意外なお願い
「ベルティーナ、それで先ほどの勝負の話なのだが……」
「えーっと……あ、はい……」
もはや疲れすぎてそんな返事しか返せないベルティーナとはうって変わって、とても晴れ晴れとした表情でレイモンドが話しかける。
あれだけ訓練場で暴れたとは思えないほど、全く疲れが見えない。
あの後結局ベルティーナも怪我人を運ぶのを手伝おうとしたのだが、ルドヴィックだけでなく、後で来た騎士たちからも断られてしまった。
「あのヴァイス公爵令嬢! どうか、どうかここは私たちのためにも閣下とお帰りください! どうかこれ以上被害を出さないためにも!!」
そっとベルティーナに近寄ってきた騎士が鬼気迫る表情でそう伝えてきたのだ。
騎士が緊張した表情でレイモンドの様子を探るようにチラリと視線を向ける。
その瞬間ちょうどレイモンドがこちらを向き、視線が合うと、騎士ははた目に見てわかるほどにブルブルと震え上がる。
そしてまるでギーギーギーと音が鳴りそうなほどガチガチの状態で顔だけベルティーナのほうを向く。そして縋るようにとても小さな声で「どうか……」と涙目で訴えた。
レイモンドに怯えまくる、そんな可哀想な騎士の表情を見ると、頷かないわけにはいかなかった。
ベルティーナはこの状況に深い深いため息をついた。
(もうあれよね……とにかく猛獣の前に餌でもおいて、何とかな気を逸そうみたいな……)
その餌が自分だと思うと全く笑えない話である。
「ベルティーナ聞いているか?」
「あっ……すみません。もう一度お願いします」
「随分時間かかってしまったから疲れてしまったのだろう? すまなかった。私がもっと早く全員を倒していれば良かったのだが……」
「いえ、レイモンド様十分早かったですわ……本当にお強いのですね……」
先程の光景を思い出し、ベルティーナは遠い目をする。
(数人を相手にして、一気に片付けるなんて……もはや人間技じゃないわよ……もし戦いになったら、この人に勝てる気がしないんだけど……)
もしレイモンドが前世の復讐だなんだとこちらに刃を向けてきたことを考えると恐怖しかない。
(それでも、もしそんなことになったらやるしかないんだから!! やっぱり攻撃力の高い火属性の魔法をしっかり練習しておかなくちゃ!!)
そんな決意を固めていると、レイモンドが心配気に見つめてくる。
「本当に疲れていないか?」
「ええ、大丈夫です。そういえば先程のレイモンド様のお話は?」
「ああ。お願いについてだが……」
そういえばそんな約束をしていたなと思い出し、ベルティーナは焦り出す。
まさかあんな結果になるとは思っていなかったのだ。
確かにレイモンドが強いということは噂で知っていたが、まさかあれほどとは誰が思うだろうか。
しかし約束は約束だ。
ベルティーナは覚悟を決めてレイモンドに向き合った。
レイモンドはベルティーナが見つめ返すと表情を固くする。
そんなレイモンドの表情にベルティーナまで何を言われるのかと緊張した面持ちになる。
まさかここにきていきなり前世のことを持ち出してきたりしないだろうかと沈黙がよけいに不安にさせる。
しばらく沈黙の後、二人が真剣な表情で見つめ合っているとレイモンドが意を決したように口を開いた。
「……私と……私と二人で街に出かけて、デートしてもらいたい!!」
「へっ……?……デート……?」
予想外のことにベルティーナが呆けていると、レイモンドがうっすら頬染めながら緊張した面持ちで尋ねる。
「その……ダメだろうか……?」
その色気が溢れる表情に当てられ、ぼーっとなりそうになるのを何とか堪える。
そしてレイモンドの言葉を頭の中で繰り返した。
(デート? いやいや……ちょっと待って。え? デート!?)
美しすぎる顔に思考を乱されそうになりながらも、デートに誘われているのだと理解すると、ドキドキと鼓動が速くなり、さらに頭が混乱してくる。
(ダメよ! 落ち着かないと! この顔に惑わされてはダメよ!! こ、これはデートに誘って、私のことを探るつもりなのよきっと!! 何とかうまく断れないかしら……)
「レ、レイモンド様。二人で街に行くのは難しいではないでしょうか? 警護のこともありますし……」
本来貴族であればあまり街に行くことはない。
基本的に買い物をするときは店の者を屋敷に呼んで買い付けるからだ。
それに街は貴族も平民も誰でも自由に出入りできる。
それ故に犯罪も多く、貴族を狙った強盗などもよくあるのだ。
ベルティーナも何度かフリード一緒に街に行ったことはあるが、いつも何人も護衛がつき、中々に物々しいのだ。
それはベルティーナが公爵令嬢だからというのが大きい。
だからこそ、そうそう簡単に街に行こうと言ってすぐに行けるものではない。
警護の者の人選や日程の調整など、時間がかかるのだ。
しかしレイモンドからすぐに返事が来る。
「警護に関しては問題ない。ベルティーナのことは私が全力で守るからな。私ほど護衛として安心できるものはないと思うぞ。それは先程証明できただろう?」
確かにレイモンドの強さは間違いない。
間違いはないのだが……
(いや、もはやあなた自身が私にとって一番危険だと思うのですが……)
ベルティーナは心の中でツッコミを入れる。もし街でレイモンドに刃を向けられればと思うと恐怖しかない……
ベルティーナはすぐに他に何か断る理由は無いかと考える。
「ですが……一度両親に相談してからでもよろしいでしょうか?」
すぐに断る理由を思いつかなかったベルティーナは何とか時間を引き伸ばそうと考え、なんとか答える。
「そうか……そうだな。確かに大切な娘を人も多く危険も高い街に連れて行くのであればご両親からの了承は必要だな……わかった」
「ありがとうございます」
(一旦家に帰って、お父様に相談しましょう! きっとお父様なら何か良い案を考えてくださるわよ!)
ベルティーナはふっと安堵の息を吐き出した。
しかし公爵邸に着いたあと、ベルティーは自分の考えの甘さを呪うことになるのだった。




