可愛い弟を守るため!
「姉様!!」
ベルティーナが準備を終え、客間に向かおうとしていると、後ろから彼女を呼び止める声が響く。
「あら? ルドヴィック、おはよう。あなたもお父様から呼ばれているの?」
ベルティーナはその姿をとらえると、優しく微笑む。
ピンクブラウンの髪を跳ね上げてパタパタと走って来た、可愛らしい弟の頭をそっと撫でる。
しかし、ルドヴィックはむっと頬を膨らますとベルティーナの手をそっと避ける。
ルドヴィック・ヴァイス
彼はベルティーナの五歳年下の弟だ。
ピンクブラウンの髪に明るい緑色の瞳をもち、可愛らしい容姿をしている。
最近成長期で背もだいぶ伸びてきているが、まだベルティーナより頭一つ分は低い。しかしそれもすぐに追い抜かれてしまうだろう。
公爵家の嫡男で家柄もよく、とても姉思いな優しい子だ。
最近は剣の訓練のため、騎士団に通い腕を磨いていて、剣筋も良いと評判だ。このまま成長していけば、間違いなく社交界を賑わす男性になるだろう。
そして実はルドヴィックはベルティーナの前世とも繋がりがある。
彼は魔王討伐に共に出ていた騎士団団長であったルドルフ・フィッシャーの生まれ変わりだ。
とても人当たりがよく、前世では十和より十歳ほど年上で、みんなの頼れるお兄さんのようだった。
十和自身もこの世界に来てから、よく助けてもらい、とても信頼の置ける人物だ。
しかしどうやら彼もあの魔王討伐の際に四天王の一人と相討ちになり、亡くなったそうだ。
きっと最後のあの場に彼がいてくれれば、アルドとウィリアムを諫め、十和に魔力回復薬を渡してくれたことだろう。
とは言っても、もう過ぎたことではあるのだが……
しかし前世ではとてもお世話になった。今世で弟として生まれてきた彼を見て、今世こそは幸せになってもらいたいと思った。
彼に前世の記憶はない。
だからこそ今度はベルティーナが守り、そして全力で可愛がろうと決めたのだ。
「もう! 姉様! 子供扱いは止めてくだい!!」
そう言って可愛らしく頬を膨らます弟にベルティーナの頬が緩む。
「いいえ、子供扱いはしていないわ。だって噂で聞いているもの。最近ルドヴィックは騎士団の中でも剣筋がいいって評判だって! 大人相手でも引けを取らないんですってね! 体もどんどん大きくなっているし、もう少ししたら私も追い抜かれてしまうでしょうね?」
前世でもその剣の実力で騎士団団長までのぼり詰めた人物だ。やはりその才能はルドヴィックにも受け継がれているのだろう。
ベルティーナがニコニコと笑って見つめていると、褒め言葉に照れてしまったのか、ルドヴィックは頬を染めながら、唇を尖らす。
「でしたら先程の子供にするような事はやめてください」
「あれは家族としてのスキンシップよ。私は弟としてあなたを可愛がっているだけよ」
「その可愛がり方が子供扱いだって言ってるんです!」
「そうかしら?」
ベルティーナは首を傾げてルドヴィックを見下ろすと、ルドヴィックはため息をついた。
そして思い出したようにはっとしてベルティーナを見つめ返す。
「そうでした! こんなことを話している場合ではなかった。姉様は騎士公爵閣下とお知り合いなのですか?」
ここに来て、その名前が出たことにベルティーナはうっと息を詰まらせた。
「い、いいえ。知り合いというほどのこともないわ。昨日の夜会でたまたま声をかけられたのよ……」
「そうなのですか!? 今どうやら騎士公爵閣下が来られているようなんです」
(あっ……やっぱりか……)
絶望にも似た感覚でその言葉を聞いたベルティーナは、せっかくゆっくり寝たおかげで楽になった頭がまた痛み出す。
「そうなの……それで? 他には何か聞いている? あなたも客間に行くのかしら?」
「いいえ。僕は呼ばれていません。ですが姉様が呼ばれていると聞いて……」
ルドヴィックはチラチラとこちらを窺いながら心配そうに見つめる。
ルドヴィックはベルティーナが夜会などに極力出ないようにしていることを知っている。そしてそれを男性が苦手なため、出席しないのだと勘違いしていた。
だが実際のところ、ベルティーナは事前にある人物から仕入れた情報で騎士公爵が魔王の生まれ変わりだと知っていた。
遠目から自分の目で確認したこともある。
だからこそ彼と会うような場所に行きたくなくて、必ず出席しないといけないもの以外は避けてきたのだ。
(だって自分が前世で倒した魔王と再会なんてしたくないじゃない! そんな運命望んでないのよ!)
しかしその今までの努力も昨夜虚しくも崩れ去った。
しかも、まさか誰がいきなり求婚されると思うだろうか?
あれだけ人気の騎士公爵が、初めてしっかり言葉を交わした相手に求婚するなど、絶対裏があると思うのは当然ではないか。
なんと言っても彼はベルティーナが前世に倒した魔王の生まれ変わりなのだから。
しかも魔王の最後の様子はやはりどう考えてもおかしかった。あんなにすんなり聖女の力を受けたのはやはり怪しい……
こちらを油断させ、今度はこちらを倒すつもりなのかもしれない。
ベルティーナの弟のルドヴィックも魔王討伐に同行した騎士の生まれ変わりなのだ。ベルティーナに近づき共々倒そうなどと考えているのかもしれない。
まだ騎士公爵に前世の記憶があるという確証は得られていないが、そう考えるといきなり求婚してきたことも納得がいく。
(でも私は騙されないわ!! 今度こそ穏やかな人生を送るんだから!! そして可愛い弟だって絶対守って見せる!!)
ベルティーナは気合を入れて拳を握った。
「あの……姉様、大丈夫ですか?」
ベルティーナが黙って考えごとをしていたため、それを男性への恐怖から怯えていると考えたらしいルドヴィックがそっとベルティーナを覗き込む。
「ええ! 大丈夫よ! きっとあなたのことも私が守るわ!」
「え? 僕を守るって、姉様はいったい何を言っているのですか?」
普通に考えて夜会で声をかけ、その翌日その令嬢の家を訪ねているなら、どう考えてもその令嬢へのアピールのはずだ。
しかし自分の考えに没頭しているベルティーナにとって、そんな考えは微塵もなかった。
「大丈夫! 全部姉様に任せておいて!」
「任せておいてって……姉様、騎士公爵閣下は姉様とお話しするためにこちらに来られたのでしょう?」
おかしなことを言い出す姉を心配して、ルドヴィックは何を言っているんだという目でなんとかベルティーナを落ち着かそうとする。
しかしベルティーナにその言葉は全く届いていなかった。
(自分のことも、可愛い弟のこともきっと私が守り切るわ! 負けないわよ! 前世魔王の男なんかに!!)
そう決意を新たに客間に向かうベルティーナの後ろ姿を、ルドヴィックは呆然と見送るのだった。




