一寸先は闇
「もう、最悪だよ、ヤマトさん! お風呂に行くって聞いたときも驚いたけど、まさかこんなにまでなるなんて」
俺の目の前でマールちゃんが怒っている。
プンプンと可愛らしく怒っているというわけではなく、心底呆れ果てたとでも言わんばかりの怒り方だ。
俺は宿の部屋でそれを正座しながら聞いている。
マールちゃんを怒らせている原因は明白だ。
俺がお風呂、つまり特区エリアの高級娼館に通ったことにある。
ただ、別にマールちゃんは俺の恋人でも家族でもなんでもない。
ならば、なぜ怒っているのか。
それは俺が高級娼館でお金を使い果たし、無一文になってしまったからだ。
ラムダ騎士隊長に連れられて初めて月光館に行ってから、1ヶ月くらいが経過した。
俺はその間、時間さえあればひたすら特区エリアへと通いつめてしまったのだ。
娼館通いにハマったと言っていいだろう。
いや、ドハマリしたというべきか。
俺の所持金は非常に多かった。
ゴブリンの群れのときにも稼いだが、盗賊討伐ですごいお金を手に入れていたのだ。
盗賊討伐では討伐に参加した者たちの働きなどから分配される分と元領主館を攻めたときに各自がこっそりちょろまかして持って帰る分が取り分となる。
そう、あまり大量ではなく持ち帰れる程度であれば、宝石などを持ち帰っても多少のおこぼれは暗黙の了解として認められていたのだ。
だが、俺のちょろまかしは規模が違った。
領主館に侵入してベガを探すときに階段を上がり、上の階を探索した時のことだ。
殆どは扉などない部屋だが、1つだけ金属製の扉によって施錠された部屋が存在した。
この扉付きの部屋を見つけた直後にベガ発見の報告が来たたため、すぐに地下階へと移動をした。
しかし、俺がこの扉に何も手を打たなかったわけではない。
扉にペイントを施したのだ。
強化レンガによって作られた館の壁を再現するように、だまし絵をペイントしたのである。
パッと見ただけでは扉があるようには見えなくなった。
だが、流石に手で直に触れば、それがレンガではなく金属であることがわかる。
もしかしたら、バレてしまう可能性も少なくないが、何もしないよりは良いだろうと、あの時一手間加えていたのだ。
結果的に俺はこの賭けに勝った。
だれも金属扉に気が付かなかったのだ。
冒険者たちが全員いなくなったころにカルド遺跡へと訪れ、扉を開いてみると、思った通りそこは保管庫としていろいろなものが置いてあった。
こうして俺は他の連中を見事に出し抜いて、推定時価総額にして金貨2000枚近くの宝石などを手に入れたのだった。
もっとも、この宝石だが簡単には売り払えるものではなかった。
何しろ出処が盗賊の盗んだものであるし、もともとは商工ギルドに加入しているアンバー商会の持ち物だ。
なぜお前がたった1人だけ大量の宝石を持っているんだと言われてしまうだろう。
なんとか、これまでの生活で手に入れていた伝手を使って、大事にならないように宝石を売ったのだが、半数近くは売れずに残ってしまった。
だが、その売れ残った宝石たちも今は俺の手元には1つもない。
俺はそれすらもすべて使ってしまったのだ。
大金を手にした俺は、体が初体験を経験してから我慢が効かなくなっていたこともあり、連日特区エリアへと足を運んだ。
初めての相手であるルナは月姫だ。
彼女のもとに通ってもいたが、向こうも予約が詰まっている。
なので、俺は月光館以外も含めて、いろんな店を渡り歩き、美味しいものを食べたあとに楽しむ行為を続けた。
そのときに、ふとウエストポーチに入っていた宝石をプレゼントしたことがあったのだ。
相手は流石に高級娼婦として慣れている。
俺のプレゼントに対して、本当に心の底から嬉しいという気持ちが滲み出したような笑顔で「ありがとう、嬉しい」と言ってくれるのだ。
その後は、その笑顔見たさにプレゼントを送ることが俺の中で当たり前になってしまった。
たとえ宝石を送ろうが、花束を送ろうが、どちらも嫌な顔をせず、嬉しそうにしてくれる嬢たち。
気を良くした俺は【細工】スキルを使って宝石を加工してネックレスや指輪、腕輪などいろんなものを作ってしまった。
今から考えれば、そんなことをすればすぐに宝石はなくなってしまう。
だが、舞い上がって冷静な思考能力のなくなった状態の俺は、気がつけばすべての宝石を使い果たし、さらにお金まで使い切ってしまっていた。
さすがに連日の朝帰りで身を持ち崩した俺を見て、マールちゃんのお説教が始まったのだ。
彼女から見ると、俺はマールちゃんよりも年下に見えるフィーリアを連れ帰ったかと思えば毎日娼館に通い、破産したダメ男だ。
フィーリアの親権を取り上げようかと考える母親のような剣幕である。
2人は実に仲良くなったみたいだ。
「すいません、ごめんなさい、俺が悪かったです。しっかり働こうと思います」
正座の姿勢から土下座へと移行して謝る俺。
まさか自分がここまで自制が効かなくなるとは思いもしていなかった。
このままでは、急に大金を手にする成金野郎からダメ人間になってしまいそうだ。
もうちょっと真面目に生活しよう。
夜に我慢できるかが勝負の分かれ目だなと思った。
□ □ □ □
冒険者ギルドにやってきた俺は巨大な掲示板を見つめている。
そこには魔の森に存在するモンスター、そこから取れる素材の買取相場が書かれている。
しかし、ここ最近金遣いの荒かった俺からするとあまり稼ぎが良いとは言えないのがつらい。
モンスター素材は近場で弱い種類のものなら当然安い買い取り金額だし、森の奥の珍しい素材だと行って帰ってくるまでに時間がかかってしまう。
うーん、どうしようかなと考えていた。
その時、俺の頭をコンと叩く人が現れた。
「よう、色男。ようやくまともに仕事する気になったか」
そう言って声をかけてきたのはハイド教官だ。
娼館に通いつめていた事はすでにバレている。
急にギルドに顔を出さなくなった俺に問い詰めてきて、せめて訓練だけでも続けろと言われた。
お陰で、朝帰りで昼から訓練、夜の運動会と割りとハードな日々になってしまった。
「いや、それが、お金がなくなっちゃって」
「そりゃあんだけ毎日行ってりゃ無くなるわ。むしろよくそんなにあったなってぐらいだろ」
ふむ、やはり俺の金の出処までは冒険者ギルドにはバレていないか。
盗賊のお宝をガッツリ持っていったとばれたら怒られたりするんだろうか。
もう、俺には何もないってのをアピールしておこう。
そう思って、少しの間、立ち話を続けていた。
「そういえば、今日もアイシャさんは休みですか?」
「ん? ああ、そうだな。体調不良だ」
またか。
最初は知らなかったが、アイシャさんはたまに体調不良で仕事を休むことがある。
前からそうだったという話だし、体が弱かったりするんだろうか。
受付カウンターに向かってもアイシャさんがいないというだけでテンションは下がる気がする。
早く良くなって顔を出してくれるといいんだが。
そう考えながら、俺はハイド教官が勧めてくる採取依頼を受けて、魔の森へと向かっていった。
□ □ □ □
数回ギルドからの依頼を受け、他にスキルで作ったものなどを売ったりしてお金を稼いだ。
今日は久しぶりにある店にやってきている。
「ミーアの店」という食事処だ。
この店は、以前アイシャさんに連れられてやってきた、見た目普通の家にしか見えない店だ。
店主をつとめているのがおばあさんで、この人の名がミーアというらしい。
「いらっしゃい。久しぶりだねえ。今日はめんこい子を連れてきたんだね」
「妾の名はフィーリアじゃ。女将、美味しいものが食べたいのじゃ。よろしく頼むぞ」
フィーリアが元気に答えている。
こいつは喋らなければおとなしそうに見え、話口調だけ見ると年寄りくさいが、最近になって少し性格がつかめてきた。
なんにでも興味を持つ子ども、これがフィーリアの性格を表現する言葉かもしれない。
もともとが、雪山に飽きて、色んな所に行ってみたいという理由でベガと精霊契約をしたという経歴もある。
実際にはその後に意思を封じられたので、どこに行っても楽しむことができなかった。
なので、俺と行動をともにしてからはあっちに行きたい、こっちに行きたいと言ってくる事が多い。
お風呂が娼館であるとわかったときには、自分も行ってみたいと言われたときにはまいってしまったが。
もっとも、高級なものや珍しいものが見たいというわけでもなく、本当にありふれたものでもいちいち感心して見ている。
安上がりだし、俺にとっても異世界についての新しい発見もあるので、一緒に付き合うことが多い。
今日はその中で美味しい料理を食べるという目的のため、この店にやってきた。
ありふれた食材で同じような料理を作っても、ミーアさんの料理はどこか違う。
暖かみがあるというか、おふくろの味的なものを感じる。
出て来る料理をじっくりと堪能していた。
「そういえば、最近アイシャさんが休んでいて顔合わせてないんですよ。心配だな」
「あの子はしょうがないさね」
「ミーアさんは昔からアイシャさんのこと知ってるんですか? やっぱり子供の時から体が弱かったりするのかな。風邪を引きやすいとかですか?」
「あら、アイシャの病気のことは知らないのかい?」
「え? いや、知らないです。体調不良じゃなかったんですか? 何か重い病気なんですか」
雑談のつもりで話をしていたら、思わぬことを聞いてしまった。
見た感じ、病気を持っているように見えなかったんだけど。
あれ? ミーアさんが本当に知らなかったのかと驚いているように見える。
アイシャさんの病気のことってみんな知ってるのか?
「あの、もし良かったらでよいんですけど、アイシャさんの病気のこと教えてもらえませんか」
「そうだねえ。本人に聞くのが一番だと思うけど隠しているわけでもないしね。アイシャに弟がいたのは知っているのかい?」
「はい。子どものときになくなったって。金髪で青い目をしていたってアイシャさんに聞きました」
「そうだね。その子は病気でなくなったんだ。10歳ぐらいのときかね。そして、アイシャはその子と同じ病気なんだよ。慢性全身硬化病って言う病気のね」
「慢性全身硬化病ですか……」
「そうだよ。アイシャの病気も進行しているはずだから、持って後数年ってところじゃないのかね」
ミーアさんが寂しそうに言葉を口にする。
アイシャさんは後数年の命。
それを聞いて、俺は目の前が真っ暗になった。




