第46話 ニョルズの祭り 6歳 秋
夕闇が訪れ、ニシンの群れは海岸から去った。
海面はニシンの白子で白くなっており、獲りきれなかったニシン達は産卵を成功させたのだろう。
僕達が労働したニシンの塩漬けを詰め込んだ樽は長屋敷にいったん運ばれていき、燻製準備の桶は明朝から燻製を行うために船小屋へとしまわれた。
「さっきまで波打ち際が魚で埋まっていたんなんて嘘みたいね」
エリン姉が評したように、ニシンが綺麗に処理されて日が暮れた海岸の各所には火が焚かれており、祭りの準備が進んでいる。収穫祭にあたるものかな。僕は、何となく混雑しているキャンプ場の光景を連想した。
やがて赤ら顔で上機嫌の村長が、大勢の男達を伴って蜂蜜鮭の樽と麦酒を運ばせてやって来た。大きな鉄板らしきものを複数人に担がせてもいる。
「あれ?村長さんいたんだー?」
「しっ!トールそういうこと言わないの」
さっきまで、なぜ村長婦人が指揮を取っているのかが不思議だったのだけれど、どうも僕達がニシンを一心不乱に処理している間は、村の戦士達の帰還を長屋敷でもてなしていたっぽいね。遠目にも、酒で顔が赤い。
「僕達、あんなに頑張ってたのに…」
「そういうものよ。覚えておきなさい」
「うーん…」
働きもせずに酒盛りか…と、一瞬むっとしたけれど、よく考えると村長の支持者は成人男性、つまり今回の交易帰りの戦士達と、戦士と郎党だものなあ。
女子供に混じって額に汗して働くよりも、戦士達の機嫌をとって饗応するのが政治的には正しいのだ。
父ちゃんが、村長の側から抜け出して麦酒の入った大きな杯を持って僕達のところへやって来た。
やがて大人達の全員に麦酒が配られる。
村長が杯を掲げて演説を始めた。
「戦士達よ、よくぞ大洋を制し、戻ってくれた。まずは我らが船を順風で導き、網を銀の魚で満たし給うた、ヴァン神族の長ニョルズへ心からの感謝を捧げよう。
我が村にはアスガルドの神々の加護、そして豊穣を司る海神の恩寵が満ちている。凍てつく冬が来ようとも、食料に窮し、飢えに怯えることはない。
海より授かりしこの恵みは、我が名において、すべての村人に等しく分配することを約束しよう。誰一人として、冬の夜に腹を空かせることはない。
今日の働きと、明日より始まる繁栄に。
神々の名にかけて、乾杯!」
「「乾杯!」」
全ての大人達が唱和し、乾杯する。僕達子供は真似てコップを掲げるだけなのがちょっと詰まらない。
遠目に、麦酒が配られて空になった樽が御婦人に持ち去られようとするのを、懸命に男衆が阻止している様子が見えた。
酒を作るのに必要なんだ、とか言い訳してるんだろうなあ。守りきれるといいね。
「さあ。焼くぞ!どんどん並べろ!」
さっき村長が運ばせていた大きな鉄板の正体は、大きな鉄製のグリル板だった。
普段は長屋敷で来客のために猪や鹿を捌いた大きな肉を焼くための道具なのだろう。
大きな鉄板の焼き面に、手早く脂がのったニシンが並べられていく。
これらのニシンは傷んだために保存食や交易人には適さないので今日中に消費しようと、取り分けられたものだから新鮮だ。
年に何度も食べられない新鮮な脂の乗ったニシンが鉄板でじゅうじゅうと焼かれ、実に美味そうな臭いを発している。
「よし、焼けたものからどんどん渡せ、押すな、海の恵みはいくらでもあるぞ!」
郎党と何人かの女性奴隷が焼く係に回り、皿をさしだす村人に焼けたニシンを載せていく。次から次へと大勢の皿が差し出され、さながら戦場のような様相だ。
「トールは、あっちから取ってこなくていいの?」
「疲れて眠いから並びたくな―い」
僕はといえば、グリル焼きのニシンなんかよりも、家族の焚き火の鉄鍋で焼いたニシンの方が良い。必要数はちゃっかりと確保してあるしね。
三脚炉と縄で焚き火の上に鉄鍋を吊り下げて、ニシンを焼く。
ニシン脂が底に溜まるので焦げ付く心配はない。
「このニシン、卵ついてる」
「おっ、トールは運がいいな」
ニシンの卵。すなわち数の子だ。本当はニシンの卵だけを取り分けて塩漬けにしたいんだけど、卵付きニシンは高く売れるらしいので、そういう勝手は許されなかった。
今日の傷んだやつから、こっそり取り分けて置くことにしようか。
「よいしょ」
「あ、トールばっかりずるい!わたしも!」
「おいおい」
僕とエリン姉は、父ちゃんの足の間に陣取った。
父ちゃんはサウナに入り着替えが終わってさっぱりしていた。もう臭くない。
「あとで髭を剃ってあげるわね」
「そうだな。旅の間にすっかり伸びてしまった」
父ちゃんの髭はすっかり伸びて、ちょっと山賊みたいに見える。
ちゃんと堅気の農民に戻ってほしい。
「焼けたぞ。しっかり食べろよ!」
「父ちゃんは食べないの?」
「ああ、村長の長屋敷でずいぶん食べたからな」
無理をしているわけじゃないみたいだ。
背中で感じる父ちゃんのお腹も、少しふっくらしている。
僕もエリン姉も遠慮せずに、焼いたニシンをたっぷりと食べる。
ナイフで食べるとかいうお上品な真似はせず、もう行儀悪く手づかみだ。
鉄鍋の底でじゅうじゅうと焼けたニシンを母ちゃんにナイフで剥がしてもらうと、素手で受け取って背骨を手で取り去る。細かい骨は無視してばくりと齧ると、潮の香りと熱い脂と柔らかい身の三重奏が口と鼻に押し寄せてくる。
熱さ、塩、肉、脂はシンプルに人間を幸せにしてくれるんだ。
そうして僕もエリン姉も競争するように何匹も勢いよく食べ続けた。
「トール、まだ食べる?」
「うーん…ちょっと待ってて」
美味い。美味いんだけど、ちょっと脂に飽きてきた。
もう少し味変したい。
「トール、どこに行くのー?」
「ちょっと掘ってくる!」
冬の家はすぐそこだ。
ルーン文字の板が挿してあるから場所もわかる。
「あら戻ってきた。それは?」
「リーキ!ちょっと洗ってから入れるから!」
海水で軽く洗ってから、大きめにナイフで切ってニシン脂が底に溜まった鍋に入れると、じゅわっとネギの強い香りが上がる。
「うーんいい香り」
ネギ油だものね。香りが悪いわけがない。
ニシンを丸焼きにするのでなく、少し丁寧にほぐして身だけを投入し、木べらでリーキと一緒にかき混ぜて炒める。
「よっ、と」
西洋ネギとニシンの脂炒めだ。
出来上がりを木皿に載せると、家族から手が伸びてきて、盛られた料理がどんどん減っていく。
「美味いじゃないか、トール」
「ねえ!美味しい!」
「リーキって、こんなにニシン脂と合うのねえ」
「ちょっと!僕の分残して!」
はあ…あとでリーキをまた掘ってこないとなあ。
これ、水を足してスープにしても美味いんだよね。
カップに移して飲んでいると、うちの家族だけじゃない視線も周囲から感じた。
「あれ…美味そうじゃないか?」
「うちも野菜も持ってくるか」
「玉葱でもいいじゃない?」
気がつけば、他の家族達もいろいろと工夫してニシン料理のアレンジを楽しみ始めているようだ。食事にバリエーションがあると楽しいものね。
「大麦を足してお粥にしても美味しそうだけど…」
「大麦は冬の備えに取っておきましょう」
「…そうだね」
大麦は、野菜より遥かに保存性が高い。
野菜が萎れ、厳冬で漁に出られず飢えた際の最後の砦的な立ち位置でもある。
冬が来る前に消費してしまうのは良くない。
北方で炭水化物が気軽にとれるようになるのはいつの日になるだろう?
もう少し南の農業地帯だと、全然事情は違うんだろうけどね。
でもそこでは、今僕が食べているような北の海の豊穣な味わいとは切り離される。
どちらが良いかは難しいところだ。
僕達の村がもっと豊かになり、交易で腐る程に大麦が輸入できるようになればよいのだけど。
赤々と各所で燃え盛る焚き火。乾杯を重ねる男衆。朗らかな女衆。はしゃぐ子供達。
大勢で村をあげてキャンプをしているようで楽しい。
誰かが歌い始めた。海の恵みとニョルズを称える歌だ。
ニョルズよ、海の主よ、富を司る神よ
穏やかな波に網を満たし給う
夜の浜辺、魚群の恵み溢れ
我ら声を揃え、汝に感謝せん
ニョルズ! 豊漁あれ、永遠に!
「「ニョルズ!豊漁あれ!永遠に!」」
僕達も、声を揃えて繰り返し歌う。
サーガって、こうやって生まれて引き継がれていくんだろうなあ。
歌い終わり、少し宴が落ち着いた頃になり。
僕は父ちゃんにお願いをする。
「…父ちゃん?そろそろいいでしょ?旅と冒険のお話をしてよ」
「まあ…そうだな」
麦酒で少し顔が赤くなっていた父ちゃんに旅の話をねだると、お酒で口が軽くなったのか、交易の間に何があったのか、長い長い冒険譚を語り始めた
「まずは長船をフィヨルドを出て、3日ほど黒岩まで南下した。東風を待って北海を西に渡るためだ…」




