片舷斉射
オーガスレイブ――というか、その炉心の設計にはかなり無理がある。
境界炉に対抗できるだけの魔力を得るには、同じ原理を使うのが確実だ。つまり異世界への門を開き、そこから流入する魔力を利用すればいい。そうした儀式を行う術者達の記録は、古くから残っている。瞬間的に異世界と接続することは不可能ではないのだ。複雑ではあるが、既にある程度の術体系も確立していた。
ただそれはあくまで術者が行う場合において、である。
ヒトどころかイキモノですらない模造の境界炉に、どうやって術を行使させればよいのか?
答えは邪悪なまでにシンプルだった。
ヒトを炉心にすればいいのだ。
僕は鹵獲したオーガスレイブの操術腔を見たことがある。中にはヒトがいた。いや、正確にはかつてヒトだったモノだ。
全身に描かれた呪紋、脳髄深く打ち込まれた針。
磔台に縛り付けられた体は両手両足を切り落とされ、何本もの不気味な触手で覆われていた。触手は眼窩にも潜り込み、全身に根を張っているようだった。途切れがちな呼吸をする度に、だらしなく開いた口元から泡になった涎がたれていた。無論、ヒトとしての意思なぞとうに奪われている。魔術回路にそんなものは不要だからだ。
生きてはいても、既にヒトとは呼べないモノ。
クルスクが撃破した曳航艦は、それら哀れな生贄達を満載していたのである。皆保存用の棺に納められ、眠らされているようだ。全部で千体近くはあるだろう。生贄は出撃一回で消費されるから、確かにこの位の数は必要になる。
それはわかる。
わかるが、これは――酷すぎる。着慣れた制服の詰襟が、急にきつくなったような気がした。
「どうします? まだ息のある奴が大半ですぜ」
『――処分しよう』
僕は短く応じた。詠唱艦を沈めた興奮はすっかり醒めていた。
ウルクを待機させておいて良かった。あいつは鼻持ちならない貴族のお坊ちゃんで、生意気な糞餓鬼だが、まだ子供だ。子供にはさせるべきではないことがある。
馬鹿な。なにを甘いことを。どの道、この後は敵の戦線に向かって突撃し、目に入る限りの兵士を殺戮するつもりなのに。
『焼き払いますか? トールに焼夷モードで撃たせれば……』
「駄目だ。砲弾の無駄使いはできない」
戦争のこうした場面に遭遇した時、僕はいつも考えるのをやめる。
そうすると、なすべきことが勝手に口から滑り出てくるのだ。受けた訓練がそうさせるのか。
それともこれが僕の本質なのだろうか?
思えば昔から僕は上手く立ち回ってきた。
飢えた孤児、貴族の友人、場違いな移民の子供。それぞれの役割をこなしつつ、身を守る穴倉を見つけるのが得意だった。装甲の内側みたいに安全な居場所を。
僕はメイルライダーだ。
だから、いいじゃないか。そういう風に振舞えばいい。それだけだ。それだけなのだ。
「触手を使え。対人掃討戦の要領だ」
『了解』
応答して、クルスクは作業に取り掛かった。
僕もティーガーの背中にある八つの瘤を開いた。滑り出てきた触手の表面にはびっしりと刃が植えられており、ヒトを簡単に切断できる。僕は触手を振って棺ごと生贄達の胴体を分断し、首を飛ばし、腹部を刺し貫いた。
泥人形を潰すより容易く刈り取られていく、おびただしい命。中には僕と同じ東方移民もいた。でも、丁寧にやる気にはなれない。人間らしい感情は邪魔なだけだ。
断末魔の短い悲鳴。
ふきだす血飛沫の生暖かさ。
切り裂く肉の柔らかさ。
かつかつと骨を断つ乾いた音。
触手を通じて伝わる、命を握り潰す感触。ぷちん、ぷちん。ほら、驚くほどに簡単だ。ぷちん、ぷちん、ぷちん。本当に呆気ない。ヒトの肉体はなんと脆弱なのか。快楽の焔が脳髄をちろちろとなめ、僕は吐き気を覚えた。
メイルライダーはデイモンメイルを支配するが、デイモンメイルもまたメイルライダーの精神を徐々に侵食してしまう。究極には両者は一体となるのかもしれない。それはそれで悪くはないが、今はまだ早い。
いや、そうかな? もう、僕は充分に殺して――
まずいな。余計な思索にふけっている場合じゃないぞ。
もう何も考えず、さっさと終わらせよう。その判断が間違いだったのか。
「くっ……! なんだ……?」
強烈な眩暈に頭が揺れた。この程度の戦闘で生気を吸い尽くされてしまうほど、僕は柔ではないはずだ。ティーガーとの知覚連結が途切れかけてしまい、仕方なく境界炉を一時停止させて制御を取り戻す。こんなことは初めてだった。
『バトラー? 隊長、どうしました?』
「大丈夫だ。再始動する」
クルスクからの念話に答え、炉を再始動した。出力が戻るまで少し待つ。
後から思えば、それは致命的な数秒間だった。
『警報、前方に戦列艦!』
ウルクからの念話が操術腔内に響いた時、ティーガーとクルスクは二隻の戦列艦が構える砲口に捕捉されていた。戦列艦は入念に偽装し、そろそろと近寄っていたに違いない。舷側にずらりと並んだ重砲は、とっくに照準を終えているだろう。回避機動をとろうとした時、戦列艦の後方に控える巨体が目に入った。
血のように紅い装甲を持つ巨人。
それはオーガスレイブではなく、紛れもないデイモンメイルだった。心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走り、操作が一呼吸遅れてしまう。
総計百門余りの重砲による片舷斉射が、大気を砲弾で満たした。
我に返り、僕はティーガーを飛び退らせて砲撃を回避する。
だが、それすらも相手の計算のうちだった。
着地した瞬間、砲弾がティーガーの右足を貫いた。次弾が胸部装甲に命中。砲弾は装甲深く潜り込み、内部で炸裂した。操術腔内に飛び込んできた破片で、僕の左肩は深く切り裂かれた。鮮血が飛び散り、護符に降りかかる。
「っつ! しまっ……!」
怪我の痛みすら忘れて凝視する中、汚された護符は黒く変色し、くしゃくしゃと丸まって、床に落ちた。途端に、操術腔内の雰囲気が一変する。
急速に上昇する湿度。
びくびくと脈動する壁面。
鼻をつく生臭い匂い。
ティーガーは低く唸った――好餌を発見した猛獣が、舌なめずりするように。
恐怖と苦痛に息を詰まらせながらも、僕は右手で腰をさぐり、緊急用の浄化符を取り出そうとした。競うように、壁から触手が伸びてくる。絡み付いた触手の先端が口を開き、牙をむいて僕の体に喰らいついた。振り払う間もなく、さらに幾本もの触手が殺到する。
絶叫しながら、僕は意識を失った。
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これで連載開始直後の連続更新は終了です。
以降、週に2回程度(月、金あたり)の頻度で更新していく予定です。
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