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思わぬ襲撃者

 木の繁みがガサガサと揺れ、そこからゆっくり黒い影が姿を現した。


「あ、あれは……」


「何でこんなところに……」


 繁みから姿を見せたのは真っ黒な魔犬だった。

 魔犬は大人の男性の胸ほどの高さがあり、非常に凶暴で鋭い爪と牙を持っている。

 魔犬と言われる通り、魔に通じており、闇属性の力を(まと)っている。

 戦闘に慣れた大人の男性であっても倒すのに苦労する魔物だ。



 本来このような市街地には決して姿をみせない。それも公爵邸は一応邪悪なものを寄せ付けない結界が張ってあるはずなのだ。


 200年前、聖女であった十和が魔王を倒したことで魔物たちを統率する者もいなくなり、今では滅多に人間のいる場所には姿を見せなくなっていた。

 それがなぜこのような場所に現れたのか……



 魔犬はちょうど良い獲物を発見したというように、ニヤッと笑ったように見えた。


 アロイスははっとしたように意識を戻すと、すぐに構え、火魔法を放つ。

 魔犬はそれを軽々と避け、怒ったようにグルルルゥと低い唸り声あげる。

 魔物が避けた火が近くの木に燃え移りそうになる。


「くっ……場所が悪いか……」


 すぐにアロイスは今度は水属性の魔法を放ち、燃え広がる前に炎を消した。




 確かに火属性の魔法は攻撃力は高いのだ。しかし、ここは公爵邸の庭だ。

 しかも人が来ることが少ないほうの庭なので頻繁に庭師が入ることがない。鬱蒼(うっそう)としているわけではないが、枝や葉がのび、それなりに生い茂っている。

 そんな燃えるものが多い中で火属性の魔法を使うことは難しい。


 すぐにアロイスは風属性の魔法に切り替え、魔犬に向かって風の刃を飛ばす。しかしそれも軽々と避けられてしまう。


「くそっ!!」


 アロイスの焦りが伝わってくる。

 後ろにはベルティーナがいるのだ。自分だけならまだしも公爵家令嬢に怪我をさせてしまってはという焦る気持ちがあるのだろう。




「捕えろ!」


 アロイスが小さく呟くと今度は木の根が魔犬に向かって一気に伸びた。しかし、それも魔犬は次々と避けていく。

 何とか一本の根が魔犬の足を捕え、魔犬をその場に縛りつけた。

 アロイスはばっとベルティーナを振り返ると、焦る気持ちのまま叫んだ。


「あなたは今のうちに早くお逃げください! 誰か大人を呼んできて欲しいのです」



 アロイスはこの年の子供にしては驚くほどの才能の持ち主だ。すでに四属性の魔法を使いこなしている。一般の大人であってもニ属性を使いこなせるかどうかがほとんどで、滅多に三属性を使いこなす者はいない。


 この世界には五大属性と呼ばれる主要な魔法がある。

 火・水・風・木・土を五大属性と呼び、それにプラスで魔物や魔族が扱う闇属性と滅多に扱えるものがいない聖属性がある。

 どの属性が使えるのかは個人の才能に左右され、主とされる属性以外使えない者も多い。



 そんな中、この幼さでこれだけ魔法が使えるアロイスは素晴らしい才能を持っている。やはり前世のアルドの影響があるのかもしれない。

 十和を見捨てた人物ではあるが、魔道士団団長まで実力だけで上り詰めたのだ。


 この場一旦任して大丈夫だろうと、ベルティーナはアロイスの言葉に頷くと走り出した。


 淑女教育で決してこんな風にドレスを翻して全力で走るなと教えられたが今はそれどころではない。


 緊張と全力疾走でドキドキと鼓動が跳ね上がる。

 その時、背中をヒヤッとした嫌な感覚が駆け上がる。


(何なのこの嫌な感じ……?)


 ぱっと魔犬を振り返るとニヤッと目を細め、それと同時に風の刃がベルティーナめがけて放たれた。


「な……」


 ベルティーナは言葉を失う。

 魔犬がまさか五大属性である風属性を使うなど……そんな魔犬は前世を含め、今まで見たことがなかった。

 アロイスも驚いていたが、動きが止まったのは一瞬で、次の瞬間には駆け出した。


「ベルティーナ様!! 危ない!!」


 アロイスはギリギリのところでベルティーナの前に体を滑りこませ、その身で風の刃を全て受け止めた。

 ベルティーナはあまりの衝撃と驚きに大きく目を見開くと固まった。


「うっ…………よ、よかった……怪我……ありませんね」


 アロイスは力無く笑うと、その場にくず折れた。

 いたるところからドクドクと血が流れている。

 その様子にはっと意識をとりま戻すとベルティーナは怒ったように叫んだ。


「あなた! 何してるのよ!!」



 ベルティーナは急いでアロイスに駆け寄る。

 しかしその表情は真っ青でアロイスは力無く笑うばかりだ。


(自分の身を盾にするなんて……何よ! 前世の借りを返したかったとでも言うの?)


 ベルティーナはキュッと口を引き結ぶ。



 本当は自分だけの秘密にするつもりだった。誰にも言わなければそれが一番安全だから。でも……それでも……

 たとえ前世で憎かった相手でも、今はベルティーナ庇って怪我をしたのだ。しかも命に関わる怪我を……



 ベルティーナは一つ深呼吸をして、意を決して立ち上がる。

 そしてアロイスに向かって先日発現した聖属性魔法の癒しの力をかけた。


 アロイスの体を光が包むと次の瞬間には全ての傷が消えていた。

 アロイスが驚いたようにベルティーナを見つめると、ベルティーナは仕方ないというようにふっと息を吐き出し、アロイスを見つめる。



「アロイス様。……いいえ、アルド。これから見ることは他言無用よ」


 ベルティーナのその言葉にアロイスはさらに目を見開いた。


「ベルティーナ様……まさかあなたも前世の記憶が……?」


 ベルティーナはその言葉に返事を返さず前に出ると、すっと魔犬を見据える。

 魔犬はせっかく倒した獲物を回復させられたのが気に食わないのかイライラしている様子で、こちらに向けて低い唸りをあげる。

 ベルティーナは集中するように小さく息をつくと、一気に浄化の力を解放した。



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