偉人伝説
「ただいまー」
爽やかな春風の中を駆け抜けるようにして少女が扉を開けた。
少女の自宅へと帰ってきたのだ。
「あら、おかえりなさい。初めての学校はどうだった?」
少女の母親だろうか。
10歳の子どもが通い始める学校に行く子を持つ親とは思えないほどの若々しく、しかし、すべてを包み込むような温かさを感じる女性だ。
少女を椅子に座らせて、温かいお茶とお菓子を用意して、我が子に尋ねた。
「うん、楽しかったよっ! 友達もできたんだ」
元気いっぱいに答える少女。
今年で10歳を迎えたと言うのにまだまだあどけなさが残る。
話は脈絡もなにもなく、今日あったことすべてを母親へとぶつけるようにして話し続けた。
「それでね、先生が言ったの。みんなもリリアーナ様を見習ってしっかり勉強するようにって」
「うふふ。そうね、リリアーナ様みたいになれるといいわね」
「お母さん。リリアーナ様ってどんな人だったのかな?」
そう尋ねる少女。
少女はこの地で伝わる偉人伝説を詳しく知らないらしい。
少女に言い含めるように、ゆっくりとした口調で母親が話し始めた。
「リリアーナ様は今から300年以上前にいた、すっごく賢い女性よ。お薬を作る調合師だったのだけれど、間違いなく偉人十傑の中に含まれるでしょうね」
「へー。お薬作ってた人なんだ。私はお薬は嫌いだなー。だって苦いんだもん」
「あら、いいお薬ほど苦いものなのよ。病気のときはちゃんと飲みましょうね」
「う〜ん、わかったー」
「えっと、リリアーナ様の話だったわね。リリアーナ様は子供の時からお薬が作れたそうよ。8歳で調合師として働いていたそうだから、あなたより子どもの時からになるのよ」
「すごーい。私よりも小さいときからお仕事してたんだー」
少女はその小さな口を大きく開けて驚いている。
この少女は普段から元気いっぱいなのだが、すぐ飽きやすいタイプでもある。
母親は興味を持ったらしい少女をみて、説明を続けることにした。
「リリアーナ様は子供の時から天才少女って有名だったらしいわ。大きく成長して大人になってもずっとお薬の研究を続けていたの。知ってるかしら? この家に置いてある置き薬があるでしょう。あの薬箱の中のお薬はほとんどがリリアーナ様が作ったものなんだから」
「うそー。お薬いっぱいあるのに全部リリアーナ様が作ったんだー」
「ふふ、本当よ。それに置き薬だけじゃないのよ。お医者様が使うお薬もリリアーナ様が作ったものが多いのよ。薬の歴史を200年は早めたっていう人もいるらしいわね」
その話を聞きながら、少女は「もっと甘いお薬作ってくれたらよかったのに」とつぶやいている。
どうしても苦いものは苦手なようだ。
「リリアーナ様は子どもの時からおばあさんになるまで、ずっとお薬の勉強を続けていたの。それでね、ある時お弟子さんが聞いてみたんだって。『なんでそこまで勉強できるんですか?』ってね」
まだ学校に通い始めたばかりの少女は、勉強をするというのがどういうものなのかをあまり理解していない。
答えを予想できない少女はクイズの正解をせがむように、体を前のめりにさせて続きをせがむ。
「その時、リリアーナ様はこう答えたのよ。『私よりもすごい人に出会ったことがあるのよ。その人に少しでも近づきたくて、勉強を続けているの』って言ったらしいわ」
「リリアーナ様よりもすごい人?」
「ええ。でも、その人のことはお弟子さんは知らなかったの。だから、それは誰かと聞いたそうだわ。そうしたらリリアーナ様は『そうね。天使様かしら』って」
「私知ってるよ。天使様って白い羽根が背中に生えた、神様の使いなんだよ」
「よく知っているわね。だけど、リリアーナ様の言う天使様は羽根はなかったそうなんだけどね。それに天使様は2人いたんだって」
そう言いながら母親は近くの棚から一冊の本を取り出した。
植物紙でできた薄い本だ。
これは学校に通う年頃の子どもがいる家にはたいてい置いてある。
その本を取り出して、少女の前に置き、隣に座りながら読み聞かせを始めた。
本の題は「偉人伝説」だ。
その本の中ほどのページを開けるとリリアーナの項目があり、簡単な字とイラストがついている。
「リリアーナ様は13歳のときに運命的な出会いをしたのよ。キレイな金髪と透き通るような青い目をした青年と全身が穢れを知らない白い少女の2人の天使様よ。この天使様と一緒に当時困っていた病気を治す薬を一緒に作ったんだって」
「天使様と一緒にお薬作ったんだ。すごーい!!」
「リアナ病って呼ばれた不治の病に効くお薬を作ったのよ。でも、リリアーナ様は最初1人で作ろうと頑張っていたの。でも、ずっとできなくて困ってたんだって。そのときに天使様が来てくれたの」
少女は広げられた本を齧りつくように見つめている。
オレンジの髪をした少女の隣に金髪の男の子、真っ白な女の子のイラストが描かれている。
少女は白い女の子が天使に見えていた。
なにせ、フワフワと宙に浮いているのだから。
「リアナ病のお薬が作れなくて困っていることを知った天使様はすぐにお手伝いしてくれたそうよ。材料を集める方法からお薬の作り方まで色々と教えてもらったの」
本に書かれた男女の天使のイラストの横には次のような文字が箇条書きにされていた。
曰く。
どんな人やモンスターにも負けない強さ。
人間では到達不可能な魔力量。
毒の沼を泳いでも悪くならない健康な体。
どんな薬でも瞬く間に調合する技術。
リリアーナですら知らなかった素材の知識。
薬以外のものもなんでも作れる器用さ。
だれに対しても優しく接する親切さ。
疑問に思ったことはなんでも聞く探究心。
これらを併せ持ったものこそ天使であると。
「リリアーナ様は天使様に協力してもらうと、1ヶ月もしないうちに不治の病と言われていたリアナ病を治すお薬を作ることができたそうよ。そのお薬以外にもたくさんのお薬を作ることができたみたいね」
「わぁー。天使様ってほんとにすごいんだねー」
「そうね。リリアーナ様の目の前で次々と問題を解決していったの。それを見てリリアーナ様は自分の知らないこと、できないことがいっぱいあるんだなって思ったの。だから、少しでも天使様に近づけるように、せめて自分の好きなお薬を作ることを全力で頑張ろうって思ったのね」
「……好きなことを頑張る」
「そうよ。だから学校の先生もリリアーナ様みたいに、何か1つでも好きなことを頑張って勉強してほしいと思って『リリアーナ様を見習いましょう』って言ったんだと思うわ」
「そうだったんだー」
「はい。それじゃあ質問です。何か好きなことはありますか?」
そう言って母親が少女に尋ねる。
少女は眉を八の字にするように、うむむ、と考え込んでから答えた。
「私ね、お料理が好き。お母さん、お料理の勉強を頑張るよっ!」
母親は学校で習う勉強について尋ねたつもりだったが、予想外の答えが返ってきた。
あらら、と少し肩を落としたが、両手をいっぱいに上げて宣言する我が子を見て微笑む。
「よし、なら今からお夕食作ろうか。リリー、お手伝いしてくれる?」
「うんっ!」
ぱっと顔を輝かせる少女。
その笑顔はかつてリリーと呼ばれていたリリアーナとよく似ていた。
風土病編終了。
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