廊下でばったりは勘弁してほしいです……
軽い足取りのまま廊下を曲がったところでドンっと衝撃を受けて後ろに倒れそうになる。
(あっ! やばい……)
そう思ったのも束の間、力強い手に引っ張られた。
「すまない! 前をしっかり見れていなかった」
「いえ、こちらこそ申し訳ございません! 私も確認不足でしたわ。助けていただきありがとうございます……」
お礼と共に顔を上げたベルティーナは相手の顔を確認し、しばし停止した。
「まさか君だったとは。久しいね。ヴァイス公爵令嬢」
「はい……お久しぶりでございます。ウィリアム王太子殿下……」
(……最悪だわ……何でこんなところに王太子殿下がいるのよ!!)
ウィリアム・エルドラード
前世の十和の恋人であったウィルフリードの生まれ変わりであり、またも王太子という地位に生まれ変わった。現在のこのエルドラード帝国の王太子殿下だ。
前世と同じく、輝くような金髪と蒼色の瞳を持った美しい容姿はこれまた令嬢たちの憧れの的である。
あまりに人並み外れた美貌を持っていることでレイモンドの容姿は注目されやすいが、こちらの王太子も十分に美しい容姿をしている。
さらに騎士公爵であるレイモンドは以前まで決して笑わぬ、誰にも興味を持たないと言われていたこともあり、婚約者になるのは絶望的。
対して今現在王太子は一人であり、兄弟もおらず、立場上結婚は必須だ。もし婚約者に選ばれれば、次期王妃になれる。
故に騎士公爵は鑑賞用、婚約者としては王太子と、ほとんどの令嬢が考えている。
よって王太子は令嬢たちにとって最も婚約者の座を狙いたい相手であるのだ。
「そういえば今日は母上主催のお茶会だったかな?」
「はい。そうでございます」
ウィリアムは何が楽しいのか、ニコニコとしてベルティーナを覗き込んでくる。
ベルティーナは引き攣りそうになる頬をなんとか笑みにの形に整え、一歩足を引く。
「お茶会は楽しめたかな?」
すると今度はウィリアムのほうが一歩こちらへと距離をつめる。
「ええ。楽しめましたわ」
ベルティーナがもう二歩距離を後ろにとる。
「こちらは帰り道ではないだろう? どこかに行くのかな?」
さらにウィリアムが三歩こちらに距離をつめる。
「ええ、まぁ……今日は弟の騎士団での訓練の日ですので、様子を見に行こうかと……」
ベルティーナがさらに距離を取ろうと後ろに足を引く。
そんな側から見たらおかしな攻防戦を繰り返す。
(なになになに? 何でこんな距離をつめてくるの? 何だか追い詰められてる!?)
顔に笑みを貼り付けたまま、心の中は大混乱である。
「そうか。そういえば君の弟は騎士団に訓練に来ているのだったね。僕も久しぶりに騎士団で訓練でもしようかな? ヴァイス公爵令嬢、一緒に訓練場まで行こうか?」
そう言いつつ、すっとウィリアムの手がベルティーナの手に伸ばされた時、ベルティーナとウィリアムの間にドンと手が差し込まれた。
その手のほうにベルティーナが顔を向けると不機嫌を全開にしたようなレイモンドが立っていた。
そしてジロリとウィリアムを睨む。
「今、彼女と話をしていたのだけど、何かな? 僕に用事でもあるのかレイモンド」
ウィリアムもその視線に挑むように笑みをのせて、レイモンドを見つめる。
「ええ、ウィリアム殿下。先ほど宰相があなたを探しておいででした」
「それなら後で行くよ」
ウィリアムがその手が邪魔だというようにレイモンド手を退けようとぎゅっと掴む。
「いえ、お急ぎのようでしたし、すぐに行かれたほうがいいと思います」
レイモンドは掴まれた手をまるで力など込められていないとでもいうように全く表情変えず、ウィリアムを見つめる。
「はー……君は空気読めないの?」
「それは殿下のほうでしょう? 私が先日ベルティーナに求婚したことはご存知では?」
レイモンドの言葉にウィリアムがさっと表情を変える。
「なっ……! ベルティーナだって? 相手の了承も取らず、名前呼びをするなんて失礼だよ」
ウィリアムが焦ったように指摘すると、レイモンドが勝ち誇ったように口の端に笑みをのせる。
「もちろん。ベルティーナから了承は得ていますよ」
「い、いつのまに……」
ウィリアムは大きく目を見開く。しかし次の瞬間には余裕な笑みを何とか貼り付けてレイモンドを見つめる。
「し、しかしまだ彼女からは了承の返事はもらっていないのだろう?」
「ご両親にも挨拶は済ませている。近いうちに良い返事がもらえるだろう」
そのレイモンドの勝ち誇ったような様子にベルティーナは心の中で盛大に突っ込んだ。
(いやいやちょっと待ってよ! なんでそんな自身満々なのよ!! いい返事なんてしないわよ!! というかなんでそんなこと王太子と話しているの……?)
そのようなことをベルティーナが考えているとはつゆ知らず、二人の会話は進んでいく。
自身満々なレイモンドの姿をどう捉えたのか、ウィリアムは渋い顔をする。
「はー……わかったよ。今回は引くけど、まだ婚約は正式に結ばれていないんだから、勘違いしないほうがいいよ」
ウィリアムはキツい口調でレイモンドに告げると、パッとベルティーナを振り返る。
「すまない。僕は呼ばれているようだから、またの機会に」
ウィリアムはレイモンドの時とはまるで違う柔らかな笑みを見せ、ベルティーナの手を取ると指先にキスをした。
(ひっ……!! な、何を……)
その流れるような動きに反応できなかったベルティーナは驚きにブルリと震えるも、何とか耐える。
ウィリアムは最後にレイモンドを睨みつけてその場を後にした。
(……い、一体何だったの……? でもなんとか助かったかしら……?)
ベルティーナはウィリアムの背を見送りながら小さく息をつく。
ウィリアムとは極力関わりたくないと思っていた。何故なら彼も前世で十和が亡くなる原因になった一人だ。
アロイスとはなんとか和解はしたが、前世の記憶がないとはいえ、ウィリアムとこれ以上関わるのは避けたかった。
(でも何で王太子殿下は会うといつも、こちらをかまってくるのかしら……やっぱり記憶はないといえど、前世の繋がりを感じているとか……?)
そんな考え方しかできないベルティーナはやはりどこまでいっても好意に疎い残念な令嬢だった……




