第47話.毒の影
ウウ、ウウ……とロイが歯を剥き出しにして唸っている。
クナが急に動けば、噛みついてくるのではないかと案ぜられるほどの気迫だったが、クナは動じなかった。
木の根付近に生えた薬草を採取しながら、風にさえ乗らない小さな呟きをそっと落とす。
「大丈夫だよ、ロイ。気づいてるから」
その言葉に、ロイがぴくっと耳を動かす。
昨日のこと。『死の森』に入り、門衛から姿が見えなくなったところで、ロイは狼の姿へと戻っていた。くるくるとその場を回って、気がつくと、あの神秘的な銀狼が目の前に立っていたのだ。
クナはロイを連れて、今日も森の中でいくつもの薬草を採っていた。
草木をかき分けての作業は順調だったが――そんなクナたちを、先ほどから何者かが観察している。必死に気配を殺そうとしているようだが、そう試みている時点で獣ではない。正体は、人だ。
(距離を取っているのは、ロイが怖いからか)
ウェスの南門を守る門衛たちは何も言っていなかった。だがウェスの住人が森に入ったなら、クナが森に向かうのに驚愕するだけでなく、彼らが何か口にしていたはず。
(とすると、アコ村の人間ってことになるけど)
アコ村では『死の森』は立ち入り禁止区画とされている。
クナのように追放された人物が居るのだろうか。それにしても、そう立て続けにひとつの村から人が追い出されたりするものか?
(……にしても、くさいな)
気がつかない振りを決め込むクナだけれど、こちらが風下になると、とにかくにおいがきつい。
なぜだかその何者かは毒にやられているようだ。この独特の何かが腐るようなにおいは、ズク草という毒草の葉の香りだろう。
初級ポーションの材料として使える薬草は、全部で六種類ある。その中に、ズク草によく似た種があるのだ。
しかし輪生に生える薬草に対し、ズク草は対生で葉がつく。そもそも葉を嗅げば、すぐにそれだと気がつく。まれに鳥が種を運び、道ばたに生えることがあるが、根を引っこ抜いて焼かずに捨てれば問題はない。クナも一度だけ村の柵の近くに見つけて、いらない布に包んで捨てたことがあった。
吸いすぎるとクナも毒の影響を受ける。背負いかごの内部に取りつけた小さなポケットから、クナは布をとりあげると、鼻と口を覆うようにして後頭部で端同士を結ぶ。
ロイはどうしようかと思うと、数日前の雨でぬかるんだ土に鼻先を突っ込み、美しい顔を泥にまみれさせている。ロイなりのにおい対策だろう。
(毒は大丈夫なのか?)
けしゅっ、と身を震わせてくしゃみをしているロイ。クナはひとまず気にしないことにした。
(ズク草の毒による主な症状は発熱、だるさ、全身の発疹、喉の渇き)
症状自体は辛く重いもので、ズク草にやられると死を覚悟して涙する患者や、発疹が出た顔の醜さに泣き喚く女も居るのだが、それだけで命を失うような強い毒ではない。
そう知っているクナは、気がつかない振りを続けることにした。今のクナにとって優先すべきは、視力を失ったイシュガルである。アコ村の人間となるとクナの顔を知っているだろうし、余計な悶着になっては時間が取られてしまう。
クナはそのあとも森の中を歩き回って、適宜、必要な薬草の採集地を見つけては屈み込んで採取する。
魔獣の鳴き声がしたり、大きな足跡があれば、その場からは即座に離れる。サフロの木を見つければ石を投げて実を落とす。基本的には、その繰り返しだ。
「よし、これくらいでいいか」
宿屋で廃棄するものを譲ってもらったざるに、たっぷりの薬草を摘んだクナは満足げに息を漏らした。
以前、森で拾ったナイフはとっくに駄目になっている。今回は葉を取っただけだが、茎葉や根、硬い樹皮を剥がすときもあるから、鉈か鎌は早めに買っておきたいところだ。風魔法では、余計な部分まで傷めて木を駄目にしてしまうから。
「ロイ、沢に行くよ。……ロイ?」
立ち上がったクナが、薬草を洗うために呼びかけたときである。
「ロイ? 今、ロイって言ったのか?」
クナはびくりと身を震わせた。
少しずつ、記憶の片隅に追いやっていたけれど、その声を聞くと自然と身体が硬く緊張する。
茂みから出てきた人物を前に、クナは目を見開いていた。
「……兄さん?」
薄笑いを浮かべてこちらを見ているのは――紛れもなく、兄弟子のドルフだった。







