第51話.薬師の応酬
「私の作ったポーション、いる?」
クナのその言葉に、リュカが眉を寄せる。
「クナ……」
どうしてこの男を助けようとするのか、と。
そう問いかけるような顔をするリュカに、クナは視線だけをちらりと向け、再びドルフに戻した。
「兄さん、どうするの? いるの、いらないの?」
クナが片手に持つ瓶の中で、緑色のポーション液がこれ見よがしに揺れる。
ドルフは弱々しく息をしながら、ぎらつく目でクナのことを睨みつけている。乱れた髪と血の流れる皮膚の間から、その攻撃的な双眸が窺えた。
クナが作ったのは体力や回復力を向上するポーションであって、ズク草の解毒薬ではない。だがドルフは毒だけではなく、リュカに殴られ続けて怪我をしている。今や喉から手が出るほどほしいものだろう。
「ふざけるなよ、クナ……お前……」
「ほしいなら、ちゃんと言わなきゃ分からないけど」
右手と左手の間で、クナは瓶を行き来させる。
そのたびに、ドルフの眼球が動き回る。目の動きにつられるようにして、呼吸の荒さは増していくばかりだ。本心では、ポーションがほしくて仕方がないのだろう。
リュカたちは何も言わず、ただクナのことを見守っている。やりたいようにやらせてくれるらしい。
「地面にこぼしちゃおうか」
「まっ……! やめろ!」
未だ、どちらが優位に立っているか理解していないらしい。
態度を改めず、いつものように怒鳴りつけてくるドルフに、クナは小首を傾げた。
「ほしいなら頭を下げて、私にお願いして」
「……なんだと」
「いらないんだね」
蓋をしていない瓶を、クナは逆さまにしようとする。
そこから数滴のポーション液が地面に垂れる。ドルフが慌てふためきながら腰を上げた。
「だ、だから待てって言ってるだろ!」
「…………」
「……だから、その、やめてくれ。ポーションを……」
酸素の足りない魚のように、ドルフの口がぱくぱくと動く。
その先をどうしても、言葉にしたくないのだろう。地面に座り込むドルフは何度も言い淀んでいたが、結局は自身を苛む痛みに負けて、安い矜持を捨てることにしたらしい。
「ポーションを、く、くれ。ください。……お願いします」
クナは小さく頷く。約束は約束だ。
「はい」
クナが掲げるそれを、飛びつくようにドルフが奪い取る。
中の液体を喉奥にぶちまけるようにして勢いよく飲む。クナの薬師としての腕の良さを誰よりも知っているからこそ、彼には一切の躊躇いはなかった。
――その直後だった。
「がふっ」
リュカやセスたちが目を白黒とさせる。ドルフが飲み込みかけたポーション液を土の上に吐き散らしたからだ。
何度も噎せて、苦しそうに咳き込む。喉をおさえて舌を伸ばしている。食道ではなく勢い余って気管に飲み物が入ってしまったかのような反応だったが、そうではないとクナだけは知っている。
「どう? おいしい?」
クナは、白けた顔でドルフを見下ろしているだけだ。
ドルフはぶるぶると小刻みに震えながら、手にした瓶を指差した。必死に、クナに何かを訴えるように。
「こ、これ、う、おえ、え、泥……っ」
「うん。兄さんが前に私に飲ませてくれたのと、同じだよ」
リュカたちが呆然とする中、クナは淡々と、そう答える。
マデリが死んだ年のことだった。
クナは、ドルフに頼んで特別にポーションを調合してもらったことがある。
あのときクナは、ドルフの作るポーションがどんなものか心から楽しみにしていたが、彼が大きな瓶に詰めて渡してきたのは土色に濁りきった液体だった。
クナにはそれが、雨樋の下に溜まる泥と同じ色に見えた。
ドルフは、幼いクナの腹に乗っておさえつけると、口蓋と前歯の後ろに小枝を差し込んだ。
そうして強制的に口を開かせて、その中に瓶の中身を流し込んだ。どんなに泣きながら咳き込み、咽せて、じたばたともがいても、五歳も年上のドルフの力に敵うはずがなかった。
瓶が空になると、満足したドルフは去って行った。
あのとき、クナが泥水と一緒に吐き出した小枝は血と唾液と、大量の砂にまみれていた。
「ふ、復讐って、わけかよ。よくも……」
ドルフの射殺さんばかりの目を、クナは見返す。
(私はずっと、悔しかった)
どうしてドルフにできることが、自分にはできないのか。
誰かに喜んでもらえるような薬を、作り出せないのか――苦しくて、悔しくて、打ちのめされそうになりながら、歯を食いしばって調合に挑み続けた。
「あんなの、た、ただの遊びだろ。そんなくだらねぇこと、根に持ちやがって……」
「私は忘れない」
人によっては、恥と捉えて、忘れたいと願うのかもしれない。
だが、クナはこの男のやったことを、苦痛の日々を、一秒たりとも忘れることはない。
「お前がなんと言おうと、私はずっと忘れない。死ぬまでね」
二度と、ドルフを兄と呼ぶことはないだろう。
その顔を見ているのもうんざりだった。しかし拳を震わせたまま黙り込むドルフに、背を向けるのは愚かだろう。この男は家族でもなければ、兄弟子でもないのだから。
クナは魔獣に出会したときのように、ゆっくりと後ずさりすると、突っ立ったリュカに手を突き出す。
「三百ニェカ。買う?」
その手には、もう一本用意しておいたポーションが握られている。
「ありがたく買う」
リュカはほとんど反射的だったのか、腰に下げた巾着袋から硬貨を取り出して、クナに渡してきたのだが。
「……これも泥味だったり?」
「まさか」
クナは鼻で笑う。泥で金を取るような詐欺師に落ちぶれたつもりはない。
ドルフに聞こえない程度の小声で、ぼそりと呟く。
「あれも、本物の泥を飲ませたわけじゃないから。どうすれば泥の味に近いポーションを作れるか、昔……子どもの頃に研究してたの」
「クナさん、ちゃんと調合してたもんね」
ガオンが視界の端で頷いている。クナが調合する様子をガオンは見ていた。あまり馴染みのないだろう薬草類を鍋に入れるときは、何を作るのかと不思議そうにしていたが。
放心状態のドルフはおそらく、まだ気がついていない。自分の顔の傷が治りかけていること。もし気がつけば、瓶にたっぷりと残ったポーションを、最後まで飲み干さずにはいられないだろう。たとえ、泣くほどまずくても。
クナは薬師だ。人を治す薬を作るのを生業にしている。
誰が相手でも、薬と偽って泥水を渡すような真似はしない。ドルフのようには、決してならない。
(あのポーションも、渡す日が来るとは思わなかったな)
そもそも、ドルフに飲ませるつもりで作ったわけではなかった。
ただ、無理やり泥を飲まされた事実を、そのまま終わらせたくなかった。だから、ポーションの味を変える研究だと思い込むことにしたのだ。
クナがやったことなど、馬鹿馬鹿しい研究だと――そんなことをする時間があるなら、ポーションの精度を高めるほうが重要だろうと、誰もが罵るかもしれない。
だがクナの話を聞いたリュカ、それにセスやガオンは噴き出しそうな顔を見合わせている。きゃんっ、とロイが鳴いた。
「やるな、クナ」
「私はけっこう、根に持つんだよ」
それも、クナの花の特徴である。
クナは三百ニェカを懐に仕舞うと、慇懃無礼に頭を下げた。
「ではこちら、つまらないポーションですが……」
「どのへんが!?」
さすが仲間というべきなのか、三人の息はよく合っている。
受け取ったリュカが、緑色のポーションを口の中に流し込む。
ポーション液を透かして、後ろの青空が見えている。クナは汗ばむ額を服の袖で拭った。とりあえず、風呂に入りたいと思ったのだった。







