死の瘴気
先鞭を切ったのは重砲群の一斉射撃だった。
絶え間ない砲声が帝都周辺に轟き渡り、地津波のように大地を揺さぶった。全ての砲弾は帝都の中心に向けて放たれ、とっくに廃墟と化している街並みを単なる瓦礫の山に作り変えている。
なにもかもが鋼鉄の嵐へ飲み込まれてしまう、狂乱の宴。
それでも不足を感じるのか、戦列艦も加わって砲撃は延々と続いていた。
僕はティーガーを移動させ、砲煙に覆われた岸辺から上陸した。偽装は振動と音で見抜かれることが多いが砲撃のお陰でその両方とも誤魔化しやすい状況になっている。
待機していたオーガスレイブの大群が、帝都に進み始めた。
僕はティーガーを最後尾のオーガスレイブの背後につけた。膝の上ではルーミィが眠ったままだ。砲撃音どころか、走行時の揺れにも屈しないのは立派ではあった。
「ルーミィ? そろそろ起きてくれないか?」
「……ん? んん……うん。大丈夫……」
今一つ意味の通らない返事をすると、ルーミィは大欠伸しながら上体を起こし、背筋を伸ばした。ぶるぶるっと小さな体が震える。まるで休日の朝のような光景に僕は苦笑を浮かべた。
「ちょっとリラックスし過ぎじゃないか?」
「んー、かもな。お前と繋がったまま寝たせいかもしれん。お陰ですごく良く寝れた。我は寝るのは好きみたいだ」
そう言ってルーミィは頭を僕の胸に押し付けた。
「レイモンド。いいのか?」
「おい、まだ寝ぼけているのか? わかるように喋ってくれよ」
ティーガーの歩行速度を調整しながら僕は聞き返した。集団から離れすぎると敵兵に見破られる可能性があるし、近付き過ぎればオーガスレイブに感知されるだろう。微妙な間隔を保たなければならない。
「ヴァルヴァラは羽化を終えたぞ」とルーミィ。
「砲撃は?」
「奴は動いてないから幾らかは直撃しているはずだ。まるで効果はないようだが」
あっさりした言い方にはもう緊張の色はなかった。上手く気分を切り替えられたようだ。ルーミィはじろりと横目で僕を見上げた。
「我に気を使っている場合ではなかろう。本当にこのまま進んでいいのか?」
もちろんだ。今を逃して帝都に接近する機会はない――が、ルーミィの言いたいことはそういう意味合いではないだろう。
羽化したヴァルヴァラとどう戦うか。ナジールやフィアナとどう決着をつけるのか。
彼女はそれを問いかけているのだ。
「この先迷いは禁物だ。だがお前は絶対に迷う。そうに決まっている」
「……えらくきっぱり言うなぁ。もしかして僕は君にあんまり信用されてないのかな?」
途端、ルーミィはまなじりを吊り上げて怒り出した。
「たわけ! お前がそういう奴だから、我は信じているのだ! 我の望みはお前と共に戦うことだ。勝ち負けは結果にすぎぬ。だから我のことは気にせんでいいが」
ルーミィは視線を正面に戻した。帝都の街並みはすぐそこまで迫っている。
「お前は迷って、ぎりぎりの選択をして、そこから生を拾うしかない。その覚悟はいいのか? と聞いているのだ」
少女に起こった変化。それをどうとらえるべきなのかわからない。
ただ胸中に満ちた感情に従って、僕は微笑んだ。
「大丈夫、死ぬつもりはない。僕は先に進むために行くんだから」
□
最後尾のヤクトガンナーに続いて僕はティーガーを帝都の東門へ侵入させた。
この門から街の中心へと続く大通りを僕は何度も歩いた。帝都駐留中の生活の場でもあった軍統括本部を始めとして、様々な建造物や施設が通りに面して配置されていた。
帝国魔導院の磨き上げられた黒檀の廊下を幽鬼のように密やかに行きかう術士達。大庭園で開催される夏の星刻祭には、帝国中から物見遊山の観光客が押し寄せてきた。足繁く通った馴染みの食堂があり、憂さを晴らした酒場もあった。
メイルライダー候補に選抜された二人の少年はこの都で訓練に明け暮れた。それは厳しい修練と過酷な試しの時であり、ある意味でもっとも幸福な日々だった。
今視界に入るのは瓦礫と死体の山だけ。戦火に焼かれた躯が折り重なり、生存者の姿はまったくない。
そこかしこの瓦礫の影には黒々とした塊がわだかまっていた。堆積した死の瘴気が濃過ぎて、目視できるまでになっているのだ。やがて瘴気は死霊と化し、さらに強大な邪霊を生む苗床となる。ここはもはやヒトの住めない死都であった。
歴代皇帝が御座所とした白耀宮も楼閣は半ば崩れ落ち、黒く燻された壁面には無数の弾痕が穿たれている。この先帝都が再建されることがあったとしても、それはもう僕の知る街とは別のものに変貌しているだろう。かつてあった人々の暮らしはその生命と一緒に永遠に失われてしまったのだ。
「……!」
帝都中心から連続した爆発音が響く。先行したオーガスレイブが戦端を開いたらしい。本来ならば全部隊が一斉に攻撃すべきだが、ヴァルヴァラが先手を打ったのだろう。ティーガーの前方にいるオーガスレイブ達は移動速度を上げて突進し始めた。
僕はややペースを落とし、慎重に進んだ。この辺りはただでさえ大きな建物や尖塔が多い。さらに砲煙と爆煙が加わり極端に見通しが悪くなっている。
「……なんだ? この音……」
轟いてくる戦闘騒音の中に耳馴染みのない音があった。砲撃音のようでもあったが僕の知るどの砲の特徴とも一致しない。
疑問の回答は向こうからやってきた。
前方にいたオーガスレイブが数体まとめて爆発する。ティーガーの足元まで吹き飛んできた一体の上半身は、胸部装甲に大穴が開き、穴の周囲が赤熱していた。通常の砲ではこんな壊し方はできない。
煙を透かして輝く光弾が飛来する。光弾はオーガスレイブの体をあっさりと貫通し、その背後にいた一体まで撃ち抜いた。ヤクトガンナーの闇雲な応射は効果がなく、かえって自分の正確な位置を露呈してしまうばかりで的確な砲撃を招き寄せてしまった。
全部のオーガスレイブが燃え上がる残骸と化すのに大した時間はかからなかった。砲撃が止み、漂う黒煙が街路を覆い尽くしている。焼けた装甲板が大きな音を立てて弾けた。
ティーガーは射撃姿勢をとっている。
まだ視認はできないものの、音と光弾が発射された方向から僕は相手の位置をほぼ確実につかんでいた。かなりの確率で命中弾を得られる自信があったが、じっと待った。
相手――恐らくはヴァルヴァラ――は、ゆっくりこちらに進んできている。
距離は四百メートル以下。ティーガーの搭載砲にとっては至近距離であり、この距離から破壊できないデイモンメイルは存在しない。それでも僕は待った。
ヴァルヴァラが放ったと思われる光弾。羽化によっていかなる影響が砲に生じたのかはわからないが、従来の砲を遥かに上回る威力があるようだ。
ならば外しようのない距離まで引き付け、一撃で勝負を決する。手前で擱座し煙を吐くオーガスレイブ達がいい隠れ蓑になる。もしヴァルヴァラの化身がルーミィのようにティーガーの気配を察知したとしてもこちらの正確な位置まではわからないはずだ。
心臓が激しく高鳴る。果たしてこれでナジール・ロドネイの裏をかけるか、僕には自信がなかった。とは言え、他に打つべき手もない。
やがて煙の向こうに巨大なシルエットが現れた。




