商会長の悩み
「ハサウェイ商会を大きく、もっともっと大きくしろ」
これはハサウェイ商会の初代商会長である私の祖父の言葉だ。
たった一代で商会を興して大きくしてきた祖父は、自分が現役を引退した後も商会が大きくなることを望んでいた。
だが、2代目の商会長である私の父はその言葉には従わなかった。
祖父は偉大だった。
最初は街の生活品を売り買いする小さな商会だったにもかかわらず、貿易都市リーンの北にある石の街リンドから金属の販売権をもぎ取ったのだ。
この時、扱った中にはミスリルを始めとする希少金属があった。
大商会や貴族連中にさえ一歩も引くことのない強い祖父は、そのカリスマ性を発揮して商会を引っ張っていった。
おそらくいろんなことがあったのだろう、楽なことばかりではなかったはずだ。
だが、それでもこの貿易都市と呼ばれる場所でも一目置かれる商会へと成長していった。
その祖父が父に跡目を譲った際、さらなる発展を望んだ気持ちはよく分かる。
しかし、結果からみると父の判断も正しかった。
一代で急激に成長したハサウェイ商会にはさまざまな問題もあったのだ。
それを見て見ぬふりをして成長を続けたところで、いつか必ずほころびがくる。
父はそれがよく分かっていたのだろう。
何度も祖父と衝突しながらも、足場を固めるように商会の運営をしていった。
私が父からハサウェイ商会を受け継いだとき、リーンで最も安定した商会だという声すらあったほどだ。
かといって、父にも未練がなかったとは言えない。
いくらハサウェイ商会が評価されても、あくまで中堅どころという評価を抜け出せなかったのだ。
貿易都市として発展してきたリーンには古くから商いをしている商会がいくつもある。
そんなところは独自のコネなどを持っているため、そこに食い込むことすら難しい。
2代目や3代目の商会長というのはあくまでもポッと出として見られてしまうことも少なくない。
父も祖父もそれが分かっていたのだ。
現状を維持するだけではどこまで言っても上位に食い込めないということが。
そして、私は商会を継ぐときに「上を目指せ」と父に言われた。
商会を引き継いだ私はひたすらに働いた。
だが、数年たった今でも変わらない。
現状から抜け出すためにはなにかが足りない。
しかし、それがなにかわからなかった。
行き詰まりを感じていた私は久しぶりに自分自身で馬車を率いて行商へと出かけてみることにした。
そして、そこであいつに出会った。
リアナからリーンに帰るための移動になって、護衛として雇っていたパーティーの銀狼から、1人が病気のため護衛できなくなった。
その代わりに、冒険者ギルドから新人を押し付けられたという。
まだ若い男の冒険者は顔合わせにあったその場でリーダーのライラからゲンコツをもらっていた。
その時は、邪魔にさえならなければそれでいいかとしか考えていなかった。
しかし、そいつが数日後にはとんでもないものを持ってきた。
精霊祭で黒苔茸を採取してきたのだ。
黒苔茸から作る事のできる頭髪剤は効き目が他のものとは全く違う。
どんな権力者であっても男性であるならば、必ず確保しておきたいと考える。
「権力者とコネを作る」という目的に関してだけを言えば、この茸さえあればいくらでも可能だ。
私はすぐに買い取ろうとした。
だが、ぼんやりした顔とは別に、あの男はしたたかだった。
交渉では一歩も引かずにこちらが出せる最高額の報酬へと値段を引き上げられてしまった。
それでも黒苔茸さえ手に入ればメリットがある。
そう思ったのだが、次の日にはさらに黒苔茸を乱獲してきた。
あまりの高額買取になるため、すぐに支払える額を越えてしまった。
私はリーンに帰り着くまで頭を痛める事になってしまった。
祖父が残したミスリルの最後のインゴット。
祖父や父からは商会を大きくするための切り札として使うようにと言われていた。
ここがそのタイミングなのかどうかは分からない。
だが、行き詰まりを感じていた私の人生をこの男なら大きく変えてくれるかもしれないと思った。
随分と悩んだが、黒苔茸の支払いにミスリルのインゴットを使うことに決めた。
あいつはそんなことも分かっていないのだろう。
ただ、純粋に嬉しそうな顔をしてミスリルを受け取っていた。
これで何も起こらなければ、私の一世一代の大博打は負けたことになる。
いや、そうでもないか。
黒苔茸をうまく使うことができれば、ミスリルがなくとも十分チャンスはあるはずだ。
だが、私のそんな悩みはあいつにとっては関係なかったようだ。
翌日には再びハサウェイ商会へとやってきたのだ。
なぜ、昨日渡したばかりのミスリルがもう武器になっているんだ?
さらに、あの変わり者として有名なダンカンの工房で魔船を作る?
それもたった2週間で?
しかも、あの名門貴族のパーシバル家も関係しているだと?
昨日初めてリーンに来たと言っていたのに、たった1日でどうやったらそんな話になるのか理解できない。
しかも、広告主になれと言ってくる。
思わず頭を抱えそうになってしまった。
だが、広告という仕組みは初めて聞いたが面白い考えではあると思った。
とりあえず検討すると伝えて、私も独自で広告のやり方を研究してみることにする。
私は部下を使ってあいつを調べることにした。
たった1日でいろんなことに首を突っ込むやつなら、たとえ2週間で魔船が完成しなくとも何かしでかすかもしれない。
そして、その考えは決して間違いではなかった。
私とあった数日後には、トレントの森であの伝説のエルダートレントと戦ってきたという報告が上がってきた。
しかも怪我一つしていないらしい。
おかしいだろ。
エルダートレントなんておとぎ話の世界のモンスターみたいなものだろうが。
エルダートレントからは枝をもぎ取り、ここ最近は数が少なくなっていたトレントの上位種の木材も大量に持ち帰ってきたらしい。
魔船ギルドではかつてないくらいの盛り上がりを見せているという。
それからしばらくはやつもおとなしくしているらしかった。
だが、いよいよ青河杯が翌日になったときに、あいつから呼び出しを受けた。
普通、何の約束もなくいきなり商会長を呼び出すような人はいない。
部下の1人は無礼なやつだと腹を立てていたみたいだ。
だが、私の心は違った。
次は一体どんなことを見せてくれるのだろうか。
私のワクワクした頭は、予想を遥かに越えるものを見せられて思考を停止した。
高速小型船?
なにそれ。
生まれてこの方リーンで生活してきた私でも見たことも聞いたこともない、真っ黒な小型の船が河に浮かんでいる。
しかも、その速さは尋常なものではなかった。
試しにとカミュと呼ばれる女の子が運転する船へと乗せてもらった。
狭い船だ、体の置き所に困る。
が、そんなことは船が動き始めるとすぐに気にならなくなった。
速い、ものすごく速くて景色が吹き飛んでいくように感じた。
しかし、そのわりには全然揺れない。
私は昔から魔船に乗ると酔ってしまうことが多かった。
おそらく体質なのだろう。
どれほど名人といわれる人の船に乗っても酔ってしまうくらいの酷さだった。
だが、この船は全く酔わない。
そのことが一番の驚きだった。
船から降りると広告主の話になった。
船体にハサウェイ商会の紋章や商会名などを描くらしい。
その他にも衣装なども専用のものをつくり、そこにも広告を入れることになるという。
だが、それよりも一番うれしかったのはこの船の命名権を買えるということだった。
体質のために魔船に乗るのが困難な人でも酔うことなく乗れる船の名前を買える。
一も二もなく広告主になることに決めた。
ハサウェイ号と名付けられた瞬間、まるでその船が自分の子供のように感じられた。
翌日には青河杯が始まった。
あのハサウェイ号が動いている姿をみたい。
レースの結果そのものよりも、そちらのほうが気になって仕方がなかった。
広告料として大金を支払っているため商会長として、そのような考えではよくなかったかもしれない。
だが、ハサウェイ号は速かった。
最初の予選を見ただけで、決勝戦まで進むことはほぼ間違いないだろうと思った。
そして、その予想は裏切られることはなかった。
それだけではない。
最終的には優勝までもぎ取ってしまった。
レースに予想もしないトラブルがあったが、それでもハサウェイ号の速さに嘘偽りはないと断言できる。
ハサウェイ号は実力で優勝したのだ。
最初に広告主にならないかと言われたときには、その効果に確証が持てなかった。
だが、それは青河杯が始まってすぐに効果として現れ始めた。
全く異質な高速小型船に描かれた広告。
しかもそれはハサウェイ商会だけではない。
あの青年やベテラン冒険者パーティーの銀狼の名前まで入っている。
そして、我が商会には青河杯以降、連日人が訪れてきた。
「自分のところの名前ものせてくれないか」と言ってきたのだ。
青河杯のレースを走るハサウェイ号を見て、ハサウェイ商会こそがその元締めであると勘違いされたのだ。
実際は違う。
あの青年に話を持ちかけられただけで、私自身は金を出しただけだ。
だが、彼にそのことを話すと「うまく処理しておいてくれ」と言われた。
それはそうか。
彼は出会ったときから他の街へと行く用事があると言っていた。
この街に留まっていることこそ予定外のことなのだから。
止まない来客と、広がる誤解。
だが、その誤解はそのまま利用することにした。
私は広告を出す側から、出させる側へとなることにしたのだ。
まずはダンカン工房に話を通した。
そして、ダンカン工房の知り合いにも話をしてもらい、船に広告を載せる許可をもらっていった。
広告を船に描くだけで金を得られると知ると、船大工たちは喜んで許可をくれ、しかもその数が増えていった。
普段、人を載せて運ぶ船を中心に船体の中や外に広告を載せることにした。
リーンでは多くの船が毎日のように河を移動している。
他の街まで出かけることも少なくない。
その船がどこまで出かけることが多いのかなどの情報を調べて、広告の効果なども調べることにした。
最初に広告のことを聞いてから、あれこれと考えていたことが役に立った。
また、そのうち船以外にも広告を載せる事にした。
あちこちに専属契約を持ちかけたおかげで、リーンだけではなく、河の上流や下流にある街やリアナなどの広告もハサウェイ商会が取り仕切る仕組みも出来上がった。
気がつけば、あの青河杯があってからかなり年月が過ぎていた。
貿易都市リーンにやってくる商人の中でハサウェイ商会の名を知らないものは誰一人いない。
いつしかハサウェイ商会の規模はかつての何十倍にも膨れ上がっていた。
毎年、青河杯が行われた翌日には墓参りをすることにしている。
「初代様、先代商会長。約束を果たしました。ハサウェイ商会を大きく、誰も追いつけないほど大きな商会にしましたよ」
墓の前で手を合わせてから、立ち上がる。
振り向くとリーンの中でもひときわ大きな建物が見えた。
広告代理店ハサウェイ商会。
私は今、多くの人から広告王と呼ばれるようになっている。
青河杯編終了。
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