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【完結】氷の騎士団長様にひたすら甘やかされています~誰でもよかったと言っていたはずなのに、旦那様の様子がおかしいです~  作者: くまだ乙夜


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(私のことが知れ渡ったら――)


 誰かがヘルジュの正体を見破ってしまうかもしれない。それがとにかく怖かった。ヘルジュには本来、愛される資格もないのだ。エイノの治療に必要だから暫定でそばにいるだけ。それだけなのに。


(私はいずれ、離婚される身)


 エイノはヘルジュをとても甘やかしてくれる。エスコートのときに丁重に扱ってくれるのは対外的な問題もあると納得できても、自宅で猫かわいがりされる理由はいまいちよく分からなかった。ただ、エイノの心が傷ついて退行気味だということは大いに関係しているのだろう。


 回復していけば、いつか必ず彼は目を覚ます。こんなに退屈で何の取り柄もない女を妻にしていたなんて自分はどうかしていたと、後悔する日が来るに違いない。


(捨てられることには、慣れています)


 辛いのは、信じて期待したのに裏切られることだ。


 初めから何も期待していなければ、傷つかなくて済むのに。


 エイノがあまりにも優しいせいで、つい夢を見てしまいたくなる。


 このままずっと夫婦としてやっていけるのではないかと、ありえそうにもない希望を抱いてしまうのだ。


「私は妻が愛おしくて仕方がないのですよ」


 愛妻家の評判が広まれば広まるほど、ヘルジュは怖くなった。実態のないものがふくらんで、ふくらんで――そのうちシャボン玉のように弾けてしまうのではないか。


(だって、私は、出てきてはいけない存在でした)


 本当はもっと早くにエイノを止めるべきだったのだろう。


 エイノの努力は幸か不幸か実を結び、僻地にも彼の妻『シファ』の名が届いたようだ。


 その結果――


 ヘルジュは歓迎したくない人たちと再会することになった。


◇◇◇


 ヘルジュの手元に一通の手紙が届いた。


 アーレ伯爵家の封蝋で閉じられた、古風な手紙。


 ヘルジュの実家が送ってよこしたそれをひと目見た途端、ヘルジュは震えを止められなくなった。


「……ヘルジュ様、どうしました?」


 メイドのカジャに『何でもない』と返し、ヘルジュは書斎に逃げ込んだ。とにかくひとりでじっくりと読める場所が欲しかった。


 ヘルジュはそうっと開けてみて、またすぐに閉じた。


 予想通りのことが書かれている。


 ――結婚だなんて許した覚えはない。


 ――修道院から逃亡するなど許さない。


 ――早く元の修道院に戻れ。


 ――取り返しのつかないことになる前に。


 ヘルジュが真っ先に考えたのは、『破り捨てないと』ということだった。


 誰にも見られないよう処分して、見なかったことにすればいい。そうすればヘルジュはまだここにいられる。


 それと同時に恐れもした。手紙に書いてあることは正しいのだ。ヘルジュがずっとここにいれば、取り返しのつかないことになる。


 ヘルジュには秘密があった。


 彼女が隠し通そうとしても、きっとアーレ伯爵は許さないだろう。


 ヘルジュはどうしたらいいのか分からなくなって、紙を細かくちぎると、暖炉の灰の奥に埋めてしまった。


(大丈夫。誰にも気づかれていないはず。だから、大丈夫……)


 ヘルジュの企みも空しく、ことはあっさりと露見してしまう。


「アーレ伯爵から手紙が来ていたそうだが」

「……っ」


 昼食後にくつろいでいたところに不意打ちでそう言われ、ヘルジュは青くなった。


「伯爵はなんと?」

「……結婚したことを今更知ったようで、修道院に戻れといって怒っていました」


 隠しても仕方がないと思い、素直に白状すると、エイノはふむと唸った。


「ならば一度は挨拶に行くか」

「いえ……っ、それは……」


 そんなことをすればおしまいだ。父は必ず秘密をエイノに打ち明ける。エイノも、事実を知ればきっとヘルジュを修道院に放り込むだろう。


「必要……ありません。私の父は……私に関心などないのです。実家になど行ったら、かえって嫌がると思います」


 ヘルジュの苦しい嘘を、エイノはどう感じたのか。


 彼はあの冷たく見える灰の瞳でヘルジュをじっと見下ろしている。きちんと整えられた眉が厳しく釣り上がり、ヘルジュを責めているかのようだった。『氷の騎士団長様』の威圧感をまざまざと感じ取り、心苦しさに息が詰まる。


「……ヘルジュ」


 低い声で呼ばれたとき、ヘルジュは心の中にあるやましいものの重さに耐え切れなくなった。白状してしまおうかとも考えた。


(……そんな恐ろしいこと、できません……)


 エイノが戻ってきて以来、ヘルジュは幸福だった。食事と寝床さえあればいいと思っていたのに、満たされてしまうと欲が出る。


(せめてエイノ様が無事に健康を取り戻すまではここにいたい――)


 何も期待しないようにしているつもりのヘルジュが、それでも譲りたくない、たったひとつの願い。


「お前の話を聞いていると、どうもアーレ伯爵とはうまく行っていなかったようだが」

「……はい」


 エイノは手近なソファに座ると、ヘルジュを手招きした。


「まあ、とりあえず座れ」


 ヘルジュはおそるおそる隣に座った。きっと尋問されるのだろうと思うと、恐ろしさに泣き出したい衝動にかられる。


 人払いがかけられて、ふたりきりになった。


「今から無礼な質問をするが、もしも気に障ったのなら遠慮なく怒ってくれていいし、黙秘してもいい」


 エイノの前置きに胃がキリキリと痛む。


 彼はヘルジュの嘘に気づいているに違いない。ごまかし通したいという希望は、続く言葉で完全に打ち砕かれた。


「……お前、本当にアーレ伯爵家の娘か?」


 エイノの指摘は核心を突いていた。


 ヘルジュはたまらなくなって、涙をこぼした。嘘をついていた罪悪感、たやすく見透かされてしまった恥ずかしさ、きっと軽蔑されているだろうという後悔。それらがぐちゃぐちゃになってヘルジュに襲いかかる。


「いや、泣くことはない。私は責めているわけではないからな。ただ、本当のことを知りたいだけだ」


 エイノはヘルジュの背中をさすってくれながら、ひとつひとつ指折り数える。


「乗馬、ダンスを習ったことがない。趣味らしい趣味もない。父親は三年間連絡をよこさなかった。それに、そもそもお前を引き取ったとき、まだ修道女『見習い』だったのに、すでに何年も修道院で修行を積んでいたように、どの仕事も完璧にこなしていた。編み物の手際のよさも、貴族令嬢の手習いとは質が違う。あれは、長年やっていた人間の手つきだ」


 どれも貴族令嬢にあるまじきことだ。


 エイノが疑いを持つのも当然だろう。


「……お前が自分からやっている、という可能性はないだろう。そこまでしても成り上がりたいというハングリー精神のある娘だとはとても思えん。そこで、誰が何の目的でお前をアーレ伯爵家の娘に仕立てあげたのか、色んな仮説を考えたんだが……」

「う、……っ」


 ヘルジュは嗚咽を止められなくなり、小さく声を漏らし続けている。


(バレてしまった、もうおしまい、私はエイノ様に嫌われてしまった……!)

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