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昼下がりの射的場で、エイノは再びぼーっとしていた。
試合は順調に勝ち進んでいる。次は準決勝だ。
「いやー、久しぶりの快勝ですねえ! やっぱり団長はすげーっす!」
エイノは心からどうでもよかったので、まだぼんやりしていた。
ただし、射撃だけは真面目にやっている。腕が衰えると、いざというときにヘルジュを守れないかもしれないと思い直したからだった。
「今日も心ここにあらずっすねえ。奥様とまた何かあったんですか?」
最近つやを増してますます輝くようになった柔らかな金髪、ぱっちりとした大きな瞳、慎ましく人形めいた小さな鼻と顎と口。
ヘルジュの姿を思い浮かべ、エイノはデレッとした。近頃は笑顔が増えて、見ているだけで胸が温かくなる。頬を染めて上目遣いにエイノを見上げるときの奥ゆかしい愛らしさときたら。
「ますます可愛くなった」
「それはそれは。まあ、団長が今日は真面目にやるって教えてくれたおかげで俺は大もうけだったんで、本当に感謝してます」
「ああ、とっておけ。お前には世話になった」
「団長が優しいと不気味っすね……でもいいことですよ。団長目当てだったお嬢さん方もそろそろ諦めがついたみたいでぞくぞく結婚が始まってますからね! まぁそうですよね、あんなに連れ回してデレデレしてるとこ見せつけられたら敵いませんよ!」
「まあな」
エイノはそれが目当てで積極的にパーティへと顔を出したのだ。ヘルジュは社交的な性格でもなし、パーティは男女同伴なので、これでだいたいの問題は解決したと思っている。
ヘルジュは貴族的な催し物のすべてが新鮮らしく、何にでも目を輝かせて驚いてくれるので、パーティ三昧の日々もまったく悪くはなかった。
「ちょこちょこと一生懸命歩いてる姿を見ていると泣けてくるんだ」
「あれ? まだお子さんはお生まれになってないですよね?」
「ヘルジュの話だ。先週末はヘルジュが初めて公園デビューしたんだ」
「奥様何歳児でしたっけ? いやすごく小さくて可愛いとは思いましたけど、さすがに」
「馬鹿にするなよ、あの子にとっては初めてのことだったんだ。すごく嬉しそうにベンチでひなたぼっこを楽しんでいた」
「さようで……」
何でもかんでも無責任に持ち上げるヨハンにしては珍しく引いているが、エイノの関知するところではない。
「やはり私の目に狂いはなかった。この国の女神はヘルジュ以外にいない」
「ひなたぼっこで喜ぶ女神すか? 何かイメージと違うつーか……『太陽が私のもとに来い』くらいのスケール感がいりません?」
「慎ましく貞淑な方の女神もいるだろう。そっちの方だ。いつもはにかんでいてそれはもう可愛いんだ」
ヘルジュの愛らしさは止まるところを知らない。ちまちまとあの小さな手と指で編み物をしていると感動してしまうし、いささか不器用にダンスの練習をしている姿もまぶしく尊く、夜中に降り積もった雪が朝日でほろほろと崩れていくような温かい気持ちになる。
ちんまりした娘だというのに夜会のドレスなどから覗く白い首や胸元は曲線的で悩ましく、なんともエイノの心をくすぐるのであった。
頬をバラ色にしたヘルジュが、あの大きな目いっぱいにうれしそうな色をたたえていると、無性にぎゅーっと抱きしめてやりたくなる。
ぼーっとしているエイノに、ヨハンは気を取り直したような声を上げた。
「まあ、よかったっすね! 俺のがんばりのおかげですよね? ね?」
「多少はな」
「いやーそれほどでも! 俺ってば有能で気が利いちゃう天才なんで!」
「お前の調子の乗り方こそ何歳児だ」
「団長の恋愛模様も大概ですよ。初恋のガキだってもうちょっと手が早いんじゃないですか?」
「あの妖精みたいなヘルジュに手荒な真似ができるか。壊れ物のように繊細なんだぞ」
なおもエイノはヘルジュに手を出しかねているが、きっかけを作るとすれば新婚旅行のときだろうと思っている。
ヨハンはしみじみとうなずいた。
「本当に大好きなんすね」
「小さくて儚くて愛おしい。お前も結婚すれば分かる。そっちはどうなんだ?」
「いやー今狙ってる子がいるんすけどねえ。いいとこまで行ってるはずなんで、もうしばらくしたら報告しますよ」
「そうか。うまく行くといいな」
エイノが心からの気持ちで言うと、ヨハンは怪訝そうな顔になった。
「団長もすっかり丸くなって……」
「なんだ、おかしいか?」
「俺はうれしいんすよ。もうすっかり氷の騎士団長じゃなくなっちゃって。そのうち呼ばれなくなるんでしょうねえ」
エイノにとってはどうでもいいことだが、確かにそのあだ名も消えていくのだろうなと他人事のように思った。
ヘルジュと一緒のときは心に春のような暖かい風が吹き込んでくる。この国の長く厳しい凍てつくような寒さだって、彼女の前にはぬるむに違いなかった。
「そうだ、団長、指輪ってどこで買えばいいと思います?」
二、三のアドバイスとともに、出入りの宝石商にカタログを持っていかせる約束をして、エイノはふとひとりでに笑みが浮かんだ。
「なに笑ってるんすか?」
「いや、なに。知ってるか? ヘルジュの指輪はこんなに小さいんだ。私は小指すら入らない」
「本人たち以外にはすげえどうでもいいノロケをありがとうございます。なんすかそれ、俺かわいいですねーって言えばいいんすか?」
「ああ。何度でも言おう。うちのシファは本当に可愛い」
ヨハンは付き合いきれないと思ったのか「お幸せに」と言い残して帰っていった。
エイノは順調に優勝して、賞金をせしめた。ポットにまあまあの金貨が入っているのを、ざらざらと適当に袋に突っ込む。これで何か買って帰ろうかと思案する時間もまた楽しく、エイノは頬が緩みっぱなしなのだった。
◇◇◇
ヘルジュはカジャと一緒に、公園のベンチでランチボックスを広げていた。エイノに連れてきてもらって以来、すっかりお気に入りになってしまったのだ。
きちんと投資して植物に手を入れている、お庭をもっと広くしたような場所だと言われて、どんなところだろうと思っていたが、まだ寒い時期だというのに、色とりどりの綺麗な花が植わっていて見飽きることがなかった。
幸せを感じつつ、小さなパンをかじる。
(エイノ様が一緒に、並んでお花を眺めてくださって)
もう慣れたと思っていたのに、何気なく降ろした手が偶然触れ合ったときは顔から火が出るかと思うほど恥ずかしくなってしまって、たまらなかった。
(前にも増して恥ずかしいのですよね)
エイノに凱旋直後ベタベタされていたのは主に居心地が悪くて恥ずかしかったが、今はなんだかくすぐったくて恥ずかしい。心が浮き立つようでもあり、脈が速くなりすぎて苦しいようでもある。
エイノと離れて、いまさら一人暮らしなんてできない。きっとヘルジュは寂しさのあまり泣き暮らしてしまう。
一度手に入れた幸福を失うのは、想像だけでもこんなに辛いのかと、驚くほどだった。
「カジャ、大丈夫? 寒くはありませんか?」
「ええ、奥様にいただいた外套がとても温かいので!」
もこもこのファーつきの外套はカジャの明るい瞳の色に合っていて愛らしかった。
「素敵よ」
「奥様こそ」
ゆっくりとした時間の流れに癒やしを感じていると、カジャがこちらの顔色を窺うようにして口を開いた。
「奥様は、修道院育ちでいらっしゃるのですか? いえ、そんなに珍しいことではないと思いますが……」




