第45話.再びの森へ
クナがひとりで部屋を出ると、離れた廊下の柱に寄りかかっていたリュカがぱっと顔を上げた。
その足元でロイがちろちろと赤い舌を出して水を飲んでいる。暑いからと気を使ってくれたらしい。
「クナ、どうだった?」
近づいてきたリュカに、クナは軽く頷く。
「『死の森』で採れる薬草を使えば、治せると思う」
正しくは、クナは森の他に、目当ての薬草がどこに自生しているか知らないのだが。
リュカは驚きと興奮が隠せない様子だ。
「本当か! それって、幻の薬草か?」
「違う」
リュカが探しに行ったという、万病に効くという薬草が森にあるとはクナにはとうてい信じられない。マデリの口からも、一度も聞いたことがなかった。『死の森』と恐れられる場所ならば、そんなものが存在するかもしれないと、誰かが根拠のない噂を流したのかもしれない。なんせ森で暮らした過去のあるクナも、見たことのない薬草なのだ。
(興味はあるけどね)
本当に実在するなら、いの一番に見つけて効能を調べたいものだ。
そうか、と呟いたリュカが、決意を秘めた目で言う。
「なら、オレも一緒に行く」
「足手まといだから」
婉曲な言い回しをしないクナだから、その物言いは基本的に直接的である。
あっさりと断られ、リュカが息を呑む。だがはっきりと言わないと、この向こう見ずな青年はまた無茶をしでかすだろう。家族のためにと、命を棒に振ってしまう。
「……セスとガオンも居れば、どうだ?」
苦しげなリュカの申し出は、クナにとってはただ足手まといが増えることを意味している。
「大人数で森に入るほうがよっぽど危ないんだよ。私ひとりならともかく、リュカたちを庇いながら行動するのは難しい」
アコ村では、立ち入るのを禁じられた森は、ウェスでも必死の森として恐れられている。しかしその森にリュカは立ち入った。視力を失った母のためにと、仲間やナディたちの手を振り切っていったのだ。
(リュカは、気がついてない)
死をもおそれぬ蛮勇は、結果が伴わなければ讃えられはしない。ただ、愚かなだけだ。
ロイがクナを導かなければ、この男はとっくの昔に森で死んでいた。家族や仲間を悲しませていた。その事実をただ、クナは事実として突きつける。
そしてリュカは、彼の母親が言ったとおり、やはりただの馬鹿ではない。
顔色は悪くなっていたが、クナに向かって律儀に頭を下げてみせたのだ。
「分かった。無理を言って悪かった」
頷いたクナは、これなら大丈夫そうだと判断し、ある提案をする。
「ひとつだけ、リュカにしかできないことがある」
「なんだ? なんでも言ってくれ」
音が出るほど素早く顔を上げたリュカに、クナは淡々と口にした。
「イシュガルさんとたくさん話をして」
「……母さんと?」
リュカは拍子抜けしたようだ。しかし、大人しく聞く姿勢は保っている。
クナは言い聞かせるように続けた。
「とにかくたくさん話をして。イシュガルさんの話をよく聞いて、リュカもいろんな話をするの。できれば朝か、日が沈む夕方頃に介添えして散歩もするといい。そうすれば、イシュガルさんの病が早く治る助けになる」
「そんなことが、母さんの助けに?」
「イシュガルさん、リュカが冒険者になることに納得してないんじゃない?」
分かりやすくリュカの顔が強張る。
(やっぱりな)
本人からも聞いたとおり――今もイシュガルは、リュカが危険な仕事をすることに反対しているのだ。
それは当たり前だろう。子どもが冒険者になると聞いて喜ぶ親は居ない。まして生活に困窮している様子のない貴族一家ともなれば、家族揃って反対してもおかしくはない。
この家の次男は王都で騎士の職についているというから、リュカにも軍人になる選択肢はあったはず。彼はそれを、冒険者こそ自分の天職だと撥ねつけたわけだ。
(私はリュカが冒険者を続けようが続けまいが、関係ないけど)
どちらかというと冒険者であれば、今後も優良顧客で居続けてくれるわけだが。
クナにできるのは、イシュガルの症状を《《いったん》》治すことだ。そのあとについては、リュカ本人や、彼の家族が決めることだろう。
「時間は約束できないけど、明日には戻るから」
クナは踵を返し、階段を下りる。ロイも白い尾を振ってついてくる。
探すのはそう珍しい薬草ではない。あまり時間はかからないはずだ。
「分かった。どうかよろしく頼む」
クナがアコ村出身であることは、門衛か誰かに聞いているのだろう。階段の上で頭を下げるリュカは、それきり追いかけてこようとはしなかった。
「きゃんっ」
入ってきた玄関口から外に出ると、ロイが一鳴きした。
ふんふん言いながら、クナの脛を前足で蹴ってくる。責めているのか、励ましているのかは、やはりよく分からないが。
クナは詰めていた息を吐き出した。
「ちょっと言葉が、きつかったかもね」
「クゥン」
ロイの熱くて小さな頭が、脛のあたりに押しつけられる。やはりこれは、励ましているつもりなのかもしれない。
クナはしゃがみこむと、ロイの頭をわしわしと撫でてやる。手がひっかかったので見てみると、ロイの頭の上に小さな毛玉ができていた。
そういえば、こいつ用のブラシを買ってやってないなとクナは思い出す。そもそも自分の髪を梳かすブラシも、クナは持っていないのだが、そちらには気が回っていない。
「……羨ましかったんだね、私は」
ぼんやりと、独りごちる。
セドリクも、アルミンも、イシュガルも、リュカを愛している。
惜しみなく、掛け値なしの愛情を与えてくれる存在が、リュカには大勢居る。
家族を愛し、また同じくらい愛されている。たったひとりの家族にすら見捨てられたクナとは、大違いだ。
そしてひとつだけ、分かっていることは。
(私にはこれからも、そんな相手ができることはない)
急に暗い夜道に投げ出されたような、心細い気持ちになる。立ち上がるのが億劫になる。ともすれば泣きたくなるような孤独に、打ちひしがれる。
それでもクナは唇を噛みしめ、膝裏に気合いを入れて立ち上がる。
こんなところで丸くなっている暇はないのだ。
「まずは、イシュガルさんを治さなきゃね」
「きゃん!」
請け負った仕事を果たすため。
薬師の少女は一匹の犬を供に連れて、鬱蒼とした森へと向かう。







