第24話.荒れていく薬屋
アコ村にひとつしかない薬屋。
小さいが清潔に保たれていた薬屋は、以前と異なり薄汚れた様相を呈していた。
前の通りは、掃き掃除をしないせいでゴミや木の葉が散乱している。
店のドアの取っ手は、べたりとした感触がして、店内には大きな埃や髪の毛が落ちている。商品棚にもうっすらと埃が積もり、商品が補充されない空っぽの棚が目立つようになってきていた。
店を訪れた客は、カウンターに力なく座り込む男を見ると必ず文句を言ってくる。
「おいドルフ。どういうことだよ、ポーションの販売を休止するって」
その日の朝も、三人の村人がカウンターへと詰め寄っていた。
ドルフの顔なじみばかりだ。しかし全員の目は三角につりあがり、隠しきれない怒りがにじんでいる。そんな彼らを、ドルフは澱んだ目で見返す。
(どういうことも何もないだろ)
クナが居なくなり、ドルフは自力でポーションを作らないといけなくなった。
必死に努力をしたが、毎日数本のポーションを作るのがやっとだった。たった数日でドルフの顔は土気色になり、逞しい身体は一回り小さく縮まった。魔力切れの痛みがひどく、眠りにつくのも難しいために、目の下には隈までこしらえている。
苦痛に耐えかねたドルフは、ポーションの販売を休止すると貼り紙を出した。
その結果がこれだ。朝から晩まで村人たちが入れ替わり立ち替わり姿を見せては、ポーションを売れと迫ってくる。ドルフの作った青蓋のポーションがほしいのだと。買ってやるのだから、今すぐ出せと。
「親父がまた鍬を足先に落として怪我したんだ。ポーションがないと困るんだよ」
隣家に住む青年が言えば、「そうだ」と二人が追従する。
「いつになったら売り出すんだ?」
「せめて日にちくらい教えろよ」
ドルフは、こう返すしかない。
「……当分は無理だ。包帯があるから、そっちを買ってくれ」
「包帯くらい家にある。まさか、傷薬もないのか?」
「一昨日、売り切れたんだ」
傷薬や風邪薬、目薬などは、クナが調合していたものがいくつか残っていた。
こちらももちろん、黄色蓋を青蓋に取り替えて販売していたのだが、それらはほぼ売り切れてしまった。ポーションがないと知った村人が、焦って買い込んだのだ。
返ってくるのは、失望の溜め息である。
ドアベルが荒っぽく鳴らされ、三人が店を出て行った。
薄い壁を通して、外からも「なんだよあの態度」「ふざけるなよ」と文句が聞こえてくる。その間、ドルフは両手の拳を握り締め、ブルブルと震えていた。
(なんで俺が、あんなやつらに好き勝手言われなくちゃならないんだ)
今まで、ポーション作りの天才としてドルフは称えられてきた。
だがありがたいと手を合わせてきた村人たちは、ドルフが不調を訴えたとたんに手のひらを返した。役立たずを――クナを見るような目を、ドルフに向けるのだ。
(お前らがシャリーンに協力なんかしたせいで、クナは死んだんだぞ!)
ドルフは何も悪くない。悪いのはクナを追い出したシャリーンと、その手伝いをした村人たちだ。
そう思い込むドルフは、激しく貧乏揺すりをする。
激しく足を動かせば、ぐう、と嘲笑うように腹が鳴る。最後にまともな食事をとったのは昨日の朝だ。金の問題というよりも、魔力切れのせいだった。何を口にしても気持ち悪くて戻してしまうから、うかつに食事ができない。それでも空腹感は絶えず身を苛んでいる。
とても裏の畑を世話する気にもなれず、クナが熱心に育てていた薬草は一部が枯れていた。野菜はときどき引っこ抜き、生のままかじってはそこらに捨てた。何を見ても、何をしていても、苛立ちばかりが募る。
呼び鈴が鳴る。この音が鳴るたび、暴れ出したくなる。また文句を言い募る誰かがやって来たのだ。
今日にでもぶっ壊してやろうと呼び鈴を睨みつけたドルフは、目を留める。開いたドアの隙間からのろのろと入ってきたのは、村はずれでひとり暮らしをする老婆だった。
「包帯をもらいたいんだけど」
用件を切り出した老婆に、ドルフはほっとして頷く。
包帯ならばまだいくらでも余っている。しかしドルフが立ち上がる前に、老婆はしみじみと呟いた。
「あんた、クナのこと大事に思ってたんだねぇ」
「……え?」
「優しいお兄さんだよ。死んだマデリの言いつけだからって、あんな出来の悪い子をちゃんと可愛がってさ……」
突然の言葉に、ドルフは間抜けに口を開くしかない。
「クナはもう居ないけど、気を落としちゃだめだよ。あんたには村のみんなが期待してんだからさ。真面目にがんばんなさい」
見当外れな励ましと共に、肩をぽんぽんと叩かれる。
言いたいことを言って満足したらしい。商品棚から勝手に包帯を取った老婆は、八十ニェカを棚の上に置き、さっさと店を出て行った。
ドルフは錆びついた硬貨を遠目に眺める。
うるさいと怒鳴りつけ、曲がった背中を追いかけ、この硬貨を投げられたらどれほど気分がいいだろうか。
しかし実際は、ドルフは立ち上がって、たった八十ニェカを回収することしかできないのだ。
(シャリーンも、最後に来たのはいつだったか)
ドルフにつきまとっていたシャリーンは、数日前から姿を見せなくなった。
もともとドルフがウェスの出身だという理由で、シャリーンは近づいてきた。アコ村というあまりにもちっぽけな村で生まれた自分に、嫌気が差していたのだろう。何度もウェスの話を聞きたがり、話を聞くたびに素敵だと褒めそやした。そんなドルフと関係を持つ自分に、酔っているようだった。
ドルフはほんの幼い頃にウェスで数年過ごした記憶しかなかったが、シャリーンがあまりにもしつこく話を聞きたがるので、それっぽい話を絞り出して語ってやったものだった。
そんなシャリーンも、ドルフがポーションを作れないのを知れば、呆れて薬屋を出て行った。
(どいつもこいつも、舐めやがって)
ぎりり、とドルフは歯を食いしばる。
強い怒りに頭の中が支配される。ドルフは立ち上がり、ドアを開けると店を飛び出した。
道ばたに生える薬草を、手当たり次第に摘んでいく。
ただの植物に気を使うつもりはない。根っこごとドルフは引き抜いていく。どうせすぐに生えるのだから、どう扱おうがドルフの勝手だ。
思いついたのだ。材料となる薬草さえ大量に入れれば、それなりのポーションができるはずだと。
魔力水ではなく井戸の水を。薪を拾って火を熾せばいい。薬草さえ入れておけば、ドルフが無理をして魔法を使うことはないのだ。
「ふざけんなよ。俺だって、ポーションくらい作れんだよ」
ぶつぶつと小さな声で憎悪を吐き出しながら、ドルフは口元を歪ませる。
――そうして摘み取った薬草の中に。
毒を持つ野草が紛れていることに、気がつかないまま。







