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哀願

 頭の芯が痺れて反応できない。

 僕の腕の中でルーミィがもぞりと動き、細く瞼を開いた。


「……ふざけるな、馬鹿が。こいつは我の男だ。死人は冥府へ帰るがいい……!」


 途切れ途切れの台詞の中にたっぷりと蔑みが篭っている。ルーミィは苦しげに息をしながら、上体を起こした。


 フィアナはがらりと表情を変え、火を噴くような目付きでルーミィを睨む。


「お前。――うるさいわ」


 重い衝撃音と共にルーミィの顔が後方へのけぞった。


「がっ……!」


 鼻梁全体が赤く染まり、するすると流れる血の糸がルーミィの口元を汚した。

 僕は声を出しそうになるのを我慢した。ここでルーミィの名を呼べば、フィアナはますますいきり立つだろう。唾を飲み込み、平静を装って話しかけた。


「――フィアナ。ちょっとわからないことがあるんだ。一つ、教えてくれないか?」


 体でルーミィをかばいながら、静かに尋ねる。

 フィアナは満面に喜色を広げて勢い良く頷いた。


「うん、兄様! なんでも聞いて。今のあたしはなんだって知っているのよ!」

「帝都には、誰一人生き残っていないみたいだった。おかしいじゃないか? 戦火に見舞われたとは言え、かつては何十万人も住んでいた都市だ。軍人だけじゃない、脱出し損ねた民間人だって大勢いたはずだ。普通に考えれば一人残らず全滅するなんてあり得ない」

「兄様、そんなこと――」


 僕は誤魔化しを許さぬ口調で問いただした。


「お前が殺したのか? フィアナ」


 フィアナはすねた目で僕を見返した。顔立ちに似合わない子供っぽい表情が記憶にある妹の顔とぴったり重なる。


「――なによ。だって、あたしは繭を作って羽化するところだったのよ? そりゃ繭の中は安全だけど、寝る場所に虫がいたら気持ち悪いじゃない。駆除するのは当たり前よ。大体あたしだけで殺したんじゃないわ。たまたま生き残ったのを潰しただけだし――それに」


 一瞬言いよどみ、フィアナは恥ずかしそうに告白した。


「それに、生きている人を殺すのってとっても気持ちが好いじゃない。肉をぷちぷちって引き裂くのも、熱い血を肌に浴びるのも、あたし大好き。だからつい夢中になって止まらなくなっちゃったの。そりゃはしたないかもしれないけど……兄様もそうでしょ? 隠しても駄目よ。あたし、わかるんだから。体が熱くなって、背筋がぞくぞくって震えるんでしょ? ね?」


 ヴァルヴァラの胸部装甲の上を数歩進み、フィアナは僕に手を差し伸べた。


「一緒にやればもっと気持ちがいいわ。だってあたし、殺しながらずっと思ってたの。ここに兄様がいればどんなに素敵かって。だからきて、兄様。あたしと一緒に」


 穢れなど知らぬような、綺麗で繊細な指。それはいつの間にか僕の手よりも血に染まってしまっていたのだ。


「だけどお前は僕まで殺そうとしたじゃないか」


 その問いかけは、フィアナをひどく動揺させた。


「違うわ! あれは兄様がその娘に騙されていたからよ。つい、かっとなって……今日だって苦労して兄様を助け出してあげたのよ? もし殺すつもりならもっと簡単だった。本当よ。信じて、兄様!」


 言葉の端々に響く、せつない想い。フィアナは僕に嫌われるのではないかと恐れ、すっかりうろたえている。


「あたし、ちゃんとしたじゃない! ヴァルヴァラだって――この子が傷だらけになったのは兄様を助けるためだったのに! わかってくれないの?」


 僕は黙って妹の哀願を聞いていた。

 わかっている。わかっているとも。当たり前じゃないか。遠い昔、僕等にはお互いしかいなかった。僕とお前の二人だけで耐え難い現実に立ち向かっていた。この寄る辺なき、冷酷な世界の只中で。


「レ……」


 なにか言いかけたルーミィの唇に僕は指先をあてた。フィアナに背を向けてルーミィを座席に座らせてやる。


「あたし――あたし、兄様のためにこうなったのに……兄様はその娘を選ぶの?」


 低く震える言葉の奥から煮えたぎる憤怒が表出した。


「あたしがこんなに頼んでも駄目なの? またあたしを捨てるの? あたしの……」


 フィアナは激情に息を詰まらせ、叫んだ。


「あたしの願いは兄様がかなえてくれるって約束したのに! ずっと一緒だって誓ってくれたのに! あたしを兄様が置いて行こうとするから、だからあたしはっ……!」


 お前を守ってやりたかった。お前を傷付ける全てのものから、守ってやりたかった。そのために求めた力だった。


 確かに最初はそうだったのだ。


「そうだな。お前の言う通りだ」

「――え……?」


 僕は立ち上がって、ゆっくり振り向いた。

 気が抜けたようにぽかんと僕を見るフィアナに同じ言葉を繰り返す。


「お前の言う通りだよ、フィアナ」

「……兄様!」


 二体の間にあった数メートルの距離をフィアナは飛び越えた。ティーガーの操術腔に着地すると、僕の胸にしがみ付く。摺り寄せられる頬の感触と懐かしい髪の香り。細い手は哀れみを誘うほどの必死さで背中を弄ってくる。


 やはりこれは妹なのだ。


 どれほど歪み、血に飢えた怪物と化していようとも、ここにいるのは僕のフィアナだった。それがなにより悲しかった。


「これからはあたしがなんでもしてあげる。どこへでも連れて行ってあげるわ。兄様はわたしの中にいればいい。ずっと、ずっと一緒にいられるわ!」


 フィアナは頬を染め、熱に浮かされたように早口で喋った。


「――だから、ちょっとだけ我慢してね」


 ヴァルヴァラの操術腔に変化が生じた。壁面がうねり、左右から肉襞がせり出して座席を押し潰していく。ぴったり合わさった襞の中心から、四本の触手がぬるりと顔を出した。触手はくねくねと動きつつ、こちらに伸びてくる。


 僕は無抵抗のまま、触手が体に絡み付くのを見ていた。抱きついているフィアナごと触手は僕を持ち上げた。


 離れていく僕をルーミィは苦しそうに息をしながら見つめていた。フィアナを刺激すればなにをされるかわからない。頼むから、今は動かないでくれ。


「――フィアナ。ヴァルヴァラは大丈夫なのか? 僕が随分壊してしまったけど」

「心配ないわ、兄様。ほら見て」


 触手に運ばれながらフィアナは顎でヴァルヴァラの肘を指した。ティーガーが斬り飛ばした上腕が再生しかけている。驚異的な回復力だった。


「すぐに元に戻るわ。羽も治るから、大丈夫。境界炉が無事なら平気なの」


 足が生暖かい肉襞に飲み込まれていく。生気を引き抜かれる感触に僕は身をよじった。猫が鼠をいたぶるような愉悦を浮かべて、フィアナは言った。


「ダメダメ、もう手遅れよ、兄様。あたしの中で溶かしてあげる。心配しないで、とっても気持ちいいから。全部とろけて、一つになれるわ。兄様があたしを選んでくれたから――」


 フィアナは顔を寄せると舌で僕の首筋を舐め上げた。


「何年もかけて、ゆっくり、ゆっくり喰べてあげる。ちゃんと兄様でいられるように、最後まで頭だけは残してしてあげるわ。仕方がないのよ、わたしがわたしでいるためには兄様が必要なの」

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― 新着の感想 ―
[一言] ううーん、病んでるうううう!!!!www フィアナたんにヤンデレオブザイヤーを授与します( ˘ω˘ )
[一言] これは怖い。 背筋が凍る狂気の愛情の描写です。
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