アリス VS パンデミック! その4
トランプがいきなり言い出した『アリモ帝国がウィルスを開発したんじゃね?』疑惑は、瞬く間に広まっていった。確かに外から見れば、今回のウィルス問題で一番得をするのはアリモ帝国だ。他人との接触を避けるだけならネット通話で何とかなるが、物流はどうにもならない。そこは現状、アリモに任せてしまうのが一番だ。
僕も症状は出なかったものの照沼さんの濃厚接触者ということで、二週間の外出自粛を言い渡されていた。その間はアリモに食料を調達させて何とか凌ぎ、自粛が開けて久しぶりに外に出て驚いた。普段は通勤通学買い物客が少なくとも十人くらいは行き来している通りだというのに、今は老人が一人ふらふらと歩いているだけだ。少しその辺を散歩してみたが、午前五時くらいの人通りしかない。車通りもすっかり絶えてしまっていたが、代わりに宅配向けのマーク3アリモが爆走しまくっている。
現状アリモ帝国は、単純なロボットのマーク1を十万円、外見が人間そっくりなマーク2を百万円、バイクに変形可能なマーク3を二百万円で売っている。そしてこの状況でマーク3の派遣費用はうなぎ登りになっているようで、初期費用をかけて手に入れていた人々はあっという間に元を取ってしまえた状況らしい。
国内でのアリモの普及率は六十パーセントを超えている。つまり数千万台のアリモが単純労働者として活躍している状況だが、保守的だったり自信家だったりする人々はロボットに何もかも任せてしまうという状況に不満を抱いていた。そこにこの騒ぎだ、仕方がない、俺もアリモを買うかと思ったところで、納期が二年とか言われては変な方向に不満が爆発する。SNSでは『アリモ帝国がウィルスを開発したんじゃね?』疑惑が声高に叫ばれ、外国ほど直接的ではないもののアリモが悪戯されてしまう事件が相次ぐようになっていた。
その頃、大学側も色々とあれやこれやを諦め、状況を受け入れつつあった。
「やっぱこれからはオンラインだね!」
いきなりそんなことを言いだし、講義も研究もネット経由でやるという方針が打ち出された。学部生や修士はどうにも味気ないオンライン授業を視聴し、博士などはZOOMにオンライン研究室が設えられる。僕らはパソコンがメインの研究室だから良かったが、機械系や電気系は実験をコンピュータシミュレーションに切り替えたりと色々大変らしい。
こんな緊急事態にどうしてそこまで、という話だが、結局の所、ウィルス騒ぎがあろうとなかろうと、博士号ゲットの条件は変わるはずがないからだ。どうにかして研究は続けなければならない。それで僕と新子さんは自宅にいながら顔をつきあわせ、照沼さんに入院介護の恩を着せて『博論のためアリスのニューラルネットワークの秘密を聞きだそう作戦』を実行に移すことにした。
しかし作戦は簡単に失敗する。
「えー。別にいいよ!」
あまりにも軽く応じた照沼さんに、新子さんは逆に慌てた。
「いやいや照沼ちゃん、そんな簡単に応じていいの? 仕組みが漏れたら、アリスが悪人に支配されるかもしれんじゃろ。もっと慎重になろうよ」
「それはないと思うけど」
「どうして?」
それはすぐに明らかになった。照沼さんはすぐに蕩々とアリスの原理を話し始めたが、その内容がさっぱり理解不能だったのだ。
「つまりこの各細胞間の結合状態は流体近傍性コグニトロン分解を用いることによって近似整理することが可能で、結果として得られたリヒトシュターフェン配列は発火状態のオーチ・オア・セオリー・エミュレートを可能にするわけよ。だから仮想グリッド上に展開した各要素に対し――」
「ちょ、ちょっと待って。色々わかんないけど、一歩一歩いこ? まず流体近傍性? コグニトロン分解? って、何?」
「あー、それね。既存の理論じゃ無理っぽかったから作った」
「数理論を? 作った? 自分で?」
「だってそうしないと量子場の展開が出来なかったんだもん。流体近傍性コグニトロン分解はコグニトロンっていう神経回路網モデルに着想を得た分解方法で――」
これは無理だ。凡人の脳じゃ理解するのに百年くらいかかるに違いない。どうしよう。
そう新子さんと共に冷や汗を長し始めた頃、唐突にZOOM会議室に新たな人物が割り込んできた。
「アリスいるか? アリスー!」
ゲーミングヘッドセットをかけて叫ぶのは、三十代の眼鏡かけたおっさんだ。そのアラブ人のような髭面に一瞬誰だろうと思ったが、見覚えのある迷彩Tシャツでようやくわかった。
「あー、サボローさん」色々あってアリスの仲間になった社畜Webデザイナーのミリオタオジサンだ。ヘッドセットまで迷彩柄ときてる。「どうしたんすか、その髭」
「え? あぁ、ウチも在宅ワークになったからな。髭剃るの面倒で伸びた」
「一月かそこらで伸びすぎじゃろ」
苦笑いで言った新子さんを無視して、サボローさんは照沼さんに向かって叫んだ。
「あー! アリスいたー! ちょっとどうしてくれんのよ! ウチのメイドアリモが悪戯されちゃったんだよ! 額に『肉』とか書くとか、酷いと思わね? 『米』ならまだしも『肉』だぜ? せっかく新しいメイド服買って着させようとしてたのに! 特注の戦闘型メイド服! むっちゃ高かったんだぜ? そんで修理依頼したら当面受けられないとか言われたんだよ! 頼むよ! アリスの力で優先して直してくれよ!」
「――誰このキモいの」
応じた照沼さんに、サボローさんは凍り付いた。
かくかくしかじかこういうワケで、と状況を説明すると、ようやくサボローさんも理性を取り戻した。元の疲れ切った社畜に戻り、ものすごいため息を吐く。
「なんだよアリモ帝国、そんな状態になってんのかよ。言ってくれれば手を貸したのに」
「サボローさんが? 何してくれるんすか」
「え? それはアレしたり色々――」
「おー、みなさん久しぶりね!」
また新しい人が割り込んできた。これはすぐにわかる。こちらも色々あってアリスの仲間になった元石油王のケバブ屋さんだ。
「なんじゃなんじゃ、随分騒がしいな」
言った新子さんに、石油王は目を輝かせながら応じる。
「シンコさん、今なら店がウィルス閉店で凄い暇ね。何処か一緒に遊びに行くね」
「そんな状況じゃないじゃろ。だいたい石油王、クニに帰らなくていいんか。向こうも大変な事になってるじゃろ。一応王子なんじゃなかったっけ?」
「帰りたくても入国禁止になってて帰れないね。別に帰りたくもないけどね。私はアキバと命運を共にするね」
この人も相変わらずだ。
「てかなんでみんなこの会議室の招待コード知ってるんすか。盗聴でもしてるんすか」
「いや? アリスにここに集まれって言われたね」
アリスに? と問い返したとき、新しい窓が開いてアリスが登場した。きっとそんなことだろうと思っていた。相変わらず彼女は難しい顔で眉間に皺を寄せ、腕を組んでうんうん唸っている。
「ん。あー、揃った揃った。誰か助けてよー。このままじゃアリモ帝国が崩壊しちゃう!」
このシチュエーションも随分久々だ。色々問題が起きる度になんとなく集まって知恵を出し合ったもので、今回も一通りアリスは状況を説明してみせる。
「というわけで、サボローちゃんのアリモどころじゃないのよね。あちこちで壊されまくってて全然手が回らないのよ」
「だそうですよサボローさん」
追従した僕に、サボローさんは目を点にする。
「ん? あぁ」
「何か手を貸してくれるんじゃなかったでしたっけ」
「ん? あぁ」言って、腕組みして考える。「えっと、つまりデマが不味いと」
「ま、そんなとこね。幾らアリモは関係ないって言っても聞きやしない」
アリスが応じると、いかにも何か考えてますという風に唸る。
「うーん、まぁそういうデマに載る連中は馬鹿だからな。どうしようもないだろ」
「そういう答えはいらない! だいたいこれどうにかしないと、サボローちゃんのメイドアリモも直せないのよ?」
「あ、シンナー買ってきて拭くからいいわ、もう」
相変わらずこの人は役に立った例しがない。仕方がなさそうに新子さんは頭を掻きつつ言った。
「まぁでもデマってのはSNSとかで拡散してるワケじゃろ。それをどうにかすればいずれ立ち消えするんじゃないかのう」
それだ、というように、途端にアリスは拳を打って目を輝かせた。
「わかった! ツイッターを潰せばいいのね!」
「それは駄目じゃ!!」
ものすごい勢いで否定され、さすがのアリスも凍り付いた。
「し、新子ちゃん、なんでそんな勢いなの?」
それは新子さんがツイッター廃人だからだが、それは言わずにブチブチと文句を口にする。
「まったく何か問題が起きるとすぐに潰そうって。全然進歩ないなアリスは。もう少し頭を使おうやまったく。潰すくらいならハッキングして検閲しまくるとか、そっちの方が現実的じゃろ」
「それは止めた方がいいね」と石油王。「下手にハッキングしたら、それもアリモ帝国の仕業だって騒がれるだけね」
確かに。
うーん、と唸る一同に、不意に何かを思い出したようにサボローさんが言った。
「つかあれだろ? デマってよりパーツが足りないのが問題なんだろ?」
「まぁ壊される以上に修理出来たら、連中も飽きて諦めるだろうけど。元々アリモの運用はそういう方針だったしね」
「だろ? じゃあどうにかしてパーツ作りまくればいいわけだ」
急に気持ちの悪い笑みを髭面に浮かべたサボローさんに、新子さんはげっそりしながら尋ねた。
「なんか手があるって顔じゃけど、なんかキモそう」
「若者は知らんだろうけど、ここ二十年の技術革新の大半はエロを起点にしてるんだぜ。高速インターネット、3D、何でもだ」
「もういい。聞きたくない」
新子さんは高速でサボローさんを会議室から追い出した。




