第54話.飲みの誘い
すごい、と言われても、クナにはなんのことだか分からない。
目を丸くして見上げると、リュカが苦く笑う。眉を下げて笑うと、快活そうな青年は気弱な少年のようにも見えた。
「なんだかこの家に、ずっと居たみたいだと思って。母さんの気持ちを、オレよりもよく分かってる」
(それは、どうだろうね)
クナは目を細める。リュカは、とぼけた振りをしているのだろうか。
リュカはきっと、人の感情を自分のもののように機敏に感じ取っている。そんな男が、自身の母親の思いを正確に読み取っていなかったとは、クナには思えない。
(分かっていた上で、認めてほしかったのか)
イシュガルは、リュカが自分を救うために『死の森』に行ったことなど知らないようだった。セドリクとアルミンはその件でクナに礼を言っていたが、イシュガルは一言も話題にしていなかった。
おそらく、リュカが家族や使用人に口止めしたのだ。そんなことを伝えたら、ますます、母親の症状が悪化することを察していた。
地面に深く根を張った大木のように振る舞うくせに、どこか危なっかしい男だった。ぬかるんだ土から、たまに細い根が顔を出す。いつ傾くか分からない。そんな危うさがあるから、ナディやセスは、彼を放っておけないのかもしれない。添え木があれば、木は簡単に倒れたりはしないから。
「母さんのためにありがとうな、クナ」
リュカが、屈託なく笑う。
結ったままの黒髪が、馬の尻尾のように揺れる。クナは気がつけば、後ろを向いている。そうして頬の肉を、ぐいぐいと引っ張って、引き締めようと奮闘している。
「……お礼は早い。まだ目が見えるかも分からないのに」
「だとしても、クナが力を尽くしてくれたのは変わらないだろ。それにあの温湿布というのもすごかった。ああいう治療法があるなんてオレは初めて知ったよ」
リュカの声は弾んでいる。そういえばと、クナは今さらのように考える。ドルフからは、何か聞き取れたのだろうか……と。
訊ねようかと思ったが、リュカはずっとここに居たのだ。別館で聴取を受けているというドルフのことは、何も知らないだろう。
(気にしないようにと思ってると、逆に引っ掛かるもんだな)
ドルフを案じているわけではなく、クナが気にしているのは毒草の件だ。
ズク草の毒の症状が出ていたドルフ。あの様子からして、一日や二日前からというわけではなさそうだ。薬師であるドルフがあの有様だったということは、村にも毒が蔓延しているのだろうか。
アコ村には、ドルフとクナ以外に薬師は居ない。ズク草そのものは知っていても、毒を解毒する手段について知っている人間は居ないかもしれない。
「そうだった!」
リュカが声を上げる。
そういえば背を向けたままだった。クナが振り返ると、破顔して言う。
「急なんだけど、今日の夜は空いてるか? セスたちと飲み屋に行くんだが、クナも一緒にどうかと思って。もちろん奢る」
セスたち、ということは、当然ガオンもその場には居るだろう。
クナはしばし考えた。頭の中で、改めて自分ひとりで彼らに会いに行く手間と、飲み屋に行く手間とを天秤にかける。天秤は、すぐに一方に傾いだ。
「行く」
「えっ」
誘っておいて、断られる心積もりだったらしい。リュカは心底驚いたようだったが、すぐに嬉しそうに口角を緩めた。
「本当か!」
「でも自分の代金は自分で払うよ」
奢られる理由がひとつもない。クナは、今朝の山ぶどうパンの料金もきっちり清算している。クナは誰かの金銭で食べる飯に安心を覚えないし、むしろそのあと法外のものを要求されるのかと考えを巡らせてしまう。ナディの用意してくれた蜂蜜がけオムレツは、クナにとって例外中の例外だったといえよう。
「分かった。場所は冒険者組合と繋がった飲み屋だから、分かるよな?」
クナは頷く。ナディの運んできた、チーズを使った蜂蜜がけオムレツは、あの飲み屋の品物だった。また食べられるのかと思うと、胸が弾むような感覚があった。素人には真似できない味わい深さだったのだ。
「だけど意外だ。クナが来てくれるとは思わなかった」
しみじみとリュカが呟いている。きっとそう思ったのだろう、とクナも推測していたが、それにしても正直な男だ。あんまり驚いて、口に出さずにはいられなかったようだった。
しかしクナには、リュカの誘いに頷く明確な理由があった。頭に浮かんでいるのは、セスとガオンの顔である。眉に傷のある男と、前髪の長い男の二人……。
「あの二人には、言わなきゃいけないことがあるから」
そう宣言するクナが、怒っているようにでも見えたのだろうか。
リュカがなぜだか「お手柔らかに頼む」と、小声で言った。







