雪中行軍
ペシペシ、テシテシ。
俺は女王雪豹であるシリアの尻尾で背中を叩かれている。
彼女がクワッと大きく口を開けた。
「はいはい、ちょっと待ってくれよ。もうすぐできるからな」
そして、俺は料理スキルを発動する。
パアッと光が発生し、その光が消えると手元には木でできた器にスープが入ったものが完成している。
だが、これで終わりではない。
ペシペシと尻尾で叩く頻度が早まってくる。
「わかっているからちょっと待てよ」
今度は料理スキルから風魔法にペイントし直して、そよ風を発生させた。
器の中に入っているスープにそよ風を送り、熱さを冷ます。
熱々のスープではいけない。
そう、シリアは猫舌なのだ。
「はい、おまちどうさん。食べても大丈夫だぞ」
そう言って木の器を地面に伏せているシリアの前に差し出すと、そこに大きな口から舌を伸ばしてスープをすくい取るように食べ始める。
シリアを仲間に加えてから、もう数日が経過していた。
おそらくシリアの中では俺の序列は低いみたいだ。
一番がフィーリアで二番目がシリア、そして最下層に俺という存在がいることになっているのではなかろうか。
おかしい。
ちゃんとガチンコ勝負して、俺は彼女に勝利して力を示したはずなのに。
「シリアは怒っとるようじゃよ。ただの人間に負けただけではなく、自分をか弱いメス猫のように扱ったのが気に食わんかったんじゃろう」
と教えてくれるフィーリア。
シリアは賢いが流石に喋る事はできない。
しかし、フィーリアはなんとなくのニュアンスレベルではあるが、シリアと意思疎通できるようだ。
ようするに俺に一時とは言え使役されたのが気に入らないようだ。
生まれたときから女王であり、さらにハーレムを統べるものとして成長しようとしているときに俺にペットのような扱われ方をしたことで、彼女のプライドは大きく傷ついてしまった。
使役状態を解除した今となってはそれは黒歴史に近いものなのかもしれない。
忘れたくともその張本人が目の前にいるため、逆にこちらに強く出てその過去を上書きしようとしているのだろう。
まあ、俺としても爪で引っかかれて血を流すことはなくなっているのでその状態を受け入れることにした。
食事を用意したり、体を拭き清めたりと甲斐甲斐しく世話をしている。
意外と楽しいので別にいいかと思うようになってしまった。
「だけど、本当にシリアがいてよかったよ。まさかフィランに行くのがこんなに大変だとは思ってなかったからな」
今、俺とフィーリア、そしてシリアは雪の街フィランへと向かって移動している途中だ。
そして、リンドを出てすぐに俺は雪の降る山の中を移動するのがいかに大変かを痛感している。
まず、この辺の雪の降り方が半端ではないものになってきている。
1日に降り積もる雪の量がすごいのだ。
地面などは全く見えなくなっている。
多分地面まで雪かきをして道を出そうとすると、数mくらいは雪を掘り進めなければならないだろう。
日本にいたところに写真かなにかで見たことがある「道路の横に雪壁が高くそびえ立っている」ような感じになるに違いない。
もちろん、そんな雪かきをする意味はない。
なぜなら毎日大量の雪が振り続けているのだから、1日で地面は見えなくなってしまうからだ。
さらにこの雪は別の意味でも旅を困難にさせている。
毎日雪が降り積もるということは、道以外にも影響がでる。
つまり、どこかに村があったとしても、家が丸々雪の中に埋まってしまう可能性があるわけだ。
これはどういうことになるのかというと、石の街リンドから雪の街フィランに行くまでにある幾つかの宿場町は冬の間は使用不可能となってしまうのだ。
最初にその話をリンドで聞いたときには「そんなまさか」と思った。
だが、実際に旅に出てみると、一向に宿場町は見つからない。
おそらく雪の下に埋まっているのだろう。
どうにか探してやろうという気持ちもなくなってしまい、今は雪の上で野宿をすることになっている。
夜寝るときにはシリアに頭を下げまくって、そのフカフカの毛皮で俺を包むようにして眠ってもらうことに成功している。
多少の獣臭さはあるが、これがものすごく暖かい。
シリアがいなかったら、最悪の場合、「凍傷にならなければいい」くらいの覚悟で夜眠らなければならなかったかもしれない。
フィランへと向かう道中は、もはや気分的にはアルプスの山でさ迷っているという表現が当てはまりそうな感じがしてきていた。
「なあ、フィーリア。こんな山ん中に本当に人間が住む街があるのか? 目的地についたら実は人型のモンスターが住む街でしたとかそんなオチじゃないだろうな」
「なにを言うとる。フィランに住むのは普通の人間じゃよ。あそこはここらよりももっと雪が降るが街の中では問題なく生活できておろう」
「ここよりも雪が降るのに人が住めるのか。もしかして、冬の間は洞窟の奥に引きこもって生活しているとか、そんなんじゃないだろうな」
「洞窟はなかったと思うがのう。フィランも他の街と同じように建物を建てて生活しておるぞ。フィランには氷の女神像があるのじゃ。それのおかげじゃな」
そういえば、雪の街フィランには女神像があるとかって話があったっけ。
この世界に来たばかりの頃はそれが月の女神と関係しているのかと思ったが、氷でできた彫刻みたいな像だって話だったはず。
けど、ただの彫刻ってわけでもないのか。
「その氷の女神像には何か不思議な力があるのか?」
「うむ。誰がつくったのかはわからんようだが、もう数百年前からそこにあるのじゃ。氷の女神像は一定範囲の雪や氷、冷気などを吸収して大きくなっていくのじゃよ。雪のない夏場には一部が溶けて水として流れてしまうが、毎年冬になると元の大きさに戻るのじゃ」
「まわりの氷や雪を吸収するのか」
「そうじゃ。じゃから冬の間でも氷の女神像の周りには雪がなく、寒さもマシになっておる。寒さに弱い人間たちでもあそこなら冬越えが可能になっておるのじゃよ」
世の中には不思議なものが存在するなと感心してしまった。
だが、たしかにそんなものがあればこんな極寒の世界でも生きていけるかもしれない。
誰がつくったのかは知らないが、そいつがいなければフィランという街は存在しなかったのかもしれないと思った。
「そういえば、フィーリアが雪の街フィランに行きたいって言ってたのも、その女神像が目的だったっけ?」
「そうじゃな、よく覚えておるではないか。女神像は夏に少し溶けはするが、それでも多少大きさが小さくなるだけでな。基本的には数百年もの間、周囲の冷気を溜め込んでおるのじゃよ。じゃから、弱体化しておる今の妾を手っ取り早く癒やすにはその溜め込んだ冷気を少し分けてもらおうと思っておるのじゃ」
それって罰が当たったりはしないよな?
だが、それで納得できた。
フィーリアはリンドで雪が降り始めたときも、「このくらいは寒いうちにははいらん」みたいなことを言っていたのだ。
と言うか、今でも俺はクソ寒いと思っているのに対して、フィーリアは「ちょっと寒いかな」くらいのものらしい。
10年もの間、雪山から離れて力を少しずつ失っていったフィーリアが、その本来の力を取り戻すのは同じくらい長い時間がかかるのかもしれない。
だが、それを氷の女神像が溜め込んだ冷気を使えばその分早く回復することができるのだろう。
そんな裏話的なことを聞きながら、俺たちは雪の中を進み続けた。
シリアの背中に乗せて貰っての移動だったので、通常よりも移動スピードが速かったのかもしれない。
リンドを出発して10日後、俺達は雪の街フィランへとたどり着いた。




