度か荷馬車の前を通りかかったことはある。アコ村のような僻地に足を運ぶ商人は珍しくて、目に留まるのだ。移動だけで日数がかかるし、寂れた村には特産品もなければ、商品を高値で買う貴族や富豪も居ない。どんな目算があって僻地を訪れるのかと、不思議に思っていた。
男は、数年前にアコ村で見かけた行商人と同じ顔をしていたのだ。







