第50話 鯨がいっぱい 6歳 秋
よし!よし!いいぞ!重さの規格化はいける!
あとは鉛や石で1銀貨、10銀貨、100銀貨、1000銀貨の重さの原器を作っていけば良い。表面にルーン文字で重さを書いておけば削ったり不埒な真似をする奴もいないだろう。
アラビア銀貨が摩耗したりエラーなどで重量にブレがあるかもしれないけれど、、複数の銀貨を測って標準を取れば問題ない。
「あとは長さの単位か…」
交易単位として、長さが何かで設定されていれば、それを採用したい。
僕は地球の子午線の長さを一千万分の一としたメートルのように、科学的に正しい単位を設定するつもりはないし、できもしないのだから。
「長さ、長さで取引されているもの…」
僕は村長婦人の居住区画に無造作に置かれている交易品を見回した。
おっと。良さそうな品があるじゃないか。
「先生、この高そうな布なんですけど、幾つか見てもいいですか?」
「まあ…汚さなければ。ちゃんと手を拭いて貝焼粉を落として」
布巾を借りて手を綺麗にしてから、許可をもらい交易品の布を手に取る。
うーんどれも高そうだ。だって、どの布も手織りだからね。
人件費と職人技術の塊だ。羊毛布、綿布、麻布…絹布まである!
「すごい…」
「そうでしょう?どれも遠方から持ち込まれた一品よ」
続いて村長婦人が何か布の来歴について自慢していたけれど聞き流した。
僕が見ているのはそこじゃない。
「どれも幅がほとんど同じだ…」
正確には少し違うものもあるけれど、おそらくは品質の差と個人の誤差の範囲程度にみえる。
つまり、布の取引単位の長さや規格は既に交易の慣行として存在しているのだ。
「先生、この布の幅って同じに見えますけど」
「そうね。昔から2エルって決まってるから」
と村長婦人は何でもないことのように言う。
エル!?いや初めて聞く単位だ。
そもそも生活で単位を気にしたことがないからだけど。
「布の取引にはエル、という単位が使われているんですね?どのくらいの長さですか?どうやって決まってるんです?」
「どうって…肘から中指の先までの長さよ」
「あー…なるほど…」
身体尺、というやつか。うーん…文句はないんだけど、身体が大きいと長くなるし、小柄な人には短くなったりと、わりと問題が大きい単位系なんだよなあ…。
だいたい50cm…は、ないかな?
複数の布を測ってみて、一番多い長さを採用して原器を作るかな。
実際に取引される現場で使用されている単位だし。
「エルなんて便利な単位があるなら、なんで船の製造とか、樽の大きさを決めるのに使わないんですか?10分の1エル定規とか、10エルの縄とか、長さの単位が揃えてあれば便利なのに」
「さあ?そういうのは男衆の決めることだから」
まあ、そうか。村長婦人に聞くことではないよね。
後で父ちゃんにでも聞いてみよう。
なんとなくだけど、船は船で全く別の単位、例えば尋とかが使われている気がする。
そもそも単位系を統一しよう、という概念自体が無さそうなんだよね。
今は樽の長さや体積をエル、重量をアラビア銀貨で原器が作れそうなことだけで満足するしかないか。もっと僕にムキムキの筋力か権力があったらヤーポン法なんて生まれる前に叩き潰してやるのになあ…。
「あ。そろそろ浜の仕事に参加しないと。先生、繰り返しますけど魚配る権利とか要りませんからね!樽の長さは僕に決めさせてくださいね!じゃあ失礼します!」
ちょっと塩漬けニシンの樽を測るだけのつもりが長居をしすぎた。
今頃は浜で鯨の解体とニシンの燻製の仕事が始まっている頃だろう。
朝は何も言わないで出てきたので、家族も心配しているかもしれない。
とてとて、と走り出した背中越しに、郎党達の薄気味悪いものを見るような視線と、村長婦人の「変な子ねえ…」という声が聞こえた。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「トール―!おそーい!西風炉の火は点けといたわよ―!」
「エリン姉ごめーん!」
浜につくと、村中の男女が浜に出て仕事を始めていた。
女衆はニシンを燻製にする準備作業。男衆は鯨の解体作業へと別れている。
子供に鯨の解体作業の手伝いは無理なので、ニシン燻製の手伝いへと振り分けられる。
船小屋を臨時の燻製小屋とするため、棚をつくり縄を張り巡らし、大量のニシンを吊り下げたり干したりできるよう、大勢の女衆が働く側で、僕は西風炉の火の番をしながらお湯を沸かしている。
水産加工業って、とにかく新鮮な水やお湯が山程に必要なんだよね。
手を洗う、道具を洗う、魚を洗う、手を洗う…作業ごとに、とにかく清潔さを保たないといけない。
なかでも脂は水では落ちにくいので、お湯も要る。
「父ちゃんは鯨の解体か…」
ニシンの燻製の作業は、冬の間に冷燻作業などを続けたせいもあって、処理する量こそすごいけれども、見慣れた光景ではあるのだ。
でも、鯨は違う。小魚の処理とは全然違うのだ。
鯨は、魚ではなく魚の形をした獣だ、と思い知らされる。
まず、風に乗って流れてくる血の臭いが魚の匂いじゃない。
魚の脂と牛の血を何倍も濃くしたような匂いが混ざったような匂い、といえば良いのだろか。
それと、体温だ。一晩経つというのに、外気温が低いこともあってか鯨の解体された部分から、微かに湯気が立ち昇っている。
男衆は大きな槍や斧、ナイフを駆使してヒレを切り取り、鯨の背中の皮をベリベリと剥がして大きな一枚皮を剥ぎ取ろうとしているようだ。
皮が剥がされた下からは、真っ白な脂肪層が見えている。
「鯨って、本当に動物なんだなあ…」
初めて見る鯨の解体現場に、僕は圧倒されてしまう。
僕は血の匂いから現実逃避するように、鯨の大きさと重さを計算していた。
解体に従事する男衆の身長から逆算すると、鯨の体長は10メートルはなさそう。
9メートル計算で、体重はどのくらいだろう?
胴体の一番太い部分が2メートルはないな。1.8メートルぐらい?
円柱で近似すると半径90cm2乗πで面積が出せて、9メートルかけて、前後が細くなってるし内臓は出してしまったから半分として。
比重は水と同じとすると…約11.4t!
え!?凄すぎない?本当に?
それが2頭分もあるんだけど!!
あまりに信じられない大きさの単位に、僕はもう一度、砂に数字を書いて検算をした。
「合ってる…」
僕の村は、鯨2頭から概算で少なくとも20t以上の骨、皮、肉、油を手に入れることになるんだ。
「こんな莫大な量、どうするの…?」
呆然としている僕を尻目に、男衆から最初の脂が持ち込まれる。
それは30cm立方の真っ白な塊で、まるで工業製品のようだ。
こんなものが生物の体の皮膚の下にあったなんて、とても信じられない。
「とにかく溶かしていくよ!はい急いで急いで!」
燻製ニシン吊りの手が空いた女衆達が、浜に置かれた鉄鍋にどんどん鯨の脂肪を放り込んで熱していく。
一方で、ニシンを干し終わって空いた桶は、海水で洗われて、煮溶かした鯨の脂を入れるために準備される。
「みんな手際がいいなあ…」
浜には村中の鍋が集結しているようだ。石鍋から鉄鍋まで、どにかく吊り下げられる大きな鍋は全て持ち出されて、鯨の脂を待ち受ける。
「これまた、大きいのが来たな」
村長の長屋敷からは、ひときわ大きな鉄の鍋と、黄金色に輝く青銅の鍋が運ばれてきた。
鉄の鍋は複数の薄い鉄板がリベット留めにされていて、鎖でぶら下げるようになっており、青銅の鍋は竈に設置するタイプのようだ。浜に石が並べられて臨時の竈が作られる。
「あの鍋、祭器の略奪品だろうなあ」
黄金色に磨き上げられているのもそうだし、模様も何だか宗教的なモチーフに見える。
まさか十字架で磔にあった御方も、遠い北方の地で鯨を煮込む道具に使われるとは思ってもみなかったことだろう。




