今までの努力と結果とは……
(なんで……なんでこんなことに……もうやだ! 帰りたい!! 今すぐに!!)
ベルティーナは馬車に揺られながら心の中で強く願った。
あの後、ベルティーナが婚約について前向きに考えると了承(無理矢理)したことで、それではいつ頃正式に返事がもらえるのかとレイモンドから嬉しそうな笑顔で迫られた。
もはやベルティーナが婚約を間違いなく了承したかのようなレイモンドとトリシャの盛り上がりように、ベルティーナは引き気味で状況に流されそうになっていた。
しかし何とか意識を取り戻してくれたフリードに助けられ、すぐ婚約をするかどうか決めるのではなく、しばらく交流をした上で決めてはどうかと提案された。
(お父様! ありがとうございます!! 素晴らしいフォローですわ!!)
心の中でフリードに大きな拍手を送る。
そしてなんとか危機を回避してくれた英雄のようなフリードにベルティーナは思い切り飛びつきたくなった。
しかしトリシャにどんな目を向けられるかと思うとグッとその場は堪えた。
そして危機は乗り切れたと一息ついたのも束の間、そう簡単に諦めて帰ってくれるわけもなく……
「それでは今から我が家で茶会でもどうだろうか?」
期待に満ちたキラキラとした眼差しで見つめられる。
「突然過ぎて、今日はちょっと……」と断ろうとしたベルティーナにまたもトリシャに鬼の形相が迫った。
「もちろん行くわよね、ベルティーナ。断るなんてこと絶対にありませんものね……」
もはや「はい」以外の答えは許さないと言わないばかりのトリシャの圧力にベルティーナは小さく震える。
そのあまりの迫力にベルティーナは壊れたオモチャのように勢いよく首を縦に振った。
断ればどんなおぞましいことが待っているかと思うと、それ以外の選択肢はなかったのだ。
そして今、馬車に揺られて騎士公爵邸に向かっている。
交流をとは言われていたが、まさかそのまま騎士公爵邸にお茶会に招かれるとは思ってもみなかった。
ふと視線を正面に移すと何が嬉しいのかにっこり楽しげに笑っているレイモンドと目が合う。
確かにこれほどまでに完璧な婚約者候補など他にいないだろう。トリシャが必死なのはわかる。それはわかるが……
(でもやっぱりこの笑顔、怪しすぎるわ……)
あまりに相手が笑顔ものだから、ベルティーナも愛想笑い程度に笑顔を浮かべて、笑い返す。
するとレイモンドがさらに嬉しそうに笑みを深めた。
その屈託のない笑顔に心臓がキュンと跳ね上がる。
(き、気をつけなさい! ベルティーナ! どれほど自分好みの美しい笑顔であってもその裏に隠れている本心はわからないのだから!!)
ベルティーナは悶えそうになるのを堪え、心の中で何度も自分に繰り返し言い聞かせた。
「あの騎士公爵閣下、気になっていたことがあるのですが……」
しばらくしてやっと気持ちが落ち着いたころ、車内でただただ見つめ合っているだけもどうかと思ったベルティーナは、気になっていたことを聞いてみることにした。
「なんだろうか?私に答えられることであれば答えよう」
レイモンドは直接ベルティーナに話しかけられたのが嬉しかったのか、まるで尻尾を大きく振る大型犬のようにキラキラした瞳で見つめてきた。
そんな様子にベルティーナは若干頬を引き攣らせる。
演技なのか、素の表情なのか……どちらかにしてもベルティーナがしなければいけないことは一つだ。
レイモンドが何を考え行動しているのか探る、これが一番重要だ。
「えっと……私以前に閣下とお会いしたことがあったでしょうか?その……私の記憶違いであれば大変申し訳ないのですが、昨晩の夜会で初めて言葉を交わしたように思うのです」
確かに前世で関わりがあったとはいえ、今世では昨夜が初めて言葉を交わしたはずだ。
なぜならばベルティーナはずっと彼を避けていたから。
事前に情報を仕入れ、レイモンドが出席するような夜会には欠席するようにしていた。
必ず出席しなければいけないものは、できるだけ身を隠すように過ごした。レイモンドを会場内でいち早く見つけ、出来るだけ距離を取りつつ行動したのだ。
その点レイモンドは群衆の中にいても格別な雰囲気と煌めきを醸し出していたので、とても見つけやすくありがたかった。
昨夜はベルティーナの情報網では彼は出席しないことになっていたのだ。だからこそ油断し、結局こんなことになってしまったわけだが……
しかしだからこそ、今までの行動を考えても直接話をする機会はなかったはずなのだ。
それなのにいきなり求婚されるなど、不自然でしかない。
そう、それこそ前世の記憶を引き継いでいない限り……
少しでも相手の裏を探るためにも、ベルティーナは前世の記憶など持っていないという体でレイモンドに尋ねてみることにしたのだ。
レイモンドは少し考えるような仕草を見せると頷いた。
「そうだな……確かに言葉を交わしたのは昨夜が初めてだ」
(やっぱり……)
ベルティーナはゴクリと唾を飲み込むと、核心に切り込むように尋ねた。
「それではなぜ私に婚約を申し込まれたのですか?」
ベルティーナはドキドキと騒ぐ心臓を宥めながら、相手の真意を探ろうとぎゅっと自分の手を握り込む。
やはり前世の仕返しにこちらに近づいたのだろうか?
しかしベルティーナは前世など知らない体で話している。
もしそうであったとしても今すぐどうこうされることはないだろう。たぶん……
「それは……」
「それは……?」
ベルティーナは緊張でカラカラになった口で、先を促すようにおうむ返しで呟いた。
「実は……実は君のことは以前から知っていたんだ」
ベルティーナはピシリと固まった。
(ちょ、ちょっと待って! まさかここでいきなり前世を持ち出すの!? まだ私が前世の記憶を持っていることは知らないはずなのに!)
ベルティーナは何とか冷静になるようにグッと気持ちを抑える。
「えっと……それは……知っていたとは?」
「ああ。知っていたというか……何度かパーティで見かけたことがあった。しかし君は何故かすぐに姿を消してしまって……以前からゆっくり話してみたいと思ってたんだ」
(あっぶなかった〜!! よかったわ。変なことを口走らないで……というか私に気づいていたのね。でもいつも彼が来るパーティには最初から最後まで身を隠して過ごしていたのに……目ざと過ぎない……?)
ベルティーナは何とか笑顔を取り繕う。
「そ、そうだったのですね」
「君をパーティで見かけることはほとんど無かったし、ずっと気になっていたんだけど、いつもいつのまにか見失ってしまって……偶にしか会えない君のことがずっと気になっていたんだ。そして昨日やっと君に声をかけることができた!」
レイモンドはふっと微笑むと、照れたように微かに頬を染めた。
ベルティーナはレイモンドに少し驚いたように顔をつくると「そうですか」と頷いた。
しかしその笑顔の下で「そりゃ避けてましたからね」と思いつつこっそりため息をついた。
だがそれでも、たとえ気になっていたとは言え、昨日いきなり求婚というのも変な話だ。
(やっぱりどこか変よね……まだまだ気を抜けないわ……気をつけなきゃ!)
そんな決意を心に秘め、なんとか微笑を貼り付けたまましばらく車窓を眺めた。
流れていく景色を見つめながら、これまでの自分の行動を思い返してみる。そして膝をつき項垂れたい気分でいっぱいなった。
(まさか……まさか私が騎士公爵を避けていたばかりに逆に彼の興味を引いてしまっていたってこと……? もしそういうことなら本末転倒転倒じゃないの!!)
嬉しそうに頬を染めながらベルティーナを見つめ続けるレイモンドと、微笑を貼り付けたまま微動だにしないベルティーナを乗せ、異様な空気のまま馬車は騎士公爵邸に向かって行くのだった。




