お薬を届けに行こう
「そうなんだよ。知り合いが医者でね」
夫は偶然出会った荷馬車に乗せてもらっていた。
村々と都を結ぶ行商の荷馬車は郵便や領主への連絡、商品の搬送などに活躍する。多くは幌もろくにない。
「で、これほど多くの薬を? いくつか売ってほしいのだが」「いや、売らない。それより小わきに隠したそのビンの中身を返してくれ」私がいるのにスリなんて考えないほうが良いわよ。おじさん。
タイヤどころかスプリングシャフトも装備していない馬車は信じられないほど揺れる。踏まれても傷一つつかない身とはいえ不安でたまらない。
そんな私のフレームを指先で支えながら夫は空に向かって鼻歌。
行商人の商品のリュートを勝手に取り出して調弦の手伝いと称してかき鳴らし、のんきな歌を歌っている。
「上手いな。兄さん。若いのに不惑(四十歳)前のベテランのような腕だ」「へへ」本当に不惑前だけどね。
夫の高い声と共に遠い遠い空の果てで白い雲がふわふわ。ふわふわ。
「眠くなったか? 兄さん」「いんや。こうして歌ってると気分がよくなる」普通は車酔いでそれどころではないと思うけど、夫はこういうやつだからな。
夫のへたくそな歌が空に響く。
この程度の歌で上手だなんていったら夫を調子づかせるだけだ。
「調弦が甘いぜ」「この揺れだ。へたすればいくつかは壊れる」布でちゃんとくるんでいるがと商人。
「しかし冒険者で歌もうまいとか、アンタは多芸だな」「俺は楽器だけだぜ。歌は恋人が得意なんだ」「ほう。そうなのか」変なこというな。ちょっとしか歌わない。
夫の歌声に合わせて。ではないだろうが遠くの花が風に吹かれて揺れる。
「あれか。『花咲く都』と言えば知ってるか」
おじさんは話し出したら止まらない。
栄えていていいところだとおじさんは言う。私もそう思うわ。
「昔は一時衰えていたらしいけどな。悪魔皇女の所為だな」「へぇ」
『悪魔皇女の辞書』はその優れた内容からこの世界では一般的な辞書として六〇〇年間愛されているらしい。
そのオリジナルでは『花咲く都』はボロクソに言われているそうで。
とはいえ、悪魔皇女って言う人は伝説だか神話の人物らしいけど。
「あそこの人間はカネ払いもいいし、商売しやすいしな」
確かにスリもしちゃう商人なら『花咲く都』は儲かって仕方ないかもね。
とはいえ、この世界の人間の道徳心は低いので、売れるものなら盗品でもいいのかも知れない。
「盗られるほうがマヌケ」になるようだし。
夫がふと空に指を伸ばす。
「ほら、おっさん。タンポポ」「綿毛が飛んでいるな」
「きれいだな。一曲どうだい? 」「タダなら聞くぜ」「野暮言うなよ。こういう状況では金取らないって」取れ。むしろ盗っていい。
夫はにこやかにほほ笑むと私越しに楽器をいとしげに抱きしめ、
綺麗な声で歌いだす。この甘い声にやられなければ私はメガネになどならなかっただろう。
「へえ。魔王を討つ勇者ねぇ。そんな噂を聞いたんですか」私たちのことじゃない。
「魔王なんて見たこともねぇけどな。そもそもおとぎ話の魔王ってガキには怖れられているがそれだけだからな」
国王たちが勇者を召喚して魔王を討とうとしているという噂があるらしいと商人のおっちゃんが述べるのに対して夫は気のない返事。
ふわふわの雲の下を夫の間延びした歌声が響き、
馬車は轍を通ってガタガタ。ガタガタ。
「魔王の手先の魔女って奴を火あぶりにしようって動きがあるんだ」ふん。野蛮ね。
「聖女を名乗って人心を乱そうとした愚かな女を逮捕したそうだぜ」ふーん。
「名前は。マナだったっけ。カナだったっけ。マヤだったっけ」
な、なんだって~~~~~~~~~?!




