呪壁
近寄ってくる重い足音。煙の隙間からのぞく真紅の装甲と両肩の連装砲。
それを認識すると同時にティーガーの砲が甲高い雄叫びを上げていた。砲口から長々と伸びた発砲炎と爆風が煙を払い除ける。
射撃距離は僅か二百メートル。砲弾は狙い違わずヴァルヴァラの胸部に――
命中、しなかった。
「な……?」
砲弾は空中で停止していた。空中に波紋のような揺らぎが広がり、大気に放電が走っている。波紋と放電はすぐに薄れ、砲弾は急に己が守るべき法則を思い出したかのように地面に落下する。
そして煙を割って現れた巨体は僕の知るヴァルヴァラではなかった。
全体的に尖った形状になり、サイズも二回りは大きい。装甲部分に生体部分が食い込み、完全に一体化している。侵蝕は砲にも及び、蔓のように触手が絡み付いた砲身は以前よりもはるかに長くなっていた。
「呆けている場合か! 避けろレイモンド!」
耳元でルーミィの絶叫。
はっとした時にはヴァルヴァラの連装砲がティーガーを指向していた。絶望に蝕まれつつ全力回避を試みる。
僕が咄嗟に行う回避機動には癖があり、ナジールは以前からそれを指摘していた。南部平原でもその癖を読まれて撃破されてしまったのだ。
体に染み付いた反射はそう簡単には抜けない。僕に出来るのは既に選択してしまった行為を可能な限り速く実行し、相手のミスを誘うことだけだった。
初弾がティーガーの腰をかすめる。装甲表面が熔かされ、浅く抉り取られた。
続けて放たれた第二射はティーガーの背後の建物に命中。僕はティーガーを横合いの道へ滑り込ませる。そのまま建物を遮蔽物にして動き回り、ヴァルヴァラの照準を逸らしていく。
(わざと外したのか……?)
疑問を検証する間もなく、逃げるティーガーを追ってヴァルヴァラが飛び出してくる。僕はとっさに砲撃を見舞ったが、やはり砲弾は途中で止められてしまった。
ルーミィは目を細め、いかにも気に食わないように鼻を鳴らした。
「ふん、周囲に魔力の塊で呪壁を造っているらしいな」
忙しく回避機動を繰り返しながら僕は叫んだ。
「それはわかるけど、これじゃ詠唱艦以上じゃないか! こんな至近距離からの砲撃に強制干渉するなんて!」
基本的に魔力は『働きかける力』である。ティーガーにしても素体の駆動の他に砲弾の加速やモードの切り替え、呪紋による装甲強度の向上、自重軽減などに魔力を使用しているが、呪文詠唱や依り代としての物理構造は絶対に必要であった。
詠唱艦による強制干渉にしても巨大な魔方陣と長い詠唱があってこそである。少なくともそう言うことになっているのだ。
「それは単に効率の問題だ。依り代を伴わない魔力行使は無駄が多いが、逆に依り代の限界に縛られることがない。奴の砲は魔力を直接撃ち出しているから境界炉を壊さぬ限り弾切れにならん。魔力がたっぷりあるならそういうやり方もありだ」
ルーミィの言葉通り、ヴァルヴァラはかさにかかって撃ちまくっていた。完璧な防御にほぼ無制限の弾数。対してティーガーには命中すら期待できない砲弾がたったの三発残っているだけだ。
「で、こっちの手は!」
「簡単だ。呪壁の内側に飛び込んで攻撃しろ。幾らヴァルヴァラでもティーガー丸ごとの質量と魔力を食い止めるほどの呪壁は展開できぬだろう」
つまりルーミィは雨霰のごとく降り注いでいる砲弾をかいくぐって接近戦を挑め、と言っているのだった。
「もう少しやさしいアドバイスがあれば嬉しいんだけど」
ルーミィがすねたように睨む。
「我は警告したぞ。後はお前に付き合うだけだ。上手くいこうが、いくまいがな」
「そうか。そうだったね」
余裕など欠片もない状況だったが僕はにやりと笑ってみせた。回避機動を調整して誘導を試みる。ヴァルヴァラにとって最適の射撃位置。その背後にはデイモンメイルよりも大きな尖塔が立っていた。
「――よし。やるぞ!」
僕はティーガーを急速ターンさせ、砲弾を炸裂モードにセットすると塔を狙って発砲した。半壊していた塔は砲撃によって一気に崩落し、真下にいたヴァルヴァラに激突する。雪崩落ちる破片によって呪壁が過負荷に陥り、閃光を放った。
一瞬動きを止めたヴァルヴァラに向かってティーガーを突進させる。搭載砲はまだ格納状態へ移行中だったが、待ってはいられない。
だがヴァルヴァラの立ち直りも早い。踏み出して瓦礫の雨から逃れると素早く射撃体勢に入った。砲口がこちらを向く。
僕はティーガーのつま先で街路を蹴飛ばした。散弾のように飛び散った破片に紛れ、巨人を跳躍させる。
抜刀。
落下の勢いを乗せて振り下ろした太刀をヴァルヴァラの剣が受け止める。硬質な金属の塊が正面からぶつかり合う。二度、三度と打ち込み、火花が飛散した。
地面を掘り返し、建物を押し崩しながら巨人同士の斬り合いが続く。
「好いぞ。これだけ近寄れば呪壁も砲も関係ない!」
凄まじい撃剣の響きは操術腔の壁をも震わせた。ほんのりと肌を上気させ、ルーミィは死と破壊をもたらす響きにうっとりと耳を傾けているようだ。
「まともには組み合うなよ。出力が桁違いだから力で押されたら吹き飛ばされるぞ」
僕は返事をしなかった。
力は勿論、ヴァルヴァラの剣の冴えはぞっとする程だ。だから攻勢を保つのに必死だったのだが、それだけではない。
ぬぐい難い違和感がこちらの剣先を微妙に狂わせていた。
「――ルーミィ。これは、ヴァルヴァラだよな?」
「? 今更なにを言っている。羽化して外見が変化したようだがヴァルヴァラ以外のなんだというのだ。……おい!」
ルーミィは警告の叫びを上げた。剣戟の緊張に耐えかねて操作を誤ったように、ティーガーの足裁きが半歩遅れていた。間合いを詰め、ヴァルヴァラが剣を突き出す。
だがそれは僕の誘いだ。
剣先を充分呼び込んでおいて、太刀を素早く絡め、上方へ弾く。鈍い金属音と共にヴァルヴァラの手から剣が飛び、くるくると回転して瓦礫の中へ突き刺さった。
ほう、とルーミィが感嘆のため息を漏らす。僕は返す刀で袈裟斬りにせんとヴァルヴァラを追った。後方には崩れた建物の残骸があり、向こうは二歩以上下がれないはずだ。ヴァルヴァラの背後から触手が伸びた。
「そんなもので止められるかっ!」
勿論、無理だ。触手はぴんと伸びただけで、ヴァルヴァラは垂直に飛び上って斬撃をかわした。落下の瞬間に斬りつけようとして、僕は目を疑った。
ヴァルヴァラは落ちてこなかった。
輝く翼を広げ、宙に浮かんでいたのだ。
神々しいとさえ言えるその姿に言葉を失う。
背中の触手は途中で枝分かれし、半透明の光る羽が生えていた。どのような仕組みになっているのか、ヴァルヴァラは翼を動かさずに空中に静止することができるらしい。
ルーミィも呆然とつぶやく。
「そうか……羽化とは、こういうことか……!」
ヴァルヴァラが吼えた。光の粒子を撒きながら真紅の巨人はさらに舞い上がる。ティーガーからやや離れた位置まで上昇すると、砲が地上へ向いた。
「!」
反射的にティーガーを後退させた。ヴァルヴァラが発砲。ティーガーは上体をひねって光弾をかわす。
ヴァルヴァラの連装砲が交互に火を吹いた。
必死に回避したが至近距離からの爆風と破片を次々と喰らい、ダメージが蓄積されてしまう。かろうじて直撃は受けていないが、それは僕の手柄ではなかった。
「奴め、遊んでおるな……!」
ルーミィは憎々しげに上空のヴァルヴァラを睨んだ。
彼女の言う通りだった。隠れようとしても、上からは丸見えなのだ。わざとこちらが避けられるタイミングで撃っているとしか思えない。
「……らしくないな……」
「なに?」
僕の呟きを聞きとがめ、ルーミィは眉を寄せた。
答えようとした時、空に黒い点が現れた。点はあっと言う間に数と大きさを増し、ヴァルヴァラとティーガーに向かって迫ってくる。
「重砲だ! 避けろ、レイモンド!」




