オルトロス2
レンガの瓦礫に首を突っ込んでいたオルトロスだが、今はもう起き上がりこちらを見ている。
2つの首をこちらに向けている。
あくまでも俺をターゲットにしているらしい。
だが、さっきまでとは少し違いがあるように感じる。
なんだ?
そう思ってよく見てみると右の首のやつに血が流れている。
目だ。
右目からダラダラと血を流している。
もしかして、俺の放った貫通矢が命中していたんだろうか。
そういえば、火球を打ってきたのは右の首だったような気がする。
やつが自分で出した火球によって貫通矢が見えていなかったのかもしれない。
ただ、貫通矢は右目に命中はしたものの、頭部を貫通するまではできなかったようだ。
もしかすると、火球の魔法を貫通したのが原因なんだろうか。
今まで魔法を使うやつに貫通矢を使ったことがなかったからわからない。
ぞくり。
やつの右目の怪我について考えていると、寒気がした。
オルトロスの2つの首が大きく口を開けてよだれをダラダラと垂らしている。
俺を食う気か?
やつは捕食者側ということなんだろう。
だが、黙って食われてやるような気はサラサラない。
俺は弓を投げ捨てた。
この距離では弓では対処しきれない。
左腰に吊るしていた刀をスッと抜き取る。
だが、刀術スキルは使わない。
――ステータスオープン:ペイント・スキル【未来視】
【未来視】スキルを選択し、ペイントする。
未来視スキルは文字通り、現在よりも未来のことを見ることができるスキルである。
初めてこのスキルがペイントできることに気がついたときには狂喜乱舞した。
最高のチートスキルを手に入れたものだと興奮したものだ。
確かにすごいスキルではあった。
だが、どんな未来でも見えるというわけではなかった。
見ることができる未来というのが、なんとわずか数秒先のことだったのだ。
俺にとっては微妙すぎると言わざるをえない。
なにせ、未来視スキルをペイントすると他の戦闘系スキルが使えないのだから。
俺はスキルを使わないと、そのへんにいる男子高校生と同じくらいの力しかない。
素の戦闘力が達人級であれば無双できたのかもしれないのに。
だが、それでも今はこのスキルを使う。
理由は単純明快だ。
オルトロスが矢の攻撃を避けたときのスピードが俺には目で追えなかったからだ。
刀術スキルを使っても動きについていけないだろう。
刀術スキルのアーツでも一撃では殺せない可能性が高い。
なにせゴブリンキングは一撃では仕留められなかったのだから。
未来視は鑑定眼と同じで発動中に体力や魔力を消費しない。
攻撃を全部避けて、反撃の攻撃でチクチクダメージを与えるしかない。
我ながらそんなことが可能なのか不安ではある。
だが、冒険者ギルドでわざわざ訓練を受けていたのは未来視スキルを使う事を考えていたためでもある。
いまこそ、やるしかない。
オルトロスが接近し、噛みつき攻撃を行ってくる。
右首の横を通り抜けるように回避する。
右首の右目が見えていないなら、その死角を利用するしかない。
だが、次に思わぬ攻撃がやってきた。
尻尾だ。
やつの黒々とした太い尻尾が体の横を通り抜けようとした俺に対してブンを振ってきたのだ。
刀の刃を立てるようにガードしながら横っ飛びで回避する。
ダメージはない。
しかし、尻尾をガードした衝撃がズンと体に響く。
あんな攻撃でこんな力があるのか。
体のしびれを感じながらも振り返り、やつの動きを観察する。
とにかく、やつの動きがわかるように常に視界の中にその姿をおさめておかなければならない。
すると、未来視がやつの次の動きを捉えた。
左の首が震える。
魔法だ。水魔法が来る。
体感にすると2秒後にその未来はやってきた。
火球と同じくらいの大きさの水球が発射される。
だが、2秒前に次の動きがわかるというのは想像以上に大きなメリットだ。
先に移動を行い、回避する。
今度は回避した後もその姿を見失うようなことはしない。
再び、やつと正面から向き合うように対峙することになった。
先ほどの魔法攻撃で気になることがある。
やつはその2つの首で同時に攻撃を行うことができるのだろうか。
どちらの首も魔法を打つ瞬間、足が止まっていた。
目にも留まらぬ速さで動かれてしまうのなら、足が止まる瞬間を狙うしかない。
賭けになるが、魔法攻撃の瞬間を狙う価値はあるかもしれない。
□ □ □ □
「ハアハアハアハア……」
俺の呼吸がどんどん荒くなっている。
俺はあの後もオルトロスの攻撃を避け続けている。
体感時間ではもうずっと長い時間を戦い続けている気がするが、実際はまだそれほどたっていないのかもしれない。
ステータスにある体力の消費は1分間に1消費だ。
俺は消費無しで使える未来視を使ったら、少なくとも1時間は体力がなくなる心配はないと考えていた。
それは実際に正しい。
しかし、体力よりも先に精神力や集中力といったもののほうがなくなりかけている。
オルトロスの攻撃を避けるというのは考えていたほど甘くはなかった。
魔法はまだ打ってこない。
だが、やつの噛みつきや足の爪、それに尻尾の攻撃、そのどれもが一撃でも食らうとそれだけで戦闘不能にされてしまう。
さらに言うと、場所が悪かった。
俺とオルトロスが戦っている場所はレンガの壁が多い。
やつはその壁を利用して、三角飛びのように軌道修正した動きで翻弄してくるのだ。
特に厄介なのが尻尾だ。
右に左にと飛び跳ね、なんとか避けたと思ったときに振るわれる尻尾攻撃。
これを避けているだけでも精神力がガリガリと削られてしまう。
だが、それもここまでだ。
なんとか攻撃を避けながら、周りに何もない広場のようなところにまでやってくることができた。
ここならば、さっきまでのような変速移動はできないだろう。
それに、ここらで一度でも反撃を成功させておかないと勝ち目がなくなる。
広場に逃げ込んだ俺を追うようにオルトロスが現れた。
未来視に意識を集中させる。
集中して見るほど少し先が見える気がする。
もっとも、1〜2秒だろうから俺の気のせいかもしれないが。
オルトロスに対してガンを飛ばすように視線を送る。
するとオルトロスの姿が消えた。
いや、消えたのは未来視の方だ。
どこに行った。
数秒先の未来の俺が右を向くとそこに大きな口を開け、今にもその牙で俺を食い殺さんとしているオルトロスの姿が見えた。
とっさに体を動かす。
刀を左から右に振り切るようにしながら、体ごと右斜め後ろへと飛んだ。
タイミングはバッチリだ。
切った。
噛み付こうとした口の上、その鼻から左目を通り耳の下あたりにかけてを切り裂いた。
オルトロスの叫び声が聞こえる。
やった、そう思った。
だが、振り返ると俺のすぐ目の前には大きな歯が並んでいた。
俺が切ったのはやつの左首だったようだ。
やつは顔を大きく切られて叫んだ。
だが、その間にも右首は俺を殺そうと行動し続けていたのだ。
殺られる。
そう思った。
すでに目の前にヤツの牙があるのだ。
避けることなどできはしない。
だが、俺は死んでいない。
俺はまだ諦めない。
教官との模擬戦のことが頭のなかでフラッシュバックした。
俺は日本にいたときはろくにケンカすらしたことがなかった。
だから、スキルを使っていないときに相手から攻撃されると無意識に目をつぶる癖があった。
だが、それはこの世界では死につながる。
教官が模擬戦を通して言い続けていたのは、「最後まで諦めず目を開けろ」、これだけだった。
――ステータスオープン:ペイント・スキル【刀術】
目の前に迫る攻撃を避けることはできない。
だが、あるいはアーツによる体の動きであれば。
――疾風切り
攻撃速度の速いアーツを発動させる。
さらにこの疾風切りには特徴がある。
それはまるで体を通り過ぎる風のような攻撃、つまり狙った対象を追い越すように動く攻撃を行うということだ。
俺の狙いは口ではない。
尻尾だ。
やつの体の向こうにあり、しかし、今もわずかに見えている尻尾の先を狙ってアーツを発動させたのだ。
自分の体が自分の意志とは無関係に動かされる。
しかし、それは予定通りの動きだった。
今にも上半身ごと食い殺されそうだった俺の体は地面すれすれになるくらいの低い姿勢から尻尾を狙って駆け抜けた。
尻尾の先の3分の1を切り落とすことに成功する。
革鎧の左肩の部分に大きな傷ができたが、腕は動く。
どうやら九死に一生を得たらしい。
オルトロスの叫び声がこだまする。
だが、なにかおかしい。
叫び声が嫌に長いのだ。
尻尾を切られただけで、ここまで叫ぶものだろうか。
……ドスドスドス
その原因はすぐに判明した。
オルトロスの右半身にいくつもの矢が刺さっていたのだ。
いや、矢というのは正確ではないのかもしれない。
いわゆるボルトが突き刺さっていた。
これはクロスボウに使用される矢羽のない太くて短い矢だった。
「待たせたな」
そう言って全身を包むプレートアーマーを着込んだ男が現れる。
騎士だ。
声をかけた騎士の後ろにも金属鎧を着た騎士たちがいる。
彼らがクロスボウで攻撃をしたのだろう。
俺に声をかけた騎士。
彼はおそらく騎士隊の隊長だろう。
若々しさはないが低く安心感を相手に与える声。
騎士隊長が腰の剣を掲げ、一言声をかける。
「攻撃開始」
その言葉の数分後には血溜まりの中にオルトロスが横たわっていた。
クロスボウによる斉射と一人ひとりが高レベルな騎士の剣による攻撃。
大きな被害もなく、あっという間に勝負は決した。
俺はそれを見ていることしかできなかった。




