【コミカライズ】コミュ症悪役令嬢は婚約破棄されても言い返せない
「シルヴィア、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「――!!」
国中の貴族が一堂に会する華やかな夜会の最中。
私の婚約者であり、第二王子殿下でもあらせられるダグラス様が、唐突にそう宣言した。
そ、そんな……!?
「……あ、いや、あの……」
あまりのことにパニックになり、言葉が出てこない。
参加者たちの視線が痛い。
無数の好奇心を纏わせた視線が、容赦なく私に突き刺さる。
――子どもの頃から人前に出るのが苦手だった。
第二王子殿下の婚約者として、そんなことではダメだというのはわかっているのだけれど、どうしても克服できずこの歳まできてしまった……。
「フン、その青ざめた表情、やはり身に覚えがあるようだな」
「あ! ……あぅ」
いえ、身に覚えなどありませんッ!
でも、怖くて……。
視線が怖くて喉が詰まる……。
「今更隠そうとしても無駄だぞ。君がイライザに陰で陰湿な嫌がらせをしていたのはバレているのだからな! 見損なったぞシルヴィア。君みたいな痴れ者は、僕の婚約者失格だ! 見ろ、イライザがこんなに震えているじゃないか!」
「嗚呼、ダグラス様……」
「……!?」
ダグラス様に肩を抱かれた男爵令嬢のイライザさんが、悲愴感を滲ませながらダグラス様にしなだれかかる。
「ま……ま……」
待ってください!
私はイライザさんに、嫌がらせなどしておりません!
「……!」
その時だった。
私に向けられていた無数の好奇の視線が、ドス黒い侮蔑の視線に変わった。
中には「確かにああいう大人しいタイプこそ、腹の中は真っ黒だったりするのよね」なんてほくそ笑んでいる人までいる。
違う……!
私は人とコミュニケーションをとるのが苦手なだけ……!
誰かに嫌がらせする勇気なんて、欠片も持ち合わせてないわ……!
言わなきゃ……!
ダグラス様とイライザさんに、ちゃんと言い返さなきゃ……!
「あ、あの……、私、は……」
「フン、何か弁明でもあるのか? 一応聞くだけは聞いてやる。言ってみろ」
「……!」
道端のゴミを見るみたいな、ダグラス様の見下した視線。
ダ、ダメだ……。
怖い……。
ダグラス様の視線が怖い……。
全身が石みたいに固まって、もう目を開けていることさえ辛い……。
――誰か。
――誰か、助け、て……!
「……そこまでだ」
「「「――!!」」」
その時だった。
会場中の空気を凍てつかせるような、よく響くバリトンが私の鼓膜を揺らした。
思わず声のしたほうに目線を向けると、そこには氷のように鋭い眼をした美丈夫が一人。
我が国の王太子殿下であり、その無口で威圧感のある風貌から、『氷の王子』の異名を持つルーファス様が、凛と佇まれていた。
ルーファス様……!?
「ダグラス、お前の言っていることはまったくの濡れ衣だ。――シルヴィアはイライザ嬢に、嫌がらせなどしていない」
「「「――!!?」」」
私を庇うかのように私の前に立ったルーファス様は、ダグラス様と相対した。
ルーファス様!!?
「なっ!? そ、その女を庇うというのですか兄上!? イライザが噓をついているとでも!?」
「ルーファス様、あんまりですわ! わたくしは真実しか申し上げておりません!」
「……フッ、何故俺が君のことを庇うのか、見当もつかないという顔だな」
「――!」
が、ルーファス様はダグラス様とイライザさんを無視して、私に優しく微笑みかけてくれた。
事実まったく理由がわからない私は、無言でコクリと頷き返す。
「――俺は今でも、君と初めて会った十年前のあの日のことは、鮮明に思い出せる」
「……!」
……十年前の、あの日。
その瞬間、私の脳裏に、とある光景が浮かんだ。
私がダグラス様の婚約者に選ばれ、王宮で顔合わせをすることになったその日。
無数の見知らぬ大人たちの視線に長時間晒され、気分が悪くなってしまった私は、トイレに行くと噓をついて中庭に逃げてきた。
――そこには先客が一人。
私より少し年上くらいの、目を見張るほどの美少年が、無言で花を眺めていた。
「……! 君は?」
「あ! ……あの、その」
美少年からの訝しむような視線に、ドレスの裾を掴みながらもじもじする私。
「――フッ、ひょっとして君も、人と話すのが苦手なのかい?」
「……!?」
な、何でわかったんですか!?
「……俺も君と同じだからよくわかる。立場的に、それじゃダメだというのはわかってるつもりなんだけどね」
物憂げな視線を流れる雲に向ける美少年。
「む、無理をする必要は……、ない、と、思い、ます」
「……!」
大きく見開いた宝石みたいな瞳が、私に向けられる。
「に、苦手なことって、すぐに克服できるものでもない、と、思いますし……。できることから、少しずつやっていけばいいんじゃないかな、とか……」
とはいえ、これは半分自分に対する言い訳だ。
本当は今すぐ克服できるに越したことはないに決まっている。
でも、それを自分に課す勇気がないから、こうして目の前の彼を慰めるフリをして、自分を誤魔化しているのだ。
――が、
「――フッ、ありがとう。お陰で心が軽くなったよ」
「……!」
美少年は太陽みたいな笑顔を浮かべてくれた。
たったそれだけのことで私の心も溶かされ、へにゃっとしただらしない顔になってしまった。
「も、もしや、あの時の彼がルーファス様!?」
「思い出してくれたか」
今目の前にいらっしゃる逞しい美丈夫と、あの日の儚げな美少年があまりにギャップがありすぎて、とても同一人物とは思えなかった。
「君のお陰で俺は、自分のことを嫌いにならずに済んだ。――君は俺の恩人だ」
「そ、そんな……」
私は別に、大したことはしてません……。
「だから今度は、俺が君に恩を返す番だ」
「……!」
嗚呼、だからルーファス様は、こんな私のことを庇ってくださったのですね?
何てお優しい方なのかしら。
「だが、そのためには君にも勇気を出してもらう必要がある」
「……!?」
勇気……?
「これだけはしっかりと自分の口から声に出すんだ。――君は、イライザ嬢に嫌がらせをしていたのか?」
「――!」
ルーファス様……!
「しましたしました! わたくしはシルヴィアさんから、ここで言うのは憚られるほどの、酷い仕打ちを受けていたのです!」
「ホラ兄上! イライザもこう言っている! これ以上はイライザが可哀想です! もうこの話は終わりにしましょう!」
「……二人はこう言っているが、どうなんだ、シルヴィア」
「……!」
十年前のあの日と同じ、太陽みたいな笑顔を向けてくれるルーファス様。
その瞬間、私の中から熱い何かが湧き上がってくるのを確かに感じた。
「…………し、してない、です」
「「「――!!!」」」
「私はイライザさんに、嫌がらせなんてしてないですッ! まったくの事実無根ですッ!! フザけたこと言わないでくださいッッ!!!!」
「「「――!?!?」」」
自分でもビックリするくらい大きな声が出てしまった。
嗚呼、でも不思議と、悪い気はしない。
「フッ、よくぞ言った。偉いぞ、シルヴィア」
「ル、ルーファス様……!?」
ルーファス様はそんな私の頭を、よしよしと優しく撫でてくださる。
あわわわわわわわ。
「で、ですが、兄上、嫌がらせをしていないという証拠はないでしょう!? 現に嫌がらせの現場を目撃したという令嬢が、何人もいるのです!」
「そ、そうですそうです!」
「フッ、その令嬢というのは、彼女たちのことか?」
「「――!!?」」
ルーファス様が後方に目線を向けると、そこには気まずそうに視線を逸らした令嬢が数人立っていた。
あの人たちは確か、イライザさんと仲がいい令嬢グループの人たち――。
「ああそうです! 彼女たちが――」
「俺が個別に問いただしたところ、彼女たちは証言してくれたよ。――イライザ嬢に頼まれて、嘘の噂を流していたとな」
「「「――!!!」」」
そんな!?
「ゴ、ゴメンなさいイライザさん、もう私たち、あなたの味方はできないわ……」
「あ、ああ……、あぅ……」
あまりの展開に、イライザさんは壊れたオモチャみたいに、口をパクパクさせている。
でも私はそのことよりも、人と話すのが苦手なルーファス様が、自ら令嬢たちに問いただしてくれたことに、胸がいっぱいだった。
「こ、これはどういうことなんだイライザ!? 君は僕を騙していたんだな!? この痴れ者めッ!」
「いや、痴れ者はお前も同様だ、ダグラス」
「……え?」
ルーファス様!?
「俺でさえ調べられたことをちゃんと裏付けもとらず、イライザ嬢の妄言を鵜吞みにした挙句、王家の決めた婚約も身勝手に破棄するとは、許されざる大罪だ」
「そ、それは……!」
ルーファス様からの正論パンチに、滝のような汗を流しながら、産まれたての小鹿のように足を震わせるダグラス様。
「よってダグラス、貴様からは王位継承権を剝奪する」
「お、お待ちください兄上ッ!? どうかお慈悲をッ!! お慈悲ををををッッ!!!!」
「フッ、そうだな。では一つだけ慈悲を与えてやる」
「おおッ! あ、ありがとうございます兄上!」
「――お前とイライザ嬢は禊として、無一文でヒッチハイクだけで、世界を一周してこい」
「は、はあああああ!?!?!?」
「わ、わたくしもですか!?!?!?」
う、うわぁ、私だったらそんなの、死んだほうがマシなくらい辛いな……。
知らない人に何度も話し掛けるなんて、想像しただけで吐きそうになる……。
「赤の他人とコミュニケーションをとることの難しさを、今一度痛感してくるのだな。精々野盗には気を付けろよ。――連れていけ」
「兄上ッ!!! 後生ですから僕の話を聞いてくださいッ!!! 兄上えええええッッ!!!!!」
「いやああああああああああああ!!!!!!」
断末魔のような叫びをあげながら、二人は連行されていった。
後には静寂だけが残された。
「……あ、ありがとうござい、ました、ルーファス様。お、お陰様で、助かりまし、た」
ぎこちなくも、深くルーファス様に頭を下げる。
「フッ、気にするな。――俺も、下心があってやったことだからな」
「……え?」
下心???
「――シルヴィア、十年前のあの日から、君は俺の太陽だった」
「っ!!?」
ルーファス様は私の前で恭しく片膝をつき、右手を差し出された。
ルーファス様!?!?
「どうかこれからもずっと俺の側で、俺の心を照らし続けてほしい。――俺と結婚してくれ、シルヴィア」
「――!!!」
ルーファス様は少年のようにはにかんだ照れ顔で、そう言った。
ああああああああああああああ!!!
「……わ、私なんかで、よ、よければ……」
おずおずとルーファス様の右手に、自らの左手をそっと重ねる。
その瞬間、会場中から割れんばかりの、祝福の拍手が降り注いだ。
「ありがとう、一生大切にするよ。――結婚してからのほうが人生はずっと長い。これから少しずつ、コミュニケーションをとって夫婦になっていこう」
「はい、末永くよろしくお願いいたします、ルーファス様」
「フッ」
ルーファス様は私の左手に、優しいキスを落とした。




