第44話 過ぎたるは及ばざるが如し? 6歳 秋
父ちゃんと家族が抱き合う感動的な時間は、あまり長引かなかった。
母ちゃんとエリン姉も、僕と同じことを気にしたからだ。
「あなた、ちょっと体を洗って着替えたほうがいいわね」
「うん…そうか?そうだな」
「お父さん、サウナ入ってきた方がいいよ!」
母ちゃんとエリン姉に指摘されて、父ちゃんはちょっと肩を落とした。
女性は残酷だなあ。思ったことをそのまま口に出すんだから。
僕は男らしく黙っていてあげたのに。
父ちゃんはクンクンと自分の肩口を嗅いでいるけれど、自分では臭いはわからないのかな。
「帰還した勇者たち!まずはサウナへ!長屋敷のサウナを開放します!」
村長婦人の指示で、長船から降りた勇敢で小汚い男達の一団は郎党と侍女に先導されて長屋敷の方へと歩いていく。
今から各自の家のサウナを燻すのは効率が悪いので、村長宅でまとめてサウナに入れるのだろう。
村長の長屋敷の傍には、郎党や戦士達、侍女に奴隷たち、それにもちろん村長家族が入るための大きなサウナ小屋が建てられている。
そこならば、交易から帰ってきた戦士団達も収容することができる。
サウナの後には、清潔な衣服や蜂蜜酒や麦酒も供して労うのだろう。
大きな働きをした男達に報い、饗すのは長の義務なのだ。
村の政治をやるっていうのは、なんだか大変そうだ。
交易に出ていなかった村の男達も、出番を失ってはならじと活躍する。
浅瀬に打ち上げられたミンククジラはまだ生きていたのだけれど、勇ましい男衆の1人が果敢に近寄ると、首らしい位置に深々とナイフを突き立てたのだ。
傷口から赤々とした血潮が吹き上がり、海へと大量の血液が流れていく。
ちょっと残酷だけど、血抜きをしないと、お肉が鉄臭くなっちゃうからね。
放っておいても陸上では自重で圧死してしまうので仕方ない。
クジラが動かなくなると、尾に牽引用の縄がかけられる。
「ようし、引き上げるぞ!手の空いているものは手を貸せ!」
折角の機会だから、僕も縄の引手を手伝いに行く。
どう考えても6歳の子供では戦力にならないのだけれど、この先にクジラを縄で引く機会なんてあるかどうかわからないからね。縁起物ですよ。
僕と同じことを考えたのか、女子供も大勢が集まって一斉に縄を引く。
「引け!引け!引け!」
掛け声に合わせて、粗い縄目を握り一生懸命に体を傾けると、ジリジリと全体が後退し、クジラが前進する。少し全体で下がり、縄の緩みを調整したら、また引く。
そうして2頭のクジラを辛うじて20メートルほど、満潮に攫われない場所まで引き上げたら、放置。
クジラよりも先に、早急に処理しないといけない獲物が待っているからだ。
海の銀は、今日中に処理してしまわなければ傷んでしまう。
村に訪れた海の恵みの神の幸運を台無しにしてはならない。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
「ナイフを持っている人は加工へ回って!ない人は拾う、もしく分別へ!」
村長婦人の指示で、女達は、分別、加工処理へと機能的に振り分けられた。
波打ち際に散らばっているニシンを拾い集めて籠に入れる班、集められたニシンを海水で洗って砂を落とし、加工へ回すニシンを分ける班、そしてニシンを加工する班へと、リーダーとメンバーに別れた。
社交場で顔見知りになっていたのが効いているのか、集団行動が実にスムーズだ。
リーダーを務めているご婦人は、社交場でもグループのリーダーとして振る舞っていた顔と一致している気がする。
僕にはよく分からないけれど、女性社会の組織化が進んでいるのではなかろうか。
やがて女性達の集団は、ニシンを処理する機械と化した。
集められてくる文字通り山のような量と数のニシンが、手早く分別されていく。
まず、傷がついたニシンは今日の焼き物の食事へ向けるので取り分けられる。
そちらの処理は女の子の仕事。慣れない手つきで、おっかなビックリとナイフで頭を落とし、腹を裂き、内臓を桶に捨てる。背骨を抜くような複雑な処理はしない。
エリン姉は、こっちのグループに所属して、けっこう上手くやってるみたいだ。
一方で、ナイフを持参した女達は、一列に並んで素早く正確なナイフ裁きで、子供達の10倍以上の速度で処理を進める。頭と内臓を捨てるための桶を並べて、交換していくのは、男の子の仕事だ。くるくるとゴミ捨て場とニシン解体場の間を、桶を抱えて走り回っている。
僕もそちらに加わりたかったのだけれど、お湯を沸かすための火の番から離れられない。女性達はナイフの刃が脂で切れが悪くなると、こちらへやって来て沸かされた鍋へナイフをざぶりと突っ込み、勢いよく振って脂をきると処理へと戻っていく。
何十人という数のご婦人たちが次々とやって来るので、すぐにお湯はニシンの血と脂で濁ってしまうから、鍋のお湯も次々に沸かして換えないといけない。結構な重労働なのであった。
何度目かのお湯を換えた頃に、ナイフを洗いに来た母ちゃんへ、考えていたことを持ちかける。
「ねえ母ちゃん。この際、家の塩を全部出しちゃおうよ」
「…トールは、それでいいの?」
「いいのもなにも!ここで使わないと、いつ使うのさ!」
「そう…トールがいいならいいけど」
母ちゃんは何人かの女衆を冬の家に連れていき、大きな樽に詰めた塩と、いくつかの空の樽を持ってきた。
「処理したニシンは、こちらに詰めて。塩を載せて、またニシンを載せて。キャベツと同じ要領で詰めていきましょう」
母ちゃんが呼びかけると、少し躊躇ったあとで、数人の女性が手伝いに参加してくれた。
ニシンを敷き詰める係、塩をかける係へと別れて、手際よく大量の樽詰めニシンの塩漬けが作られていく。
「あ、もうちょっと思い切り塩かけてください。腐っちゃうから」
「…こんなに塩を使うなんて、贅沢だわ」
「全くねえ!来年の春どころか5年は持ちそうだよ!」
最初こそ、戸惑いのあった手つきも、数をこなすうちにどんどんと洗練されていく。
「もっと樽はないの!家に余った樽があるところは出してきて!」
「蜂蜜酒や麦酒の空樽は全部こっちへ回して!樽なんて、また後で作ればいいから!」
ご婦人たちの勢いに、何か言いたげな男達は黙って従い、樽探しへと散っていく。
やがて村中から、何十という空の樽が持ち込まれた。
「樽は海水で丁寧に洗って!最後に熱湯で洗います!」
せっかくの保存食に雑菌が入っていたら目も当てられない。
僕は西風路を全力で稼働させ、鉄鍋でお湯を沸かし、樽の内側をごしごしと洗う。
小さな手で藁束を握っていたら、見かねたのか大人の女性が手伝ってくれた。
多くの樽へ、どんなに詰めても詰めても海の銀は終わりが見えない。
いったいどれだけのニシンが穫れたのだろう?
落ち着いたら、あとで漁獲数を数えないといけない。
交易品にするにしろ、保存食として各戸へ冬に配布するにしろ、どちらにせよ正確に統計をとらないと不正の元になるし。
…誰も数えてないんだろうし、その必要性も感じないんだろうなあ…。
なんとなく誰に役目が回ってくるのか想像できて、作業の手が少し鈍った。




