勝機
次の瞬間、周囲は閃光と爆煙に包み込まれていた。
全方向から激突してくる瓦礫と爆音。ティーガーの装甲がガタガタと叩かれる。知覚系に直撃を食らえば若干のダメージを受けてしまうが、皮肉にもヴァルヴァラが盾の役割をして砲弾の雨を大部分防ぐ形になった。
数十秒後、砲撃が途切れるとヴァルヴァラは急上昇して飛び去ってしまった。
後を追って、僕はティーガーを帝都の外へ出す。
北側の空に悠然と飛行するヴァルヴァラの姿が見えた。どうやら重砲陣地を砲撃しているらしく、時折発砲している。砲兵達は数分ももたずに全滅してしまうだろう。
だが彼等に哀れみを抱く余裕はない。僕はティーガーをナルーヴァ河へ走らせた。ヴァルヴァラの位置とは反対方向だ。
「逃げるのか?」とルーミィ。
「まさか。有利に戦えるように準備するだけだよ。こっちにも勝ち目はあるからね」
不審そうに見返すルーミィに僕は説明した。
「――らしくない。ヴァルヴァラの戦い方が、どうもナジールらしくないんだ。本当なら僕等はもうとっくにやられているはずだよ。おまけに剣を取られるなんてちょっと信じられない。あれはナジールが僕に教えた技なのに」
「ふむ……? つまり上手く操れていないわけか……?」
ルーミィは口元に手を当て、考え込んでいる。僕は頷いた。
「多分ね。ヴァルヴァラは羽化したばかりだから慣れていないんだろう。素体の能力が上がりすぎて微妙な操作ができないのかもしれない」
推測が当たっていたとしても能力差は圧倒的であり、こちらの不利は変わらない。川岸に着くと僕は勝利を手繰り寄せるべく河の中へティーガーを進ませた。
□
僕が選んだ戦場はクルスクが擱座している壊れた橋の近くだった。
ヴァルヴァラは連合軍を蹴散らすと真っ直ぐティーガーに向かってきた。威嚇のつもりか、遠距離から発砲。ティーガーをかすめて灼熱した光弾が着水する。凄まじい爆発が起こり、巨大な水柱が屹立した。
胸部装甲を閉じ、ティーガーは水中へ没した。
この辺りは特に深くなっており、デイモンメイルでも完全に身を隠せる。昨日の雨のせいで河は増水して濁っていた。上空からではティーガーがどこにいるのか、わからないはずだ。
「よし、これで……つっ!」
突然、ティーガーの体が大きく揺さぶられる。猛烈な爆圧に押され、巨人は川底を転がった。ヴァルヴァラは河を干上がらせるような勢いで水面を連射しているのだ。
「くそ、お構いなしか!」
これだけ濃密な弾幕では正確な位置がわからなくてもあまり関係がない。装甲すら軋ませる暴力的な音圧。ヴァルヴァラは僕が音を上げるのを待っているのだ。例え耐え続けたとしても、いつか直撃を喰らってしまうだろう。
砲撃が若干それた時、僕の知覚にヴァルヴァラの正確な位置が割り込み表示された。即座にティーガーの膝を沈み込みませ、一気に跳躍させる。
「いけぇっ!」
砲撃を凌駕する水柱を立てて、巨体は空へ飛び出した。数十メートルを舞い上がったティーガーはヴァルヴァラの斜め後方に到達。対処の暇を与えずに僕は太刀で斬り付けた。右の砲身を切断され、ヴァルヴァラは慌てたように後退する。
「よし!」狙い通りの成果に、思わず声を上げる。
ティーガーはそのまま河へ落下した。川底へ足がつくと同時に移動して砲撃を避ける。また連射が始まっても射撃速度は半分になっているはずだ。
「まずいぞ、レイモンド!」
ルーミィが突然目前に現れる。彼女は橋の残骸に隠れてヴァルヴァラの位置を教える役割のはずだった。
「奴は魔力を限界まで……」
轟音が彼女の言葉をかき消し、ティーガーを打ち倒した。今までの爆発とは比較にならない衝撃。一瞬、爆風で川底が顔を見せ、ティーガーは空中に放り出された。着水し、完全に水没する前に追い撃ちされる。
「くっ!」
後方へ跳びかけたティーガーを爆風が捕らえ、橋の残骸に叩き付けた。橋脚を砕いてさらに飛ばされ、ティーガーは背中から落水した。
ヴァルヴァラはゆっくりと真上に飛来した。充分な高度を保ったまま、とどめの一撃を撃とうと魔力を充填し始める。今や寸毫の猶予もない。
「ルーミィ!」
呼びかけながら僕はティーガーの体を起こし、もう一度跳躍させた。
ヴァルヴァラは避けない。目前で行われた無謀な行為にふいを衝かれる要素はなかったし、いかにティーガーでもこの高度まで飛び上がることはできない――はずであった。
だがティーガーの足が水面を離れた途端、背後で大爆発が起こった。
クルスクの境界炉にルーミィが自爆指令を出したのである。
爆風はティーガーにダメージを与えつつも巨体を押し上げ、不足分を補填した。太刀を振りかぶるティーガーにヴァルヴァラが放った一撃は左肩の装甲を吹き飛ばすに留まった。ヴァルヴァラの右の光翼が根元から斬り飛ばされる。
二体はもつれ合って河へ落ちた。
墜落のダメージから立ち直ったのは、どちらが早かったのか。
ティーガーは太刀を腰だめに構え、波を蹴立てて疾駆した。
ヴァルヴァラも素早く魔力を充填して、砲を発射する。
刃は紅いデイモンメイルの左手を肘から切断し、光弾は白いデイモンメイルのわき腹を貫いた。二体は互いの胸部装甲を勢い良くぶつけ合い、至近距離で睨み合った。
ヴァルヴァラの出力はティーガーをはるかに上回っている。境界炉自体は互角でも素体の限界が違う。均衡はすぐに崩れ、ティーガーは後方へ突き飛ばされた。
デイモンメイルにとってはほんの数歩の、しかし太刀には致命的に遠い間合い。既に再充填を済ませたヴァルヴァラの砲口が避けようのない至近距離でティーガーを指向する。
「今だ、レイモンド! このまま突っ込め!」
次の瞬間、足元から幾本もの水柱が沸き立ちヴァルヴァラはたたらを踏んだ。
すかさず迫るティーガー。
体勢を立て直すヴァルヴァラ。
激突寸前にさらに水柱が林立し、壁のように視界をさえぎった。川底に仕掛けたクルスクの砲弾の爆発。起爆させたのは無論ルーミィだ。
これ以上ないタイミング。これ以外にない勝機だ。
飛沫を撒き散らしてティーガーは突撃した。振り下ろされた太刀が残る連装砲を切断し、ヴァルヴァラの左肩に深々と食い込む。充填されていた魔力が暴走したのか、砲自体が爆発した。装甲の破片を落下させながらヴァルヴァラはよろよろと下がる。
「とどめだ! 我等に勝利を!」
強敵を打ち倒す歓喜に身を任せ、瞳を輝かせるルーミィ。
僕は歯を食いしばって、ティーガーの太刀をヴァルヴァラに向けて突き出した。
剣先に生じた僅かの迷い。それに気付いた者はいなかったし、実質的な影響もなかったかもしれない。
ヴァルヴァラは身をよじって刃をかわし、ティーガーの腕を左脇に抱え込んだ。
僕が反応する前に首元に圧迫感が生じる。ヴァルヴァラは無事な右手でティーガーの首を締め上げているのだ。素体部分に指先が食い込む。こうなっては絶対的な出力の差がものを言い、ティーガーは完全に押さえ込まれてしまった。
一層強く締め上げるとヴァルヴァラの腕から紫電が走った。装甲が発光し、火花を吹くほどの電撃を喰らってティーガーの全身が焼け焦げる。
「うがああああっ!」
ルーミィは絶叫を上げて床に崩れ落ちた。幾重にも防御されている操術腔内には少々の放電があっただけだったが、彼女はもろに影響を受けてしまったらしい。電撃が途絶えてもぴくりとも動かない。
「ルーミィ!」
ぐったりした彼女を抱え上げた時、ティーガーが大きく揺さぶられた。衝撃音と共に突風が吹き込み、僕の髪を吹き乱した。胸部装甲が外部から引き剥がされたのだ。
ヴァルヴァラの胸部装甲も開き、メイルライダーの姿が――
「ナ……ナジール……?」
痩せこけてげっそりと肉の削げた頬。
生気を失い、土気色になって乾いた肌。
かつて日に輝いた銀髪はすべて白髪になっている。そしてうつろな目は――意思の光を失っていた。
ヴァルヴァラのメイルライダーは、廃人と化していた。




