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エイノは領地に帰ってくるなり、矢継ぎ早に召喚状を王から受け取るはめになったようだ。
ヘルジュはそのことをエイノから直接聞かされた。
「総司令官の私が武勇伝を語らないことにはパーティが始まらないとの仰せなんだ。悪いが、お前にも一緒に来てもらう」
ヘルジュは固まってしまった。
「……な、なぜですか? パーティはすべて欠席するようにと……」
「それは戦時中の話だ。言ってみろ。お前は誰の妻だ?」
エイノがふざけて、子どもに教える先生のように、わざと簡単な問題を出してきた。
(エイノ様の妻……だなんて……)
改めて聞かれると、口に出すのも気恥ずかしくなるのはなぜなのだろう。名実が伴っていないと感じるからなのか、それとも、からかわれているのが明白だからなのか。
ヘルジュがあまりにも照れているせいで、しまいに冗談を振ったエイノも困惑していた。
「……黙り込むな、私が馬鹿みたいだろうが」
「す、すみません」
「だから謝る必要は――ああ、もう」
エイノはヘルジュの顎を持ち上げ、目を強制的に合わせた。
「顔が真っ赤だな。もうさんざんからかわれ尽くしたんじゃないのか?」
エイノがヘルジュの頬を撫でる。彼の肌との温度差で、確かに自分が赤面しているのだということを感じ取った。
「ど、どこでこのようなことをからかわれるのですか?」
「だから、宮中だろう」
「一度も足を踏み入れたことがありませんし、それに、戦争中は宮廷もひっそりしていたので、そのような機会など一度も……」
「なるほど。国境線を大きく越えて侵略されている最中に、宮廷でパーティ三昧というわけにもいかなかったか」
「そ、それに、エイノ様も行くなっておっしゃってましたから……!」
ヘルジュは彼の言いつけを忠実に守って領地でおとなしくしていたのだ。なのに、楽しく遊び回っていたんだろうと思われるのは心外だった。
「では早く慣れてもらわないとな。少しからかわれるたびに真っ赤になって隙を見せるようでは、私の気苦労が天井知らずになりそうだ」
エイノはヘルジュの頬を愛おしげに撫でた。
「お前は私の妻だ。そうだろう?」
「は……はい」
「ならば、この程度のことでうろたえるな。お前がそう無防備に可愛いところを晒すと、つけ狙う輩も出てくるだろう」
「……でも、私は……エイノ様の……」
「妻だ。それも、とびきり愛らしい」
(からかっているだけ……なのですね)
分かっていてもヘルジュはまた可愛いと言われたことでまともに返事ができなくなってしまい、エイノとも微妙に気まずくなった。
「……いや待て。初々しすぎやしないか? そんなに赤くなられるとやりにくいんだが」
エイノはよく分からないことを言ってから、手を額に当てた。
「そういえば私が修道院から探してきたのだったな。なら生え抜きの修道女で当然か……」
エイノは何かを納得したようで、ヘルジュに子を見守る母のような、なんともいえない温かい笑みを向けてきた。
「急ぎはしないが、まずは私といることに慣れろ。それが最初の課題だ。いいか?」
「は……はい」
なんだかよく分からないが、それがヘルジュの仕事だというのなら、きちんとこなそう。そうすれば、離婚のときにも色をつけてもらえるかもしれない。
ヘルジュはこのとき、まだまだ離婚する気満々でいた。
王都に移動するという通達の直後、エイノはゆっくりくつろぐ時間も取らずに、すぐに使用人たちに荷物をまとめさせ、王都に取って返した。
ヘルジュもお気に入りの小物をまとめて、エイノとともに移動することになった。
エイノと同乗するように言われ、手を借りて、大きな馬車に乗り込む。
手が触れやすい距離に乗り合わせることになったせいで、ヘルジュはまた落ち着かない思いを味わった。
反面、エイノは何やら上機嫌だった。
「おばあさまも屋敷の所用を片付けたら来るそうだ」
「シルヴィア様も……?」
「パーティにひとりだと心細いだろうから、とな」
それはまったくその通りだったので、ヘルジュは少し気が楽になった。
「助かります」
ヘルジュが無作法なことをしでかしてしまっても、シルヴィアなら文句を言いつつ助けてくれるに違いない。
「パーティ用に、お前のためのドレスをいくつか頼んでおいたから、楽しみにしていろ。帽子や手袋は店で買おう」
「あ……ありがとうございます」
「好みなど知らんから、とりあえずで見繕っておいた。私の趣味だが、まあお前にも似合うだろう」
「ち……ちなみにどんなものを?」
ヘルジュはドレスの類をほとんど持っていない。行事に出席する機会もなかったため、自宅でくつろぐための服以外は必要なかったのだ。そのため好みと言われてもいまいちピンと来ない。
エイノはヘルジュと反対に、好みがはっきりしていそうだと感じる。それも、ヘルジュが着るのをためらってしまうような、派手で人目を引く服を選びそうだと、本人の着衣のセンスなどからも感じた。
今日のエイノは比較的ラフな服を着ているが、柔らかそうなシャツの上に着込んだ派手な青のベストは、ヘルジュなどはまず選ばないような柄だ。しかし、エイノの貴族的で華やかな容姿にはよく似合っていた。
「まあ、見てみれば分かる」
(合わないドレスだったらどうしましょう)
不安になったヘルジュがもんもんと結婚式のドレスの惨状を思い出して震えていると、エイノが注意を引くように、膝を軽く叩いてきた。
「ところで、ダンスは誘っても問題ないか? 踊った経験は?」
「ありません……習ったことも」
「習ったことがない?」
エイノはふと真面目な顔になった。
「そういえば、出征中にお前の父親が結婚無効を申し立ててきても構わないつもりで式にも呼ばなかったが、あれから何か連絡はあったか?」
「いえ……特には」
「一度も?」
「はい」
エイノは戸惑ったように、身振り手振りをまじえながら、ややオーバーに言い訳めいたことを口にする。
「私が死んだなら婚姻自体が無効になった方がお前のためだろうから、お前の父が万事処理してくれればいいと思って、わざと礼を失する形にしておいたわけなんだが……それで腹を立てている、というわけでもなく? 無関心で連絡をよこしてきてない――ということか?」
ヘルジュは訳アリだったが、どう説明すればいいのか分からず、だんまりを決め込むことになった。
「……まあいいか。アーレ伯爵が何も言わないなら、このままヘルジュをもらっても構わないということだろう。手間が省けてよかった」
エイノはあっさりとそう決め打って、ヘルジュの膝をいたずらっぽくくすぐった。
ヘルジュは不本意にも悲鳴に近い声を上げることになった。
(この方、どうしてこうも距離が近いの?)
ヘルジュなど一緒の馬車に乗っているというだけで緊張してガチガチになってしまうというのに、エイノは平気そうだ。困惑するヘルジュを見て、気楽に笑っている。
「とりあえず、生死に関わらなければ問題ない。平和とはいいものだな。もう、奇襲を警戒しながら行軍しなくてもいい。寝ていても現地に到着する……」
ふわぁ、という大きなあくびは、そのままエイノの気の緩みを余すところなく表していた。
エイノはオロオロしているヘルジュの頭をぽんと叩いた。
「……私ばかり喋っているな。ヘルジュ、お前はどうだった? この三年間で、一番困ったことはなんだ?」
ヘルジュはビクっとした。そんなもの、あるわけない。ヘルジュ視点では確かにいろいろとあったが、それこそエイノが悩まされていたような、敵の奇襲問題などに比べたら、どうしようもないほどの些事である。




