館の主
「さすがは隊長ですな。九死に一生、どころか全死に確定だと思ったんですがね。しぶといって言うか、執念深いって言うか、呆れたもんですな。アンタ、毎晩蛇でも食っているんですか?」
傍若無人な見舞い客――エンバッハ・カリウスはベッドの横に立ち、にやにや笑いを顔一杯に広げている。
信じ難いことに、僕は一命を取り留めた。
いや、それどころか全身に若干のだるさが残っているだけで、肩の傷さえほぼ完治していた。触手は侵食をやめて僕の体と一体化し、傷を塞いでしまったのだ。
軍医は目を剥いていたが、デイモンメイルの触手に襲われて体が残っていること自体、稀なケースだった。妙な夢を見た気もするが――一体なにがどうなったのか、僕には説明できないし、正直あまり興味もない。
どうやら今回は生き延びた。重要なことはそれだけだった。
「うるさいな。死んで英雄にでもなった方が良かったか?」
言い返すと、カリウスは大仰に手を振った。
「いやいや、とんでもない。苦労して救出したのに、あっさり死なれちゃこっちの勘定が合わないんで。この貸しは高いですよ。きっちり回収させて貰わないとね」
カリウスはクルスクのメイルライダーだ。
いかにも人生を楽しんでいるタイプの男で、昔から妙に人好きのする奴だった。こいつと組んで羽目を外しすぎ、始末書を出したことは一度や二度ではない。彼は辺境出身の平民であり、移民に偏見を持っていなかった。
積み重なった歳月はこのお調子者に円熟味を与え、頼りがいのある相棒に成長させていた。見上げる長身にはバランスよく筋肉が付いており、僕は少し羨ましく思った。出会った頃は僕の方が背が高く、力も強かったのだ。いや、本当に。
「お前の軽口は病気だ。先輩は敬えと教えただろ」
「死ななきゃ治らないって奴ですよ。いつの間にか、隊長より八つも年上になっちまいましたしね。……よくもまぁ、助かったもんです、ホント。ほっとしましたよ」
「――まぁ、運が良かったのさ」
真摯な気遣いのこもった視線に何故かうろたえ、僕は窓の外を眺めるふりをした。
「我々にも君のような幸運が必要だな。我々みんなに」
ファーレン公爵が重苦しい口調で言った。僕の病室としてあてがわれたこの部屋は、公爵邸別館の一室だ。名前の通り、公爵はウルクの父親でもある。
僕はベッドの上で背筋を伸ばし、館の主に向かい合った。公爵は椅子に体を沈み込ませるように座り、落ち着かない様子で何度も髭をひねっていた。
「ところでバスク君、従者はどうするね? 聖堂入りしたメイルライダーには必要に応じて従者をつけると聞いているが」
「いえ、結構です。従者は生まれた時代と目覚めた時代の差が大きい時に、生活に慣れるまでの補佐役としてつけるだけです。自分が聖堂に入ったのはたった十年前ですから」
簡単に言えば、聖堂はメイルライダーの保管施設だ。
帝国は常にメイルライダーの定数を揃えるのに苦心してきた。並みのメイルライダーでもそうだから、優秀な者となると数十年に一人出るかどうかと言われている。
おまけに折角見出した貴重な才能も、やがては自然の摂理に従って衰えてしまう。歳月にはどんな天才も勝てない。ヒトが永遠に生きることは不可能なのだ。
そこで帝国は飛び抜けて優れたメイルライダーを聖堂に招聘し、全盛期の内に保管することにした。選ばれたメイルライダーは様々な儀式を経て、薬液を満たされた円筒の中で眠りにつく。数日後には仮死状態となり、極ゆっくりとしか歳をとらなくなる。後は必要に応じて目覚めさせればいい。
もっとも、喧伝されていたほどこの技術が完璧だったのかは怪しい気がする。自覚はできないが、僕の記憶もどこか欠けているのかもしれない。そうであっても記憶の大半は本人しか知り得ない情報であり、検証のしようがないんだから、考えてみればひどい話だ。
ファーレン公爵は頷き、今度はカリウスに向かって尋ねた。
「デイモンメイルの方はどうかね? こちらから手伝うことは?」
「作業は担当部隊の連中に任せておけば大丈夫です。むしろ館の方達を施設に近寄らせないようにしてください。危険ですから」
「そうか、了解した。なにぶん初めてのことだし、わしは申し訳程度の軍務経験しかなくてね。施設も維持はしていたが、実際に使うのは先代以来なのだよ」
一定以上の規模を持つ貴族の館には、デイモンメイルの調整施設を備える義務がある。ファーレン公爵邸にもそれがあり、戦時法によって現在は軍施設として扱われていた。
これによって予備役だった公爵は臨時の基地司令となり、序列上は僕の上官になった。しかしながら軍統括本部直属の兵員であるメイルライダーに対する命令権はなく、施設を維持し、帝都からの指示を伝達するだけの役回りなのだ。
「一応わしが抱えている人員もいるが、南部から逃げ出してきた避難民達の対処に追われておるのだ。正直、他のことには手が回らん」と、公爵は内情を明かした。
南部から国外へ脱出するなら、北へ向かって街道を進み、帝都を通り越していく必要があった。帝都攻撃に向かう連合軍に追い立てられるような形で、避難民の群れは続々と北上している。
皆、北部山岳地帯――ラウル峠の向こう側にあるトーラン王国を目指しているのだろう。
トーランの成立は帝国より古く、この国に親戚がいる者も多い。勇猛な山岳猟兵で知られるが、今回の戦争には中立を保っていた。
連合軍の末端は帝国臣民を捕らえては誰構わず暴行を加えており、殺害に至るケースも珍しくない。噂ではオーガスレイブの〝燃料〟にされている者までいると聞く。帝国の長年に渡る圧制のツケは、臣民が血で支払う羽目になっているのだ。逃れるなら、トーランへ行くしかない。
とは言え、道のりは遠い。
怪我人や病人、女性に老人に子供。長い逃亡に疲れ果て、帝都の手前にあるファーレン公爵領にたどり着くのが精一杯の人々も大勢いるのだろう。公爵は全力を挙げて彼らを手助けしているのだ。
しかし見方を変えれば帝国臣民の逃亡幇助だ。連合軍を利する行為とも言える。
もちろん心情的には理解できるが、公爵の立場的にはまずいのではないだろうか。下手すれば反逆罪にも――
部屋の扉が勢いよく開き、僕の思考は寸断された。




