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悪魔の化身




 しかし、エレナとビクターは、カロルの挨拶に耳を傾けている場合ではなかった。


「な、な、な、……!?」


「いやああぁぁっ!?」


 二人の視線の先には、カロルが超特急でここにやって来るため乗ってきた、バラウルがいたのだ。


 悪魔の化身とされる多頭のドラゴンを前に、二人は震えながら気絶した。


「おや。お客様を驚かせてしまい申し訳なかったです」


 口では丁寧に話しながらも、カロルは内心で舌打ちしていた。


 恐怖で怯んだところをお帰り願おうと思っていたのに。肝心の二人は気絶して、冷静そうな執事だけが平然とこちらを睨み付けている。


 まさか普通の貴族がこれほど軟弱だとは。ここに嫁いで来たラリサが怪異達に対してあまりにも平然と接しているので、カロルは普通の人間の反応を甘く見ていた。バラウルではなく小型のワイバーンにしておけば良かったか、と後悔してももう遅い。


「公爵領に武装した人間は入り込めません。奥様との面会をご希望なら、奥様のご友人お二人のみをご案内いたします」


 カロルは仕方なく、その執事に向けてニッコリと微笑んだ。


「それでしたら護衛騎士は下がらせて、私だけお供いたします。どなたかのお陰で気を失われたお二人を、このままにはできませんから」


 怯む様子のない執事にそう返されたカロルは、心の中でもう一度舌打ちをしてからラリサの友人二人とその執事を公爵家の馬車に乗せたのだった。






「あら。二人とも長旅で疲れていたのかしら?」


 バラウルが引いてきた馬車を出迎えたラリサは、夢見の悪そうな顔で意識を失っている友人達を見て、困ったように頰に手を当てる。


「仕方ないわ。起きるまで寝かせてあげましょう。幸い新調したばかりのベッドがありますもの」


「何があったんだ?」


 テキパキと指示をするラリサの後ろから、着替えを済ませた公爵が顔を出す。


「旦那様。二人とも眠ってしまっているのですわ」


 突然領地に押しかけて来たかと思えば気を失った状態で運び込まれて来た人間の貴族令嬢と令息を、公爵はなんとも言えない顔で見下ろした。


「そうか……折角出迎えようと思ったんだが。それは仕方ない。寝かせておいてあげなさい」


 公爵の言葉に頷いたラリサは、ふとアルミンに目を留めた。


「あなたは確か……エレナの執事だったわよね? ここまで二人を連れて来てくれてありがとう。あなたも休んでいてね」


「……お気遣いありがとうございます」


 頭を下げたアルミンは、密かに鋭い視線を公爵へと向けていた。







「……その時にエレナが例の掲示板の話を教えてくれたんです」


「ああ、アインが長年私の花嫁募集広告を出していたという例の掲示板か」


「だからエレナは私がここに嫁ぐキッカケをくれた恩人なのですわ」


 弾むようなラリサの声と会話する、穏やかで優しい声。親しげな様子が伝わってくる二つの声を聞きながら、エレナはゆっくりと意識を浮上させた。


 ビクターよりも先に目を覚ましたエレナは、まだ働かない頭を動かして会話の聞こえてくる方向に目を向ける。


「あら、エレナ。ご機嫌よう」


「ラリサ……」


 起き上がったエレナに気付いたラリサが、アカデミー時代と変わらぬ気安げな調子で手を振る。


 自分の状況を暫く理解できなかったエレナは、隣に眠るビクターや部屋の中を見回して徐々に記憶を辿り、ハッと身構えた。


「ここはどこ……!?」


「ここは公爵城の中よ。ごめんなさいね、人間用のベッドが足りなくてビクターと一緒に寝かせてしまって。ああ、そうそう。エレナ、こちらは私の旦那様。急な来客を許可してくださったの」


「ラリサの友人なら大歓迎だ。ゆっくりしていってくれ、エレナ嬢」


「ひっ……!」


 丁寧に挨拶をした公爵とは裏腹に、目の前の男が世にも恐ろしい吸血鬼公爵だと知ったエレナは短い悲鳴を上げて体を強張らせた。


「それで。突然来たから驚いたわ。何かあったの?」


「あ、あなたが心配で来たのよ」


 公爵を警戒しながら、エレナは何とかそう答えた。


「どうして? 手紙にちゃんと元気にしていると書いたのに。急に来るから準備するのが大変だったのよ」


 口を尖らせながらも、ラリサはいつものおっとりとした口調で溜息を吐いた。


「えっと……」


「でも、会えて嬉しい。アカデミー卒業以来、なかなか機会がなかったもの」


 ふっと表情を和らげ目を細めたラリサに、エレナは声を詰まらせる。


「わ、私もよ……」


 ラリサの様子に戸惑いながら、部屋の隅に控えていたアルミンと目を見合わせるエレナ。


 ここに来るまでの間、エレナは洗脳された人間の行動についてアルミンと調べていた。


 ラリサが本当に洗脳されていた場合、その瞳は洗脳された者の特徴として暗く濁っているはず。しかし、ラリサの瞳はどこまでも澄んだ菫色に輝いている。


 そしてこの短い会話の中で、ラリサに異変は見られない。エレナがよく知るラリサと同じ喋り方、コロコロ変わる表情。そのどれもが洗脳されている者とはかけ離れている。


 考えてもみなかったが、もしかしたらラリサは、洗脳されているわけではないのかもしれない。


 だとしたら、洗脳されたラリサがビクターをこっ酷く振って追い返す、というこの計画は狂ってしまう。


 いったいどうすれば……とエレナが途方に暮れたところで、とても厄介なことに隣の男が目を覚ます。


「ラリサ!」


 目を覚ましたと同時に叫んだビクターに、ラリサはパチパチと瞬きをして首を傾げた。


「あら、ビクター。起きたの? おはよう」


 それは、あまりにもいつも通りのラリサの、それはそれはほんわかとした挨拶だった。


 しかし動転しているビクターは、それどころではない。


「ラリサ、どれだけ心配したと思っているんだ!? 突然いなくなったかと思えば、吸血鬼公爵の花嫁だって!? どうして君が、家族の為に犠牲にならなきゃいけないんだ!」


 起きたばかりだと言うのに捲し立てるビクター。ラリサはそんな幼馴染を不思議そうに見つめていた。


 やっとの思いで焦がれていたラリサに対面し、彼女しか目に入らない興奮状態のビクターは、余計にヒートアップして思いをぶちまける。


「君の家族があんな人でなしだなんて思わなかった! 金と引き換えに君を売るだなんて! 君が生贄になる必要なんてない! 君ばかりが不幸になるなんてダメだ。こんな不気味な城からさっさと逃げ出そう!」


 ラリサに手を伸ばしたビクターの叫びに、客間がシーンとする。


 誰もが固唾を飲んでラリサの反応を見守る中、ラリサはビクターに向かって静かに口を開いた。


「ビクター。あなた……暫く会わないうちに、なにかあったの?」


「……へ?」


 想像とは掛け離れたラリサの言葉に、素っ頓狂な声が出るビクター。そんな彼の目を心配そうに覗き込むラリサ。


「あなたは私の家族の悪口を言うような人じゃなかったのに。よっぽど辛くて大変な出来事があったんでしょう?」


「いや……、」


「可哀想に……私が家族に売られただとか、不幸だとか、生贄だとか。そんな妄想をするくらいショックなことがあったのね?」


 ラリサの瞳は本気だった。


 一雫の悪意さえ感じられない、本気の心配をのせたラリサの瞳が哀れなビクターを射抜く。


「そうとも知らず、私ったら。自分だけ幸せになって……あなたは私の弟も同然だもの。昔から泣き虫で思い込みが激しいとは思っていたけれど、まだまだこんなにお子ちゃまだったのね。もっと気に掛けてあげるべきだったかしら……」


 弟、泣き虫、思い込みが激しい、お子ちゃま。グサグサと見えないナイフがビクターのガラスのハートに突き刺さるのが、この場にいるラリサ以外の者達にはハッキリと見えていた。


「ねぇ、いったい何があったの? 大丈夫よ、あなたが今でも伯爵夫人のことを〝ママ〟って呼んでいるのも知っているし、未だに幽霊を怖がって灯を消して眠れないのも知っているもの」


 それを聞いたエレナは、ドン引きする目をビクターに向ける。


「さあ、恥ずかしがらずお姉さんに話してごらんなさい?」


 弟に接するのと全く同じ態度で、ラリサはビクターに温かい瞳を向けた。


 対するビクターは、ただただ絶句していた。青くなっていいのか、赤くなっていいのか、分からない顔は紫色だ。果てしない同情の目がビクターに向けられる。


「……完全に脈なしだな……」


 聞こえないように呟いたのであろうカロルの一言は、ばっちりとビクターの耳に届いていた。


 それがビクターに追い討ちをかける。


 考えないようにはしていたが、ビクターも薄々気付いていた。ラリサにとってビクターは、そういう対象ではないのだ。謂わばたくさんいる弟妹達のオマケのようなもの。


 だからこそ、長年求婚どころか告白さえできなかった。


 この期に及んでビクターの気持ちに一ミリも気付かないラリサは、なんとも言えない周囲の哀れみと悲壮感の混じり合った空気にキョトンと目を瞬かせる。


「えっと……皆、どうしたの?」


「ラリサ……君の家族を悪く言ったことは謝る。だから、これだけ聞かせてくれ!」


 ビクターは、不思議そうなラリサに向け、やっとの思いでそう切り出した。


「なぁに?」


「もし……もしも、君が公爵に嫁ぐ前に、僕が君に求婚していたら。僕を受け入れてくれたか?」


 一縷の望みを込めて、渾身の勇気を振り絞り問い掛けたビクター。それに対してラリサは、優しげな微笑みを浮かべた。



「それは……絶対にお断りしてたと思う」



 柔らかで無自覚なラリサの言葉のナイフが、容赦なくビクターのハートを切り刻む。


「な、な、なぜ……」


「だってビクター、あなたの家は由緒正しいシャルぺ伯爵家でしょう? 名家はそれだけ礼儀を重んじるもの。あなたの家に嫁ぐのは、莫大な持参金を用意しなきゃ。私の家にそんなお金は用意できなかったわ。弟妹達の養育費を考えたら、あれ以上お父様に借金をさせるわけにもいかないし……」


 頰に手を当てたラリサが困ったように説明するその言葉を聞いて、ビクターは完全に打ちのめされた。


「か、金か……?」


「他に何があるの?」


 心底不思議そうなラリサは、純粋な眼差しをビクターに向けて首を傾げた。


 ハクハクと口を開いては閉じ、何も言えなくなったビクターは今度こそ言葉を失う。


 なんとも気まずい空気の中、そんな空気など物ともしない男がラリサの手を引き寄せた。


「その、ラリサ。私からも聞いていいか?」


「ひぃぃっ! 吸血鬼!?」


 今更ながら公爵に気付いたビクターが、公爵の牙を見て盛大な悲鳴を上げベッドからずり落ちる。


「なんでしょう、旦那様?」


 しかし公爵夫妻は互いに向き合うのに夢中で、ビクターを見ていなかった。


「君が私の元に嫁ぐことを決めた時は……迷いは無かったのだろうか?」


「勿論ですわ。だって旦那様への持参金は、国王陛下からもらった一億ゴールドの中から工面できると思っていたんです。それが、持参金もいらないと聞いて感動いたしました! 私にとって、旦那様ほど素敵な嫁ぎ先はありません!」


「そうか。やはり金か……」


 複雑な思いで小さく呟いた公爵。しかし、ラリサの言葉はそれで終わりではなかった。


「それに私、旦那様に出会って初めて気付きましたの」


 ラリサはそっと夫の手を握る。


「どうやら私は……年上の男性が好きみたいなのですわ」


「……!」


 恥じらいながらそう口にしたラリサの菫色の瞳が、上目遣いにチラチラと公爵に向けられる。


「いつも弟妹達に囲まれていたからかしら。落ち着いていて穏やかな旦那様といるととても安心できて、胸がキュンとするんです」


 公爵はニヤケそうになる口元を堪えるのに必死だった。


 照れた妻の顔がとにかく可愛すぎる。


 それだけに飽き足らず、とんでもなく可愛いことを言い出した。


 この可愛い人をどうしてくれようか。頭の先からバリバリと食べてしまいたいくらい可愛い。


 同胞達が人間の血を一滴残さず吸い尽くすことに呆れていたが、今ならその気持ちが分かる。この愛おしくて堪らない妻を、誰にも渡さず独り占めしてしまいたい。その血の一滴まで余すところなく。


「それに、旦那様の美しいお顔も、真っ赤な瞳も、青白くて滑らかな肌も。毎日見られることを神に感謝したいくらい、とっても素敵です。私、旦那様のお嫁さんになれて本当に良かったです」


 頰を薔薇色に染めながら告白してくる愛妻に、公爵は悶絶した。


「ラリサ……!」


「きゃっ」


 ラリサを抱き上げた公爵は、それはそれは幸せそうに鋭い牙を覗かせて微笑んでいた。


「私も、嫁に来てくれたのが君でどれほど良かったか。君が毎日神に感謝すると言うのなら、私は毎日悪魔を崇拝したいくらいだ」


「旦那様……」


「ラリサ……」


 うっとりと甘い雰囲気を漂わせて見つめ合う公爵夫妻に、ビクターはとうとう声を上げながら泣いた。それはもう、鼻水を垂らしながら子供のように泣きじゃくった。


 一連のやり取りを見ていたエレナは、洗脳されているよりも余程手厳しいラリサの言動に咽び泣くビクターを見て、百年の恋も冷める思いだった。


 エレナと同じ家格の名家の跡取りで、アカデミーでは理想の令息だったビクターの本性がまさかこんなに情けないだなんて。


 これまで彼の為に親友を恨んだり、公爵領に無理矢理押し掛けたりした苦労はいったい何だったのか。


 エレナはこれまでのあれこれを思い返して、遠い目をしたのだった。







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[一言] ラブラブアタックに敗れる… すごいざまぁを見ましたw
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