第46話.追放されたドルフ
背嚢を背負ったドルフは、ふらつきながら、道と呼べるもののない森の中を歩いていた。
助けを呼んでくるという名目で追い出されてから、何日が経っただろうか。背嚢にはケンでできた水筒に、干しいもや木の実などが入れられていたが、今や見る影もなく萎んでいる。
森で囲まれた僻地にあるアコ村には、テン街道が落石で使えなくなる以前は、月に一度は行商人が訪れていた。だが、それだけでは物資は不足する。村人たちは生き抜くために家ごとにそれぞれの役割を担ってきた。農夫に限らず、村長、薬師、杣人、産婆、浴場の管理者など、村に必要な仕事を行ってきたのだ。
ドルフが持たされた水筒も、指物師が作ったものである。腕が良いとは言い難い男なのだが、水筒の中身が漏れ出ないだけで今は十分であろう。
中身が心許ない水筒を口元に傾けていたドルフは、大きな溜め息を吐く。
何度、水を口に含んでも喉が渇く。頭も熱っぽく、まともに思考が回らない。だが、日中に立ち止まって座り込む勇気はなかった。熱が上がらないうちに、今は距離を稼ぐべきだ。
「くそっ……村のやつら、本当に俺を追い出すとは……」
発疹をかきながら、ぶつぶつと吐き出されるのは、村人たちへの罵詈雑言である。
閉じられた村では近親婚が多い。どの家にも縁戚を持つ村人さえ居る。しかしドルフの場合は事情が異なる。あまり詳しくは知らないが、祖母であるマデリは、ふらふらと村に居着いて薬屋を開業した人だというし、ドルフの両親はウェスの生まれだ。
薬屋を営みながら、ポーションに誤って毒草を混入させたドルフには、庇ってくれる相手は居なかった。多くの村人が体調を崩して倒れ、彼らはドルフを『死の森』へと追いやるという残酷な決定を下した。
今やドルフの味方は、未だに森の中を彷徨っているかもしれないひとりの少女だけだ。ドルフの前に彼らが追放した、血のつながらない妹である。
常人であれば絶望し、気が狂っていたかもしれない。しかしドルフは熱に浮かされながらも、未だ絶望とは遠い位置にあった。
「よく分からないが、天は俺に、味方しているらしいな」
頬を流れる汗を拭い、ドルフはにやりと笑う。
実際は、何がドルフに味方していたかというと、悪運と呼ぶのが正しいだろう。森に棲む魔獣たちはドルフを敬遠していた。全身から腐った卵のようなにおいと、毒の気配をまとわせるものを、彼らは生き物として認識しなかった。
だがドルフは有頂天だった。『死の森』など、結局は大袈裟な物言いだったのだと。
「ざまぁみろ、シャリーンめ」
体調が悪化したのを理由に、森に入るドルフを見送りにさえ来なかった女だ。
シャリーンの浅はかな考えのせいで、ドルフの手元にあった金の卵を生む鶏が村の外へと追い出された。
今になってようやく、自分の過ちを悟っているのだろうが、もう遅いのだ。ドルフはクナと再会を果たし、彼女と共にウェスで新たに薬屋を開くのだから。
「にしても、かゆいな」
ぼりぼり、とドルフは発疹をかき続ける。爪の中には、かいた皮膚と血、それに膿みが溜まっている。頬や首筋をかくたびに、黄緑色の膿みが出て爪の先に入り込む。汗が流れ落ちるせいで、ますますかゆみが増す。
汗のせいか、膿みのせいか、小蠅が寄ってきてはドルフにたかる。ぶんぶんぶん、と煩わしい羽音が耳元で鳴るたびに、ドルフは両手を雑に振り回すのだが、数秒経てばまた我が物顔で小蠅は戻ってくる。うんざりして、ドルフは脂ぎった髪の毛をぐしゃりとかき回した。
かゆみをおさえる軟膏、熱冷ましの薬液、身体の震えに効く薬湯……この場にクナが居れば、ドルフの症状に合わせて、どんなに調合が難しい薬だってその手で生み出してしまうのだろう。
ドルフを苛む毒の正体も見破って、解毒薬を用意してくれる。汗の滑り込む目を閉じれば、眼裏に容易く想像が浮かんだ。冷血で愛想のない女だが、その能力だけはドルフは認めていた。誰よりも、よく知っていたのだ。
想像するその姿を追いかけるように、ドルフはひたすら萎える足を動かす。
そうして歩き続けた末に、ドルフは見つけた。
木々の間に、地面のそばを歩く銀の狼が見え隠れしていた。
異様な迫力のある獣の姿はおそろしく、ドルフははっとして茂みへと隠れる。
魔獣を目にするのは初めてのことだった。緊張のあまり手足が震える。ばくばくと全身の脈が騒ぐ。見つかれば、ドルフはあっという間に食い殺されてしまうだろう。
それでも慎重に息を潜めて、目だけを出して確認すると、狼の傍らには少女が居た。
暗い森の中に溶け込むような黒髪の持ち主が、真剣な顔をして、木の根を見つめて屈み込んでいる。
それを目にしたとたん。
一瞬だけ恐怖は消えて、ドルフの口角が持ち上がっていく。
「――――クナ」







