表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【7/17コミック②】薬売りの聖女 ~冤罪で追放された薬師は、辺境の地で幸せを掴む~【ノベル2巻発売中】  作者: 榛名丼
第二部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/79

第50話.癒えない傷



 数秒間の沈黙が、場に流れる。

 空気が、急に殺伐としたものに変貌する。だが興奮するばかりのドルフは、自身が引き際を誤ったことに気がつきもしていなかった。


「……だってよ。知ってるか? お前ら。醜い薬師とやらを」


 セスが振り仰ぐと、ガオンや門衛たちが揃って首を横に振る。


「そっちこそ誰かの容姿をとやかく言えるほど、男前には見えないね」


 ガオンの率直な一言に、セスが噴き出す。

 ドルフは額のあたりに一気に熱が集まるのを感じた。アコ村ではいっとう美人であるシャリーンすら、ドルフに夢中だったのだ。僻みと分かっていても、苛立たずにいられなかった。


 睨みつけるドルフの視線をあっさりと受け止めて、セスは片手をぶらぶらと振る。


「まず名乗ったらどうだ。アンタはどこから来た? んで、このひでえにおいはなんだ?」

「俺は妹を捜してる。それだけだ」

「妹、ねぇ」


 四人の男が、顔を見合わせて肩を竦めている。

 これ見よがしに鼻をつまんでみせる。とぼけるような態度に、ドルフはぎりりと歯噛みする。


「だから――言ってるだろうが!」


 地団駄を踏むように地面を踵で殴りつけて、ドルフは怒鳴り声を上げた。


「妹だ、薬師のクナだよ。陰気で不細工で、痩せっぽちの女だ。枯れ枝みたいな手足をしてる貧相なガキだ! ウェスに逃げ込んだのは分かってる。俺の妹なんだぞ、隠し立てせずにとっとと」


 ――ふいに、ドルフの怒声が止まった。


 バキッ、と形容しがたい大きな音が響く。身を隠すクナは、最初、聞き慣れないその音が何を意味するのか分からなかった。


「おい、やめ、やめろ、てめえっ」


 焦ったようなドルフの声と、何度も断続的に、同じ音と、砂利がこすれるような音が響いて、ようやく察しがついた。

 クナは樽の影から、そっと身体を出した。


 朝日を弾く、金に近い茶色の髪の毛をした男が、ドルフに馬乗りになっている。

 リュカだった。リュカがドルフを地面に組み敷き、顔を殴りつけている。

 困り顔をしたガオンと目が合った。先ほどまで手にしていなかった紙袋を持っている。そこから焼きたてのパンの顔とにおいが覗いていた。


(リュカは、朝食を買いに行ってたのか)


 ドルフの声は、大通りのほうまで聞こえていたのだろう。すぐさま状況を理解し、袋を仲間に押しつけてドルフに殴りかかったらしい。

 ガオンだけではない。セスも門衛たちも、誰もリュカを止めに入らない。否、止めに入れば自分も巻き込まれると理解して、どうしたものかと見計らっている。それほどまでにリュカには気迫があった。


 いったん、殴打の音が止んだ。


「お前だな」


 低く掠れた声は、底に押し殺した怒りと殺意をにじませている。

 クナからはリュカの顔は見えなかったが、その声音だけで、今までに見たこともないような表情をしていることを悟った。

 リュカの腕がドルフの胸ぐらを掴む。ヒッ、と情けない悲鳴が、泡立った血にまみれたドルフの口端から漏れたが、リュカは構えた拳を解くこともしなかった。


「クナに何をやった。言ってみろ」

「え、あ、あ……」

「お前、あの子に何をしたんだ?」

「な、何って」


 ドルフは苦しげに呻きつつ、胸ぐらを持ち上げるリュカの手を上から握っている。どかそうと震える両手を動かすが、リュカはびくともしなかった。


「クナは泣いたんだぞ」


 打って変わって、夕凪のような静かな声だった。

 クナは目を見開いて、ロイを抱く両腕にわずかに力を込める。


「オレが……客がお礼を言ったら、泣いたんだ。分かるか?」


 そのとき、リュカが泣いているのかもしれないとクナは思った。

 地面についた膝。丸まった背中と頭。項垂れたように、リュカは続ける。


「何度も考えた。どうしてクナはあのとき泣いたんだろうって。今までどんなやつらに囲まれて生きてきたんだろうって……」


 リュカが構えた拳に力を込める。

 手首が骨張り、二の腕の筋肉がぐっと隆起するのを見て取ったのか。とっさに頭を両手で庇おうとしながら、ドルフが喚き散らした。



「――お、俺はただ、蓋を取り替えただけだ!」



 クナは確かに、目を開いていた。

 けれど血だらけで喚くドルフの言葉の意味を、理解するには時間がかかった。いつもは開いている意識の扉に、薄ぼんやりとした膜がかかっているような、不思議な感覚があった。

 遠くから、リュカとドルフのやり取りが聞こえる。


「……取り替えた?」

「そ、そうだ。クナと自分が作ったポーションを取り替えて売った。俺はポーションなんざまともに作れねえから、そうした。それだけだ。たったそれだけのことで、関係ねえやつがやかましいんだよ!」


 ドルフがこの八年間、やっていたこと。

 それをクナは知らされる。クナには考えつかないようなことだった。

 今までのことを振り返る。確かに納得する部分があった。だが、いつまでも胸に怒りは湧かなかった。


 漠然と、疑問に思う。


(どうして?)


 ドルフはクナを羨んだのだろうか。虚栄心を満たしたかったのだろうか。

 なぜ、自身が修練に励もうとはしなかったのだろう。薬草の名前をひとつでも多く覚えて、知識を得ようとはしなかったのだろう。クナと一緒に、マデリのもとで学ばなかったのだろう。魔力を自在に操作する術を身につけなかったのだろう。


 クナはそうしてきた。マデリのような薬師になりたい、その一心で努力し続けてきた。


(薬師なのに、どうしてそんなことをやったんだろう)


 どんなに考えても、きっと分からない。

 そしてそれ以上、クナはもう、ドルフのことを知りたいとも思えなかった。


「捨て子なんかにすげえポーション作られて、どれだけ俺が惨めだったと思ってる。俺が今までどれほど苦労したと」

「そうか。もう喋らなくていい」


 リュカも同じ思いだったのだろうか。

 また、あの音が響く。血を吐くドルフを押さえつける彼の声は、ただ冷えきっている。


「悪いが、そこまでオレは《《ご立派》》な人間じゃない。何を聞かされようと、お前に同情することはあり得ない」

「や、やめ、」


 当初は強気だったドルフの声が、どんどん尻萎みになっていく。

 土の上に何度も血痕が飛ぶ。口のあたりを殴られたときに歯まで抜けたようで、黄ばんだかけらがその上に転がっている。それもすぐ血に沈んでいく。


「や、めろ、やめ、やめてくれってば、なぁ、」


 いつしか、ドルフの弱々しい声は懇願へと変わっていた。涙と汗に、泡と涎が混じった赤い血液が顔面にまとわりつき、元の顔も分からないほどだった。

 ごぼ、とドルフが血の塊を吐く。だがリュカは手を緩めない。ドルフの顔を殴打する音は止まらない。


『死の森』では為す術なく魔獣に引き裂かれたリュカだけれど、ガタイも良いから、決して腕っ節が弱いわけではなかったらしい。

 クナがぼんやりとしていると、ガオンが心配そうに声をかけてきた。


「クナさん。見ないほうがいいよ」


 おそらく、ガオンは立ち尽くすクナよりもリュカが心配だったのだろう。彼は眉をひそめながら、じっとリュカのことを見つめていた。


「リュカが本気で怒ってる。こういうこと、あんまりないんだけど……」


 クナとリュカは、知り合って間もない。けれどリュカが一方的に他人を殴りつけて、喜びを見出すような男でないことは分かりきっていた。

 ドルフを殴り続けるリュカの拳から、血が滴る。返り血ではなく、彼自身の血だった。ドルフを見据えるリュカの瞳には、剣呑にさえ思える強い光が宿っていたが、唇はぐっと引き締められて、苦痛を堪えるように眉間に皺が寄っている。


(リュカはたぶん、私のために怒ってくれた)


 自惚れかもしれない。しかしリュカはクナを慮り、ドルフに怒りを感じている。それだけは明確なのだから、クナは、この光景から目を逸らしてはいけない。

 だが、このままではきっとリュカを人殺しにしてしまう。朗らかに笑う青年を、犯罪者として牢に入れることになる。


 クナは抱えていたロイを地面にそっと下ろすと、急いで背負いかごを取りに戻った。


「クナさん?」


 ガオンには答えず、クナは携帯鍋を風魔法で宙に浮かせる。

 一部の薬草は落としてきてしまったが、材料は揃っている。

 てきぱきと調合を始めたクナを、何事かというようにガオンやセスが見てくるが、彼らは止めに入りはしなかった。それがただありがたかった。


 調合を終えると、クナは完成したポーションを瓶に詰める。

 急いで冷やしたポーション液は、やや生ぬるい。それを手に、クナは二人のもとへ向かう。


「兄さん」


 呼びかければ、リュカの動きが止まる。

 はっとして振り向いた彼と目を合わせることはせず、クナは土の上に転がるドルフを見つめていた。


 あのときのドルフのように、笑うことはできなかったが。

 クナは感情を込めずに、その先の言葉を口にした。



「私の作ったポーション、いる?」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新連載です→ 最推し攻略対象がいるのに、チュートリアルで死にたくありません!
カクヨム様版⇒『薬売りの聖女』
【コミカライズ】ComicWalkerにて連載中!
薬売りコミカライズ

【コミックス2巻】7/17発売【1巻重版出来】
薬売りの聖女C2

【ノベル】カドカワBOOKS様より1~2巻発売中!
薬売り2カバー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ