第33話.助からない命
顔を上げたクナは、靴をつっかけて立ち上がった。
通りの真ん中に立つと、手で庇を作って目を眇める。
北門近くで商売するクナから、南門までは距離があるが、クナの両目ははっきりと捉えている。
「……誰か、担架で運ばれてるな」
真っ赤な血が石畳の上に滴っている。距離が開いていても視認できるほど、大量に出血しているのだ。
(まさか、またあの馬鹿?)
リュカが、幻の薬草とやらを探しに行って死にかけたのだろうか――と思ったクナだが、どうやら違う。門衛や住人が協力して運んでいる男たちは、数時間前クナに絡んできた冒険者たちだった。
騒ぎに気がついた住民が何事かという目で見つめる中、四つの担架は東区画へと入っていく。
クナは荷物を手早くかごの中に入れると、東区画へと走った。ロイは先導するように四本の足を動かして、地面を疾駆する。石畳を避けているのは、肉球が焼けるのをきらったためだろう。照り返しがきつく、クナも額に汗をかいた。
通りを曲がったクナは、すぐに担架を発見する。というのも四つの担架は、ウェスにひとつだけの薬屋『恵みの葉』の入り口前に並んでいたのだ。
背の低いクナは人混みの後ろでつま先立ちをして、観察してみる。
(怪我の具合は、右の二人が軽傷、左の二人が重傷……)
二人は意識があり、軽く呻いたり、苦しそうに唸ったりしている。切り傷や擦り傷は数え切れないほど、骨折もしているようだが、まだましな部類だ。
だが、あとの二人がひどい。二人とも血を流しすぎたのか、すでに意識がない。呼吸も浅く、危険な状態だ。
特にひどいのが、クナに威張り散らしていた男だ。魔獣に頭でも噛まれたのか、くっきりと牙の痕跡が残る頭部から血が流れている。右腕と左足は、皮膚の下の肉の色が見えていて、繊維が千切れかけている。
あまりに惨い光景に、母親は子どもの目を隠して遠くに連れ出している。それでも、通りの向こうまで噎せるような血のにおいが充満しているだろう。クナの周りでも、大の大人たちが気分悪そうにふらついている。
「おい、ポーションの準備はできたか!?」
ほとんど怒号に近い声で門衛が叫べば、開いた戸から慌ただしく店主や店員が出てくる。
彼らは何も手にしていない。というのも裏口のほうからきゅるきゅると音がする。台車の車輪が回る音だ。普段は大口の搬入出に使うのか、裏口から直接繋がる斜面上の坂があるようだった。
しかし門衛たちは運ばれてきた台車を目にして顔つきを険しくした。
そこには十本足らずのポーション瓶が載せられていた。もはや、わざわざ台車に載せる量でもない。
「これでは足りないんじゃないか?」
「初級ポーションは人気なもんで、今日の分は売れちまってます。これは倉庫にあった在庫を引っ張ってきたもんでして……」
訥々と言い訳を口にする店主だが、問題はそこではない、とクナは思う。
とにかくポーションの状態が悪い。鑑定魔法などの高度な魔法が使えないクナにも、一目で分かるほどだ。
ポーションには保護魔法がかけられていなかった。緑色の薬液はすっかり色落ちして、底面がおそろしく濁っている。
(あんなに劣化したポーションを飲ませたら、むしろ腹を下すぞ)
弱り切った重傷者二人に、とどめを刺す結果になりかねない。
「追加で作ってくれるか」
「……はぁ。おれも倅も、今朝方にはほとんど魔力が尽きてますから。追加というのはなんとも」
店主は前掛けで落ち着きなく手を拭っている。
「それなら、誰か、この店で買ったポーションの持ち合わせはないか? 人助けのためだ、一本でもいい、分けてくれ!」
門衛が呼びかけても、人々は困った顔を見合わせるだけだ。
というのも、薬屋のポーションは冒険者を中心に売れている。そして日の高い時間に、街に戻ってくる冒険者は居ない。帰ってきたとしても、ポーションは使い切っている可能性のほうが高い。
また、これはクナの知らないことではあったが、同じ頃、冒険者組合にも数人の男が走っていた。買い取ったポーションが余っていないかと確かめるためだ。
しかし、これにも首が振られていた。組合では鑑定魔法の使える組合長の不在により、ここ一週間は一本のポーションも買い取っていなかったのだ。
そもそも調合の行える薬師の数は少なく、貴重である。彼らは手数料の取られる組合に商品を売ることはない。そんなことをせずとも、商品を売る手段は他にいくらでもあるからだ。
門衛たちが最後に足掻くように、四人の冒険者の手持ちを確認するが、ポーション瓶はなかった。すでに使ったか、森に落としてきたかだろう。
やがて彼らが下した決断は、クナには手に取るように分かった。
(二人は、初級ポーションでも助かる)
命には、取捨選択しなければならない場面がある。
まだ助かる見込みがあるのは、どう考えても軽傷者の二人だ。重傷者を切り捨てれば、十本足らずのポーションで、どうにかなるかもしれない。だがそうすれば、重傷を負った二人は確実に死ぬ。
そこまでを見届けたクナは、背負い紐の片方を外した。
後ろ手で、一本の瓶をとりあげる。ちゃぷ、と中の液体が揺れる。けれど幸い、クナには両手が二本あるのだ。それぞれの手に、一本ずつの瓶を握り締めた。
かごをゆすって背負い直すと、クナは人だかりを鋭く見据える。
「どいて」
決して、大きな声ではない。
けれど凛と響き渡った声は、不思議と誰しもの耳元に届き、反射的に数人が道を空けた。
クナは口で瓶の蓋を外しながら、歩みを進める。
迷っている時間はないからと、足を止めずに歩く。気がついた人波は二つに分かれて、その中心を、クナは立ち止まらずに進み続ける。
傍らには守るように、その道行きを見届けるように、白い子犬の姿があった。
「君は……」
門衛がクナに目を留める。クナは気にせず、重傷者二人に歩み寄る。
そして門衛たちはその直後、衝撃のあまり言葉を失うことになる。というのも目の前で、信じられないことが起こったからだ。
――どばどばどば、と。
クナが手に掴み直した瓶を、勢いよく逆さまにして。
緑色の中身を、死にかけの冒険者二人に降らせていたのだから。
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